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草原演義  作者: 秋田大介
巻一三
736/785

第一八四回 ④

義君ヴァルタラに四頭豹の影を(とら)

聖医ガハインに亜喪神の策を量る

 ()いてくるなと言われたシャギチは不満げに答えて、


「全軍を保って相国(サンクオ)合流(べルチル)する以上に重要な任務(アルバ)などありましょうや。将軍は私を(たの)みとしないおつもりか」


「何を言う。むしろもっとも信頼ある(イトゥゲルテン)お前にしか(たの)めないことなのだ」


「それはいったい何でしょう?」


 ムカリはぬっと(ヌル)を寄せると、(ダウン)を潜めて言った。


「カンを護って俺とは別の方角から中原に入り、ダナ・ガヂャルまで届けてほしい。そこにジャンクイ・ハーン(注1)が兵難を避けてオルドを構えている。このことは余人には(まか)せられぬ」


 これを聞くやたちまち了承して、


承知(ヂェー)。必ず送り届けましょう」


「嘱んだぞ。カンを預けたら速やかに相国の下に参れ」


はい(ヂェー)。お互い無事に相見(あいまみ)えましょうぞ」


 主従というより盟友(アンダ)に等しい二人は、再会を約して別れた。シャギチはヂュルチダイを伴って、まずはイシへ赴いた。そこで隊商に扮して中原を目指す。彼らがダナ・ガヂャルに達したかどうかは、のちに述べることにする。




 さて、ムカリである。兵を隠しておいた渓谷(ヂェブル)を発つと、一路メンドゥ(ムレン)を指す。周囲を怠りなく警戒しながら疾駆(ツォギオ)したが、幸いにして誰にも遭わなかった。


「ますます好い(サイン)。テンゲリの(たす)けがある」


 ほくそ笑んで、さらに兵を急がせる。無事に河岸(エルギ)に達すると、斥候(カラウルスン)を先に()って渡渉させる。騎馬のまま支障なく渡れることはもちろん、辺りに敵影がないことも判ったので、いよいよ喜んで全軍に渡河を命じた。


 対岸に着いたものから速やかに離れて、とある平原(タル・ノタグ)に参集させる。隊列(ヂェルゲ)を整えて兵を(かぞ)えれば、一騎たりとも欠けていなかった。


「好いぞ、好いぞ。あとは南原まで駆けるばかりだ」


 俄然昂揚して進発の(カラ)を下す。しかし気は(はや)れども、行く先は遙か彼方。まだ無事に辿り着くと決まったわけではない。征くべき道程は数百里、最初の二日間は何ごとも起きなかった。万が一に備えて始終気を張りつめていたが、(ようや)く安堵を覚えはじめる。


「児戯に等しい愚策だったが、好運にも衛天王の(ニドゥ)を欺いたらしいぞ」


 三日目が明けて意気揚々と出立する。旌旗(トグ)(サルヒ)を受けてはためき、刀槍は陽を浴びて(きら)めく。遮るものなき広大な草原(ハブタガイ・ケエル)を、二万数千の騎兵が堂々と駆けていく。ムカリも溌溂たる心地で(アクタ)を駆りながら、それでも内心おもえらく、


敵軍(ブルガ)はおろか、斥候らしきものすら見当たらぬ。だが彼奴らを侮ってはならん。たとえ今は敵影が見えなくとも、間道があれば間道を通るべきだ。もうすぐ険しい(ケルテゲイ)丘陵地がある。大軍ゆえ迂回したほうが速い(クルドゥン)には違いないが、その合間を縫って行けば、発見される危険(アヨール)を冒さずに道程を稼げるというものだ」


 いざそこに至ると、ムカリの軍勢は縦列となって踏みこんでいく。左右に小高い(ドブン)が連なっていて、たしかにこれならば遠くから見つけられることはない。


「何から何までうまく運んでいる。ここを抜ければ、道程の半ば(ヂアリム)は消化したようなものだ」


 ムカリは自らの選択に満足して、呵々と笑った。


 ところが、まもなく丘陵地を抜けようというときに異変が起こった。すでに前衛(アルギンチ)たる三分の一ほどの兵は平原に出ていたが、(にわ)かに混乱に(おちい)って右往左往、怒号やら悲鳴やらが交錯する。まだ後方を進んでいたムカリは、わけがわからぬままに、


「どうした? 何があった」


 問いかけたが、もちろん誰も答えられない。そこに急使が馳せてきて、


「敵襲! 敵襲! 丘陵地を抜けたところで敵が待ち構えておりました!」


 その報告が終わるのを待っていたかのように左右の丘の上にどっと旗が林立し、割れんばかりに金鼓を打ち鳴らして伏兵が姿(カラア)を現す。驚くうちにも驟雨(クラ)のごとく矢が降り注いで、味方(イル)はばたばたと(たお)れる。


「しまった! むしろ我が行程は完全(ブドゥン)に読まれていたか」


 ムカリは瞬時(トゥルバス)に青ざめる。しかしそこは草原(ミノウル)に冠たる猛将(バアトル)、たちまち気を取り直して兵を叱咤する。即座に反転してまずは伏兵の攻勢を逃れようと図ったが、そこにまた急使が至って、


「後方より敵襲! 退路はすっかり(ふさ)がれております!」


「な、何だと……」


 怠りなく(モル)を択んだつもりだったが、その実は自ら隘路(あいろ)に飛び込んで挟撃を招いたことになる。ムカリは己の失策(アルヂアス)を悔いたが、もはや寸刻の猶予もない。


「前だ、前に進め!! 進んで血路を開け!!」


 あらんかぎりの声で叫ぶと、戦斧を掲げて馬腹を蹴る。兵衆もわっと喊声を挙げて、遅れまいと従った。というのも、この猛将に蹤いていくほかに選択の余地がなかったからではある。


 しかしほどなくして進むことも退くことも難しくなった。出口を扼されて激しく攻められていたため、殺到した人馬が密集して行くところがなかったのである。動けぬ騎兵など単なる(バイ)に過ぎない。端から次々と討ちとられていく。


「何たることだ!」


 これこそまさに「前門の(チノ)、後門の(カブラン)」。大仰な異名も虚しく、今や狩りの(ゴロスエン)獲物(・ゴルウリ)のごとく進退極まることとなった。いつになく姑息な策を弄してはみたものの、真のセチェンに通じるはずもなく、かえって命旦夕(たんせき)に迫る。果たしてムカリを襲ったのは何処の軍勢だったか。それは次回で。

(注1)【ジャンクイ・ハーン】ヤクマン部ハーン。公式にはトオレベ・ウルチと梁公主の子だが、実父は四頭豹ドルベン・トルゲ。インジャの南征を受けて、オルドを(うつ)した。第一七九回①参照。

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