第一八四回 ①
義君ヴァルタラに四頭豹の影を擒え
聖医ガハインに亜喪神の策を量る
さて、南北併せて二十万騎を超える大軍が死闘を繰り広げた第二次ヴァルタラの役は、ついに最終局面を迎えつつあった。ここで戦を振り返れば、みっつの段階があったことに気づくだろう。
まずは義君インジャが北軍を率いて平原に進入する。先鋒の神風将軍アステルノがグゼイ山を落としたところで、一帯にクリエンを形成した。
次いで、周辺の丘陵に伏せていた四頭豹ドルベン、三色道人ゴルバンら南軍が一斉に姿を現し、北軍を包囲して猛攻を加える。また急通貫イヒトバン、吸血姫ハーミラに東西からインジャの本営を急襲させて、その命を狙う。
最後に、「大鵬の翼」として神箭将ヒィ・チノ、麒麟児シンらが大軍を率いて遠来、これによって形勢はたちまち逆転、北軍の反撃が始まる。
ここに至っては、四頭豹も三色道人も死地を逃れようと悪戦苦闘するばかり。その狡智も堅強も発揮するところがない。ただ殿軍を指名して一意に離脱を試みる。しかし北軍にとっては宿敵を討つべき千載一遇の好機。決して逃すまいとて、総力を挙げて執拗に追い縋る。
三色道人ゴルバンと飛天道君トウトウは、兵を併せて南西の丘陵を越えようと図る。それを麒麟児シンと竜騎士カトメイが猛追する。また、チンラウト軍を破った一角虎スクが丘陵の南へ先回りして、その退路に立ち塞がる。
北方に取り残されたゴルバン・アンクは、王大母ガラコと碧晴竜皇アリハンに前後から攻撃されて、為す術もなく殲滅された。
東方に大軍を展開していた四頭豹も、小金剛モゲトと癲叫子ドクトに側背から突入されて散々に陣形を崩される。先まで正対していた超世傑ムジカらが、勇を得て押し返しはじめる。
何より開戦より待機していた呑天虎コヤンサンが猛然と南進、その勢いたるや怒涛のごとく、竜巻のごとく、当たる端から屍の山を築く。
さらには神箭将ヒィ・チノの精鋭一万五千が、万全の布陣で逃れてくる敵兵を掃討する。さすがの四頭豹も頽勢を覆すことは望むべくもない。
そのうちに方々から、四頭豹を殺した、あるいは擒えたとの報がもたらされる。もちろん四頭豹といえども実在するのはただ一人、すべてが真実ではありえない。
これにはインジャをはじめ、獬豸軍師サノウや百策花セイネンといったセチェン(知恵者)も困惑を強いられる。長旛竿タンヤンなどは、
「さては四頭豹とは一人ではなかったか」
と、疑うほど。そこで四頭豹をよく知るヤクマン部の好漢、碧水将軍オラルが召される。本営に至って十数人の四頭豹を眺め回して言うには、
「みなよく似せてはいますが、別人です。言わば『影』に過ぎません」
「影……」
インジャの呟きに頷いて、
「はい。万が一に備えて、数多の影を養っていたのでしょう」
恐るべきは四頭豹の周到、「智者の慮は利害に雑う」とはまさにこのこと。セイネンが身を乗り出して言うには、
「感心しているときではありません。どこまでも追撃して、必ず四頭豹と三色道人を討ち取らねば……」
それを制するように天仙母キノフが進言して、
「逸ってはいけません。朝より戦っていた将兵は疲労の極にあります。十分な休養を与えるべきです。追撃は神箭将殿や麒麟児殿に委せるのがよろしいでしょう」
インジャはこれを善しとして、ただちに四方に早馬を飛ばす。先にヴァルタラに展開していた三翼の将兵は、コヤンサンの三千騎を除いて追撃には加わらず、グゼイ山の南側に集結した。
なるほどキノフが言ったとおり、人馬ともに困憊してさらなる戦闘には堪えられそうもない。その場でクリエンを形成して僚友からの朗報を待つことにした。
それからヒィ・チノたちは南軍を追いに追って、百里の間に三度戦い、三度の勝利を収めたが、ついに四頭豹、三色道人、混血児、飛天道君などを擒えることはできなかった。
しかし敵軍に与えた損害は激甚、容易に回復することはいかな四頭豹といえども困難であるように思われた。インジャは、凱旋したヒィ・チノたちを労い、また会戦に参加したすべての将兵を賞した。
インジャたちはヴァルタラに十日ほど留まった。次の戦に備えるとともに、敵人の動向を探り、また東西の情勢を確かめるためである。
そこに東方に遠征していた獅子ギィから、伝令として双角鼠ベルグタイがやってきた。
その言うことによれば、ギィの率いる第七翼は、ヒィ・チノと分かれたのちも東進して無事にカオロン河畔に到達した。そこには梁軍が架けた「討胡橋」なる忌まわしき橋がある。
ギィは即座に命じてこれに火を放った。光都にある梁兵はこれを目にしたはずだが、城内に籠もったままで阻止しようとするものもなかった。ギィたちは橋が焼失するのを見届けて、悠然と帰路に就いたとのこと。
インジャたちはおおいに喜んだが、ベルグタイがさらに言うには、
「それだけじゃありませんぜ。帰途に梁の騎兵と遭遇したんでさぁ。一戦に撃ち破って、上将の首を挙げてやりましたぜ」
彼らは名も知らぬが、このとき討ち取られたものこそ黒蟾蜍こと卞泰岳。大仰な異名も虚しく、遥か塞外の地で生涯を終えることになったのである。
鬼頭児と矮飛燕の両名は、悪運強く何とか光都に逃げ込んだ。城代の江奇成らが憂え顔で出迎えたが、鬼頭児は敗戦の責を卞泰岳に転嫁して、ひたすら怒鳴り散らすばかりであった。




