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草原演義  作者: 秋田大介
巻一三
733/785

第一八四回 ①

義君ヴァルタラに四頭豹の影を(とら)

聖医ガハインに亜喪神の策を量る

 さて、南北併せて二十万騎を超える大軍が死闘を繰り広げた第二次ヴァルタラの役は、ついに最終局面を迎えつつあった。ここで(ソオル)を振り返れば、みっつの段階があったことに気づくだろう。


 まずは義君インジャが北軍を率いて平原(タル・ノタグ)に進入する。先鋒(アルギンチ)神風将軍(クルドゥン・アヤ)アステルノがグゼイ(アウラ)を落としたところで、一帯にクリエンを形成した。


挿絵(By みてみん)


 次いで、周辺の丘陵(ウンドゥル)に伏せていた四頭豹ドルベン、三色道人ゴルバンら南軍が一斉に姿(カラア)を現し、北軍を包囲(ボソヂュ)して猛攻を加える。また急通貫イヒトバン、吸血姫ハーミラに東西からインジャの本営(ゴル)を急襲させて、その(アミン)を狙う。


挿絵(By みてみん)


 最後に、「大鵬(ハンガルディ)の翼」として神箭将(メルゲン)ヒィ・チノ、麒麟児シンらが大軍を率いて遠来、これによって形勢はたちまち逆転、北軍の反撃が始まる。


挿絵(By みてみん)


 ここに至っては、四頭豹も三色道人も死地を逃れようと悪戦苦闘するばかり。その狡智も堅強も発揮するところがない。ただ殿軍を指名して一意に離脱(アンギダ)を試みる。しかし北軍にとっては宿敵を討つべき千載一遇の好機(チャク)。決して逃すまいとて、総力を挙げて執拗に追い(すが)る。


 三色道人ゴルバンと飛天道君トウトウは、兵を併せて南西の丘陵を越えようと図る。それを麒麟児シンと竜騎士カトメイが猛追する。また、チンラウト軍を破った一角虎(エベルトゥ・カブラン)スクが丘陵の(ウリダ)へ先回りして、その退路に立ち(ふさ)がる。


 北方(ホイン)に取り残されたゴルバン・アンクは、王大母ガラコと碧晴竜皇アリハンに前後から攻撃されて、為す術もなく殲滅(ムクリ・ムスクリ)された。


 東方(ヂェウン)に大軍を展開していた四頭豹も、小金剛モゲトと癲叫子ドクトに側背から突入されて散々に陣形(バイダル)を崩される。先まで正対していた超世傑ムジカらが、勇を得て押し返しはじめる。


 何より開戦より待機していた呑天虎コヤンサンが猛然と南進、その勢いたるや怒涛のごとく、竜巻のごとく、当たる端から屍の山(ウクレン・アウラ)を築く。


 さらには神箭将ヒィ・チノの精鋭一万五千が、万全の布陣で逃れてくる敵兵を掃討する。さすがの四頭豹も頽勢を(くつがえ)すことは望むべくもない。


 そのうちに方々から、四頭豹を殺した(アラアサアル)、あるいは(とら)えたとの報がもたらされる。もちろん四頭豹といえども実在するのはただ一人(ガグチャ)、すべてが真実(ウネン)ではありえない。


 これにはインジャをはじめ、獬豸(かいち)軍師サノウや百策花セイネンといったセチェン(知恵者)も困惑を強いられる。長旛竿(オルトゥ・トグ)タンヤンなどは、


「さては四頭豹とは一人ではなかったか」


 と、疑うほど。そこで四頭豹をよく知るヤクマン部の好漢(エレ)碧水将軍(フフ・オス)オラルが召される。本営に至って十数人の四頭豹を眺め回して言うには、


「みなよく似せてはいますが、別人です。言わば『(セウデル)』に過ぎません」


「影……」


 インジャの呟きに頷いて、


はい(ヂェー)。万が一に備えて、数多の影を養っていたのでしょう」


 恐るべきは四頭豹の周到、「智者の慮は利害に(まじ)う」とはまさにこのこと。セイネンが身を乗り出して言うには、


「感心しているときではありません。どこまでも追撃して、必ず四頭豹と三色道人を討ち取らねば……」


 それを制するように天仙母キノフが進言して、


(はや)ってはいけません。朝より戦っていた将兵は疲労の極にあります。十分な休養を与えるべきです。追撃は神箭将殿や麒麟児殿に(まか)せるのがよろしいでしょう」


 インジャはこれを善しとして、ただちに四方に早馬(グユクチ)を飛ばす。先にヴァルタラに展開していた三翼(ゴルバン・クリエン)の将兵は、コヤンサンの三千騎を除いて追撃には加わらず、グゼイ山の南側に集結した。


 なるほどキノフが言ったとおり、人馬ともに困憊してさらなる戦闘(カドクルドゥアン)には堪えられそうもない。その場でクリエンを形成して僚友(ネケル)からの朗報を待つことにした。




 それからヒィ・チノたちは南軍を追いに追って、百里の間に三度戦い、三度の勝利を収めたが、ついに四頭豹、三色道人、混血児(カラ・ウナス)、飛天道君などを擒えることはできなかった。


 しかし敵軍(ブルガ)に与えた損害は激甚、容易(アマルハン)に回復することはいかな四頭豹といえども困難であるように思われた。インジャは、凱旋したヒィ・チノたちを(ねぎら)い、また会戦に参加したすべての将兵を賞した。


 インジャたちはヴァルタラに十日ほど留まった。次の戦に備えるとともに、(ダイス)(ンクン)の動向を探り、また東西の情勢を確かめるためである。


 そこに東方に遠征していた獅子(アルスラン)ギィから、伝令として双角鼠(エベルトゥ・クルガナ)ベルグタイがやってきた。


 その言うことによれば、ギィの率いる第七翼は、ヒィ・チノと分かれたのちも東進して無事にカオロン河畔に到達した。そこには梁軍が架けた「討胡橋」なる忌まわしき橋がある。


 ギィは即座に命じてこれに(ガル)を放った。光都(ホアルン)にある梁兵はこれを目にしたはずだが、城内に籠もったままで阻止しようとするものもなかった。ギィたちは橋が焼失するのを見届けて、悠然と帰路に就いたとのこと。


 インジャたちはおおいに喜んだが、ベルグタイがさらに言うには、


「それだけじゃありませんぜ。帰途に梁の騎兵と遭遇したんでさぁ。一戦に撃ち破って、上将の首を挙げてやりましたぜ」




 彼らは名も知らぬが、このとき討ち取られたものこそ黒蟾蜍(こくせんじょ)こと卞泰岳。大仰な異名も虚しく、遥か塞外の地で生涯を終えることになったのである。


 鬼頭児と矮飛燕の両名は、悪運強く何とか光都(ホアルン)に逃げ込んだ。城代の江奇成らが憂え顔で出迎えたが、鬼頭児は敗戦の責を卞泰岳に転嫁して、ひたすら怒鳴り散らすばかりであった。

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