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草原演義  作者: 秋田大介
巻一三
737/785

第一八五回 ①

ムカリ盤天竜より(のが)れて衛天王に遭い

インジャ四頭豹を追いて堅石盟を派す

 さて、四頭豹との合流(ベルチル)を画する亜喪神ムカリは、対岸に展開している衛天王カントゥカらを欺こうと一計を案じた。すなわち、偽兵を配して敵人(ダイスンクン)の耳目を集め、その隙に別途中原に入ろうというもの。


 しかし知世郎タクカはその意図(オロ)をたちまち看破、牙狼将軍(チノス・シドゥ)カムカを()って大軍が布陣したように装わせた。そうとは知らぬムカリは、てっきり策計が的中(オノフ)したものとて、隠れていた渓谷(ヂェブル)を飛び出した。


 そしてついに全軍を率いて渡河を果たす。二日ほど駆けたが、まったく敵影がない。さては衛天王を欺きえたかと、やや安堵する。やがて険しい(ケルテゲイ・)丘陵地(ウンドゥル)に差しかかる。ここを過ぎれば道程の半ば(ヂアリム)を超えたも同然、意気揚々と踏み込んだ。


 ところが、その前衛(アルギンチ)が丘陵地を抜けた途端、予期せぬ攻撃を受けた。驚くうちに左右の(ドブン)にも伏兵が忽然と湧いて矢の(クラ)を降らせる。あわてて退かんとすれば、何と退路も(ふさ)がれている有様。


 これを襲ったのは、もちろんカントゥカ(ひき)いる北軍第五翼。聖医(ボグド・エムチ)アサンの神智が冴えわたり、敵軍(ブルガ)の行路を完全(ブドゥン)に読みきって待ち構えていたのである。


 左右の伏兵を率いるのは、渾沌郎君ボッチギンと赫彗星ソラ、後方を扼したのは紅火将軍(アル・ガルチュ)キレカの第四翼。四面ことごとく囲んで、猛攻を浴びせる。ムカリの兵衆は、(ホニ)を解体するようにみるみる失われていった。


 ムカリは幾度か正面からの突破を試みたが、滞留する味方(イル)の人馬が障壁となって思うように動けない。かっとして俄かに反転すると、後方に活路を求めた。そこで見たものは、悪鬼(チュトグル)のごとく暴れ回る盤天竜ハレルヤの巨躯。ムカリは(ニドゥ)(みは)って、


「いかん、奴だけはいかん!」


 強く手綱(デロア)を引いて来た(モル)を戻らんとするも、ハレルヤに目敏(めざと)く見つけられる。


「おお、亜喪神ではないか。久しぶりに遊んでやるぞ」


 言うや否や大馬(トビチャグ)がどうんと跳ねて、たちまち眼前に降り立つ。今さら(ノロウ)を向ければ、瞬時(トゥルバス)に大刀の餌食となるばかり、心を決めて闘う(カドクルドゥクイ)ほかない。ムカリは爛々と目を(いか)らせて、


過日(エルテ・ウドゥル)の俺(注1)と同じ(アディル)と思うなよ!」


 そう(うそぶ)いたが、声音の奥に僅かに怯懦(カリタリル)の色が雑じる。ハレルヤはそれを知ってか知らずか、ふふんと(わら)うと、


よし(サイン)。では死闘せん(ウクルドゥイエー)


 とて、大刀をだらりと()げたまま、おもむろに間合いを詰める。ムカリは怒り(アウルラアス)心頭に発して、


「侮りおって! 後悔するなよ」


 高々(ホライタラ)と戦斧を掲げて、うおおと雄叫びを挙げる。並のもの(ドゥリ・イン・クウン)ならば、その(ダウン)を聞き、姿(カラア)を見ただけで(ビイ)(すく)み、戦意を喪うところだが、ハレルヤは涼しい(ヌル)で、


()えるな。撃ってこい」


 ムカリは激昂(デクデグセン)して身を沈めるや、(アクタ)に気合いを入れてまっしぐらに突進する。この難敵に様子を探る余裕などないとて、初手から必殺の奥義を繰りだす。


 があん、と(カタン)が打ち合う音が轟く。ムカリ渾身の一撃も、ハレルヤが軽々と弾いたのである。


「ちぃっ!! これならどうだ!」


 重さ数十斤の戦斧を、まるで(ホルサン)(タショウル)のごとくびゅんびゅんと振り回して、縦横斜めと問わず、乱れ打ちに斬撃を浴びせる。


「ほう」


 ハレルヤの目が僅かに見開く。しかし大刀をひらりひらりと舞わせて、ことごとく防ぎきる。再び両騎が離れたとき、ムカリは顔を真っ赤にして荒い(アミ)を吐いていたが、ハレルヤのほうは汗ひとつ掻いていない。それどころか左手を手綱から放してすらない。


「なるほど、少しは上達したようだ」


 ハレルヤが笑いかければ、ムカリはぞっとしておもえらく、


「俺とて決して人後に落ちるものではないと自負しているが、こいつと衛天王だけは人の間尺では測れぬ。まことに常軌を逸した人外の(ともがら)だ」


「どうした、もう終わりか。ならば、俺から参るぞ」


 そう言うと、ゆらりと大刀の尖端を立てる。はっとする間もなく、次の刹那には刃先がするすると空を滑って、ムカリの頸脈(スヂャス)に迫っていた。


「わっ、わっ、わっ!」


 あわてて()け反り、戦斧を旋回させて辛うじてこれを弾く。常人ならば、すでに(アミン)を失っていたところ。


「さすがは亜喪神、やるではないか!」


 ハレルヤは嬉々として次の一手を放つ。これもまた速く、強く、正確無比な一撃。何とか(かわ)したが、まるで生きた心地がしない。


「こ、こ、これでは命がいくつあっても足りぬ」


 ムカリは焦燥に駆られて、どうにかこの場を離脱(アンギダ)できぬものかと無い智慧を絞る。あれこれと考えを巡らせたあげく、(にわ)かにハレルヤの後方を指して、


「あっ!!」


 と、叫び声を挙げる。そうして今だとばかりに猛然と戦斧を振り上げたが、かかる児戯に盤天竜ともあろうものが騙されるわけもない。一瞬たりとも視線を外すことなく、呵々と嗤って、


「おいおい、がっかりさせるな……」


 言いかけたところで、はっと息を呑む。

(注1)【過日の俺】かつてムカリは、ハレルヤに一騎討ちを挑んで、まるで(かな)わなかった。12年前のことである。第八 三回③参照。

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