第一八五回 ③
ムカリ盤天竜より遁れて衛天王に遭い
インジャ四頭豹を追いて堅石盟を派す
無論、カントゥカはすぐに追撃の命を下す。キレカやソラも合流して残敵を掃討しつつ、何よりムカリを追う。しかしいまだかの猛将の命数は尽きておらず、ついにこれを取り逃がしてしまった。
とはいえ、忌まわしき正統ウリャンハタ部の軍勢を、ほぼ壊滅させる空前の大勝利。すべてはアサンの先知の賜物。まさに兵法に謂う「先に戦地に処りて敵を待つものは佚し、後れて戦地に処りて戦に趨くものは労す(注1)」といったところ。カントゥカはこれを激賞して、すぐにインジャに捷報を送った。
この大戦果に本営はおおいに沸いた。先に届いた獅子ギィのそれ(注2)と合わせて、中央のみならず東西においても勝利を得たからである。いよいよ約会の地を定めて南進することにした。
選ばれたのはクフ平原。かつて神風将軍アステルノが降った地(注3)である。麒麟児シンの兵から順次進発する。飛生鼠ジュゾウや神行公キセイといったものどもは、広く斥候を放って四頭豹たちの所在を探索する。
その間にも帷幄の謀臣たちは、さまざまに智謀を巡らす。例えば獬豸軍師サノウが策を献じて言うには、
「三色道人を調略して叛かしめれば、四頭豹の右腕を捥ぐことになりましょう」
インジャは難色を示して、
「かのものはヤクマンの宿将。音に聞く人となりを鑑みても、まさか叛旗を翻すとは思えぬ」
しかし百策花セイネンもまたサノウを支持して、
「試みる価値はありましょう。たとえ不首尾に終わっても、敵人の心を乱すことができれば」
「ううむ……」
インジャは迷って、超世傑ムジカを召す。事を諮れば即座に異を唱えて、
「おやめなさい。彼は志操堅固な良将。一敗地に塗れたくらいで、その節を枉げることなどありますまい」
なおもサノウは未練があるようだったが、
「三色道人を調略など、嗤われるだけです。ハーンが恥を被りますぞ」
強く諌止したので漸く諦める。インジャは大きく頷くと、ムジカはもとより、策を献じたサノウもともに賞したが、くどくどしい話は抜きにする。
北軍はクフ平原に徐々に集結する。ギィの第七翼や、カントゥカの第五翼も到着した。うち揃った兵を算えれば、およそ十三万五千。ヴァルタラの激戦で一割ほど失ったが、敵の損失のほうが遥かに大きい。
そこへジュゾウから朗報が届く。ついに四頭豹らの所在を把んだのである。諸将一堂に会した軍議の席上、ジュゾウはやや昂奮した様子で言うには、
「四頭豹をはじめ、三色道人、飛天道君など、主だった将はすべて一所に固まって陣を布いています!」
堪らず呑天虎コヤンサンが大声で尋ねて、
「おお! それは何処ぞ!」
「ここより南西二百数十里、ツァビタル(黄白色の意)高原だ!」
一同ざわめいたのは、来るべき決戦を想って昂揚したもの。インジャはそれを制して、地理に詳しい知世郎タクカと、旧の牧地が近い紅火将軍キレカに地勢を問う。まずタクカが言うには、
「そこは南原の懐とも言うべき土地。なだらかな傾斜があり、漠土に近いため草は少なく、大半は土が剥き出しになっています」
またキレカが続けて、
「傾斜はたしかに緩やかですが、その地形は大きく二段を成しています。一段目、二段目ともに広範で、大軍を置くに充分な広さがあります。そのまま南方に続いて、最奥には中華の長城が築かれているはずです」
それを聞いて、好漢たちはますます勇躍する。四頭豹に加担する憎き中華の名を耳にしたからである。癲叫子ドクトが叫んで、
「一気呵成に四頭豹を破って、そのまま長城を越えてやろうぞ!」
さすがにそれは壮語が過ぎたものの、心情としてはみなその言葉を善しとした。サノウ独りが莞爾ともせず言うには、
「まずは眼前の四頭豹です。一所に在るなら、これを押し包み、殲滅いたしましょう」
声を荒らげるでもなく静かに告げる。諸将は、その抑揚のない平板な口調の中に、かえってこの一戦に懸ける強い思いを感じ取って、一様に襟を正した。
編成を一部改めてクフ平原を発つ。先鋒は、ムジカとギィ。これに続くのは、神箭将ヒィ・チノの大軍。すなわち「チェウゲン・チラウンの盟(注4)」を結んだ三人のハンが、揃って先駆けの栄誉を担う。
そして中軍たるインジャの第一翼。先頭を征くのは、鉄鞭のアネク・ハトン。碧睛竜皇アリハンの兵がうち続く。後衛にはウリャンハタ勢。第五翼、第六翼である。さらに後方にて輜重を守るのは、例によって王大母ガラコの第八翼。キレカの第四翼がこれを支援する。
いつものように神速の将を先鋒としなかったのは、高地に攻め上る戦が予想されたからである。傾斜を上れば、どうしても足は落ちる。それを押して速攻を試みても、いたずらに兵が疲れるばかりで益が少ない。
よって速攻に拠らんよりは、堅実かつ自在に兵を運用できる将を配すべき、という蓋天才ゴロの進言が採られたもの。
アステルノとシンには、別の重要な任務が与えられることになった。
(注1)【先に戦地に処りて……】戦場には先に着いたほうが、ゆとりがあるので有利であるということ。「佚」は「逸」に通じて、楽しむ、のんびりする。安佚。
(注2)【ギィのそれ】梁軍の架けた「討胡橋」を焼き、また鬼頭児率いる梁軍を撃ち破ったこと。
(注3)【アステルノが降った地】第一次の南征中のことである。第一一五回①、および第一一五回②参照。
(注4)【チェウゲン・チラウンの盟】チルゲイの斡旋で、ヒィ・チノ、ムジカ、ギィが結んだ盟友の誓い。第四 一回②参照。




