第一 九回 ②
ヒスワ策を定めて四方に上卿を遣わし
コルブ弓を競べて草原に奸人を見る
ヒスワは頃合いを見て、ワラカンに先の遠交近攻の計略を説いた。ワラカンは始めはそれを退ける素振りを見せたが、やがて丸め込まれて分不相応な大望を抱くに至った。ついにはヒスワを上卿に任命してことを委せたのである。
「これでワラカン様は、生きては国祖ジュチ・ドルチに並ぶ名声を獲得し、死しては青史に名を止めるでしょう。国は中興の祖あってなお栄えるものです。千年の計を定めなされませ」
そう言って退出すると、ほくそ笑みつつベルダイ右派のアイルへ向かったのである。一介の庶民だったヒスワが、なぜこのような大それた計画を実行しようとしているのか、それは判然としないが、ともかく事態は動きはじめたのであった。
ヒスワはベルダイから帰ってくると、サルカキタンの使者をワラカンに引き合わせて、事の次第を報告した。使者は拱手して言った。
「大人は神都の元首の仁を慈雨とし、勇を太陽とし、手綱を預ける所存でございます。走狗となって草原を駆けましょう」
これを聞いたワラカンは、殊の外喜んで言った。
「大人は一世の英雄、しかし近年は機運に恵まれず、まだ乳臭い小僧どもにいたずらに名を成さしめてしまったが、まことに遺憾である。これからはともに手を携えて、高慢な小僧どもにひと泡吹かせようぞ」
ヒスワが右派の使者によくよく言い含めて、
「大人がとりあえず為すべきことは、軍を立て直すことです。うち続く敗戦で兵の数が不足しているでしょう。そこで壮丁はこれを鍛錬し、四散したものはこれを収拾し、小族野盗の類はこれを招致し、戦を後にし、和を先にすることが肝要です。焦ってはなりません。『大計は一日にして成らず、大功は春秋を厭わぬもののみが得る』と謂います。そう大人によくお伝えください」
使者が必ず伝えますと言ったので、金銀を持たせて草原に帰した。
そのあと左右の大臣とクシュチを召集し、計略について諮った。いよいよ実行の算段である。やはりヒスワが、ほかのクシュチを前に口を開いた。
「これは国家の大計である。諸卿に与えられた責務は重大であるぞ。よくよく遺漏なきよう努められよ」
今やすっかりクシュチの筆頭格、余の七人も神妙な顔で耳を傾ける。その顔ぶれは、ビリク、ムルケ、ジエン、ハサン、ボルゲ、プラダ、グルデイの七人。
まず名を呼ばれたのはビリクとムルケ。
「卿らにはマシゲルへの工作をお願いしたい。公子マルナテク・ギィは、獅子と渾名される傑物ゆえ、くれぐれも怠りなく」
二人は黙って頷く。続いてジエンとハサン。
「卿らはタロトだ。妖人ジェチェンとその子マタージを欺くのだ。ウリャンハタが落ちればもっとやりやすくなろう。期待している」
ここで彼は少し間を置いたあと、力を込めて言った。
「そのウリャンハタへは私が自ら赴こう」
次にボルゲを指して、
「卿は単独でトオレベ・ウルチに会ってもらう。ハーンの野望を巧みに煽れ」
残るはプラダとグルデイ。
「プラダ、卿はナルモント部へ」
「ナルモント部?」
「そうだ。計は思わぬところから破れるものだ。後背を固めることは重要である。よいな」
「はっ」
ナルモント部とは神都の遥か東方に割拠する勇猛な部族である。神都から北へ向かったズイエ河は、そのうちに東に向きを変え、やがて垂直に南に下ってくる。そのズイエ河に囲まれた平原が彼らの版図である。
西からの敵は大河が喰い止めてくれる神都も、東のナルモント部に対しては地続きで接している。
さて、グルデイは己の名が呼ばれないので、あわてて言った。
「私は何を?」
「おお、卿にはこの神都を託そう。ことごとく計が成っても動かす兵が使えなくては何にもならぬ。卿は将軍の経験もある。適任だ」
これを聞いてグルデイは俄然やる気を出す。ヒスワは満足してワラカンと両ヤルグチに向き直ると、拱手して言った。
「万事抜かりなく手はずを整えますから、案ずることはありません。我らクシュチにお委せください」
ワラカンは満悦の体で、
「うむうむ。それにしてもお前ほどの知恵者は見たことがない。今日からセチェンと称するがよい」
「はっ、ありがとうございます」
そう言ってヒスワはにやりと笑った。奇しくもゴロに替わって、ヒスワがセチェンと称することになったのである。