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草原演義  作者: 秋田大介
巻一三
735/785

第一八四回 ③

義君ヴァルタラに四頭豹の影を(とら)

聖医ガハインに亜喪神の策を量る

 アサンの言葉(ウゲ)に、みなおおいに驚く。カントゥカが尋ねて、


「お前だけが亜喪神は(ホイン)から来ると言う。根拠は何だ」


 射るような視線にも臆することなく、淡々と()べて言うには、


()()()()()()()。誰もが亜喪神は(ウリダ)から渡るに違いないと考える。()()()()()()()()、北から渡るのです」


 ボッチギンが感心して言うには、


「ふむ。『千里を行きて労せざるは、無人の地を行けばなり』というわけか」


はい(ヂェー)並の将(ドゥリ・イン・クウン)であれば、どうにかして南原への最短の(モル)を行こうと思うもの。しかし一見迂遠に見える道こそ、実はもっとも危険(アヨール)が少なく、結果としてもっとも近い(オイル)と考えるのが良将というものです」


「なるほど、『迂をもって直と為す』か」


 再びボッチギン。アサンはひとつ頷いて、


「そしてみなの知るとおり、亜喪神は並の将ではありません」


 しかしカムカが異を唱えて、


「だが北に向かえば、我が留守(アウルグ)を預かる胆斗公(スルステイ)や、タムヤの通天君王の哨戒網に(かか)るやもしれぬ。必ずしも危険が少ないと断じることはできまい」


 アサンは動じるどころか、莞爾と微笑んで、


然り(ヂェー)。そこで顧みるべきは、亜喪神が偽兵を置いたガハイン丘陵。イシより北へ二百里(注1)……。みなさんはどう思われますか。私は、陽動に用いるにはいささか半端なところに兵を配したものだと感じましたが」


「半端?」


 ヒラトが訊き返せば、


はい(ヂェー)。仮に亜喪神が南から渡河せんと図ったとしましょう。ならばもっと北方に我らの耳目を惹きつけたほうがよろしくありませんか。それこそ牙狼(チノス・)将軍(シドゥ)が言ったように、いっそ胆斗公殿や通天君王殿に見つけてもらって、彼らの(アマン)から報せてもらったほうが、信憑(しんぴょう)が増すというものです」


 まったくアサンの言うとおりである。みな感心して言葉を返すものもない。


「よって亜喪神は、()()()()()()()()で、かつ辛うじて()()()殿()()()()()()()()()、また流れが浅く()()()()()()()()箇所を定めて渡河するに違いありません。どうです、知世郎。そのようなところがありますか?」


 タクカに問えば、しばし考えていたが、やがてはたと膝を打って、


「ある! たしかにあるぞ。タムヤとガハインのほぼ中間(オルゴル)(ムレン)が緩やかに湾曲しているところがある。そこなら騎馬での渡河に(さわ)りないはず。渡れば赫彗星が与えられた牧地(ヌントゥグ)の北側、マシゲルの冬営(オブルヂャー)たるケルテゲイ・ハルハの西方(バラウン)に出る。大軍を整えるのに適した平原(タル・ノタグ)もある」


 やや興奮して早口に語る。カントゥカは断を下して言った。


好し(サイン)! 迎撃の算段をせよ」


承知(ヂェー)!」


 諸将は(ダウン)を揃えて拝命する。


 友軍(イル)を率いるキレカにこのことを伝えれば、喜んでハレルヤたちとともに合流(ベルチル)を果たす。南方には奔雷矩(ほんらいく)オンヌクドと活寸鉄メサタゲの千騎(ミンガン)を残すのみ。余の軍勢はすべて連れてきた。赫彗星ソラが勇躍(ブレドゥ)して言うには、


「俺がハーンより与えられた牧地を(かす)めようとは、あの小僧(ニルカ)(ゆる)すまじ」


 戦地の地勢に詳しいこともあって、先駆け(ウトゥラヂュ)を命じられる。


 また先にタクカが進言したとおり、カムカとガネイは三千騎を率いて、ガハインの対岸に布陣する。十倍の(トグ)を立て、十倍のゲルを並べて、全軍が至ったかのごとく装う。彼らは、亜喪神渡河の報を得たら、ただちに対岸に渡ってガハインの小敵を掃討し、その後は南進して奔雷矩らと南方を哨戒する手はずとなっている。


 こうして万端整えて進軍を開始する。ところがヒラトが不安げな様子で、


「亜喪神はまことに現れるだろうか。もし予測(ヂョン)に反して南路を通るようなことがあれば……」


 すると併走するアサンが遮って、


「そのときは私が天下の笑いものとなるだけです。ハーンの期待に応えられなかった責も、私一人が負いましょう」


「だが……」


「それに不謹慎ではありますが、よしんば亜喪神の渡河を許したとて、形勢が大きく変わるわけではありません。これを撃てれば良し、逃せばこのたびは敵人(ダイスンクン)の智恵が上回ったというだけのこと」


 そう(うそぶ)いて涼しい(ヌル)をしている。ヒラトがなおも何か言い返さんとしたところ、前を行くカントゥカが(にわ)かに振り返って、


「うるさいぞ、潤治卿。それだけ聖医(ボグド・エムチ)は己の予測に自信があるのだ。それがわからんのか」


 ヒラトははっとしてあたふたと謝罪したが、アサンはそれも制して、


「潤治卿殿の懸念は、まさにセチェンのそれ。何を謝る必要がありましょう。まあ、もし予測が外れたら、奔雷矩殿か活寸鉄殿があわてて駆けてくるでしょうね」


 とて、からからと笑ったが、くどくどしい話は抜きにする。




 一方、亜喪神ムカリの(もと)には、ガハイン丘陵に在るフフブルから早馬(グユクチ)が至った。ある(ウドゥル)対岸を望めば、無数のゲルが並びはじめ、二万から三万になんなんとする兵が(トイ)を張ったとのこと。ムカリは雀躍してシャギチに言った。


「おお、どうやら(ブルガ)蜥蜴(せきえき)(セウル)に飛びついたらしいぞ。俺は全軍を率いて、かねて目を付けておいたところから河を渡る」


幸運(クトゥグ)(めぐ)ってまいりましたな」


 シャギチも興奮を隠せない様子。対してムカリが何と言ったかと云えば、


「お前はともに来なくてよい」


「えっ、今何と?」


 瞠目して問えば、


「お前にはほかに重要な任務(アルバ)を与える」

(注1)【二百里】この時代の一里は約800m。すなわち二百里はおよそ160kmとなる。

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