第一八五回 ④
ムカリ盤天竜より遁れて衛天王に遭い
インジャ四頭豹を追いて堅石盟を派す
サノウは、拱手して命を待つアステルノとシンに告げて言った。
「両将は速やかにダナ・ガヂャルへ向かえ。そこに敵のオルドがある。キタド・ハーン(※ジャンクイのこと)および、梁公主を擒えよ!」
この命に二人の驍将は俄然雄心を奮い起こされる。率いる兵は併せて七千騎。途中で分かれて、東南に馬首を向けた。アステルノのおもえらく、
「俺はかつて、やはり留守陣に敵人の妻妾を擒えに行ったことがある(注1)。あのときは瓊朱雀の令徳(注2)に接して、実に清々しい心地となったものだが、このたびはそうはいくまいな」
彼らの成果については、のちに述べることにする。
余の約十三万騎は予定の行路を着々と進んで、先鋒のムジカ、ギィの両翼は、ついにツァビタル高原を望む平原に達した。それぞれ陣営を定めると、ムジカは笑小鬼アルチンに五百騎を与えて斥候を命じる。そしてあとを打虎娘タゴサに託して、碧水将軍オラルとともにギィの本営を訪ねた。
第七翼の諸将がうち揃ってこれを迎える。そこには第四翼から移ってきた盤天竜ハレルヤの姿もあった。互いに挨拶を交わすと、早速向後の策戦について諮る。まずムジカが言うには、
「我らは先陣を争っているわけではない。先遣隊としてツァビタルに地歩を築くことこそ任務と心得るべきだ」
ギィが頷いて、
「然り。決して突出せず、よくよく互いに警めながら、後続のために陣地を確保すべし」
ゴロもまた答えて、
「お二人はやはり天下の名将。高原にハーンや神箭将殿の大軍を導き入れることができれば、勝利はより確かなものとなりましょう」
さらにみなで諮って、まずは敵情をしっかりと探りつつ、ヒィ・チノの到着を待つこととした。
三日を経ずしてヒィ・チノ率いる第二翼が現れる。その兵力は北軍において最大の三万騎だったが統率は完全、整然と陣を布く。ムジカとギィは大喜びで賛辞を惜しまない。ヒィ・チノはふふんと笑って、
「まだ戦う前ではないか。ただ兵を連れてくるだけなら誰でもできる」
そう嘯いたが、もちろん言うほど容易なことではない。それはさておき、三人のハンは諸将を交えて軍議を開く。
そのころには、アルチンによって敵の動静も明らかとなっていた。まず南軍の兵力は約五万騎。ツァビタル高原は先にキレカが述べたように二段を成している。四頭豹たちは前段の最奥にて、後段に続く傾斜を背に布陣しているとのこと。後段を上がった先の様子は判然としない。
ゴロが言うには、
「五万という数は、予測された敵の残存兵力に概ね一致します。仮に伏勢があったとしても数千……。万には至らないものかと」
ヒィ・チノはそれを聞くと、ムジカたちに尋ねて、
「ならば前進して敵に相対しようと思うが、どうか?」
するとムジカが答えて言うには、
「そもそも我ら三翼の指揮は君に預けるつもりだ。気を遣うことはない。大将として命を下せ」
ギィも莞爾として同意する。ヒィ・チノは目を瞠って、
「しかしそれは……」
ムジカが呵々と笑って、
「ハーンの言葉を忘れたか。君は『万人長の中の万人長』ではないか(注3)。我らが従うのは当然のこと。さあ、指示を出せ!」
「まことにかまわぬのだな。では『万人長の中の万人長』として命じよう。直ちに兵を発して前段の中央付近まで進出する」
「おお……」
積極果敢の策に一同はざわめく。白夜叉ミヒチが笑って、
「さすがですねえ。ただ我らナルモントのものはハンの戦法に慣れてますが、超世傑殿らにはもう少しハンの意図をお伝えになるべきかと」
「ははは、超世傑と獅子に詳解は不要だろうが、まあよい。一挙に中央まで進むのは、ひとつには下りの傾斜を背にする不利を避けるため。またあとに続くハーンや衛天王が占める地を確保するため。そして敵人に近接することで、奸計を弄する隙を与えぬためだ。聞けばどうということはないだろう」
諸将はおおいに喜んで、たちまち命に服した。第七翼の迅矢鏃コルブ、隼将軍カトラ、鳶将軍タミチの三将が先行し、諸軍連なって進軍する。途上で襲われぬよう改めて数多の斥候を放ったが、どうやら敵に動く気配はない。
一隊、また一隊と前段の平地に達すると、静々と前進する。キレカの述べたとおり、大軍を展開するに充分な広さがある。どんどんと進んで、中央よりむしろやや先まで至って漸く足を止める。ヒィ・チノの第二翼を挟んで、右翼にムジカの第三翼、左翼にギィの第七翼を配した。
ヒィ・チノは満足げに頷いて、ミヒチに言うには、
「見ろ。ここまで来れば敵陣がよく見える」
旗から判じるに正面奥に四頭豹ドルベン、前列にはやはり亜喪神ムカリ。そして左手に三色道人ゴルバン、右手にチンラウトと紅百合社。梁軍の旗もある。それを一望したミヒチは言った。
「ですねえ。でもそれは、向こうからもよく見えてるってことですよ」
「ははは、違いない」
快活に笑って、さまざまに軍令を発する。まさにハーンの代理たる面目躍如といったところ。今や南北の対決はところを移し、互いに陣容は整いつつある。あとは戦機を待つばかり。辺境の高原に集うのは彼我併せて十四翼、ともにはテンゲリを戴かぬ仇敵を、いざ覆滅せんとて牙を研ぐ。
先に大勝を収めたことで北軍優勢には違いないが、何と云っても相手は四頭豹、どんな奸策を秘めていないともかぎらない。果たしてツァビタルでの戦はいかなる顛末を辿るか。それは次回で。
(注1)【留守陣に敵人の妻妾を……】マシゲル部のアイルに赴いて、アンチャイを捕らえたこと。第三 九回②参照。
(注2)【令徳】徳。美徳。善行。
(注3)【君は「万人長の中の万人長」……】ヒィ・チノがインジャに帰投したとき、これに与えたさまざまな特権のひとつ。戦地にインジャがないときは、みなヒィ・チノに従うよう定めた。第一六八回①参照。




