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草原演義  作者: 秋田大介
巻一三
731/785

第一八三回 ③

カー単騎独行して嚢中を探り

シン千里風馳(ふうち)して七星を()とす

 実のところ魏登雲は、草原(ミノウル)(はげ)しい(ソオル)()の当たりにして、すっかり気後(きおく)れしていた。出陣しようとしては、あれこれ理由を付けて逡巡する。青白い(ヌル)で腕を組み、黙然として(ニドゥ)ばかりぎょろぎょろさせる。


 そうするうちに、本営(ゴル)より敵軍へ突入せよとの合図がある。当然目にしたはずだが、なおも無言を貫く。副将の黒蟾蜍(こくせんじょ)こと卞泰岳は、居ても立ってもいられず言うには、


「将軍、相国の陣から……」


「解っておる! 機を計っているのだ!」


 殊更(ことさら)に声を荒らげて発言を遮ったので、卞泰岳はむっとして引き下がる。もう一人の副将、矮飛燕こと拓羅木公は阿諛便佞の徒、魏登雲の顔色を窺いつつ、


「さすがは鬼頭児様、戦機を見るに敏でいらっしゃる。この拓羅木公、ご下命あらばいつでも先頭に立って敵陣に突き入りましょうぞ」


「うむ……」


 それからまたしばらく、三人は戦況を観察する。いよいよ南軍の優位は明らかになり、北軍がこれを(くつがえ)すことは至難の業であるように映る。その間にも四頭豹の陣からは、たびたび下山を(うなが)す合図が送られる。拓羅木公は魏登雲にちらりと目をくれて、恐る恐る言うには、


「鬼頭児様。そろそろ参りませぬと、戦が終わったあとで(とが)められるのでは……」


「ううむ……」


 どうにも煮えきらない。卞泰岳は呆れて小さく溜息を()くと、何気なく遠方に目を()る。と、なぜか途端に吃驚して、


「あっ!!」


 叫び声を挙げる。ただならぬ様子に余の二人も驚いて、


「どうした、黒蟾蜍」


「何だ、何だ?」


 口々に問いかければ、目瞬き(ヒルメス)も忘れて、ぶるぶると震えつつ、


「あ、あ、あれをご覧なさい!」


 とて、西(バラウン)の彼方を指す。魏登雲と拓羅木公は(いぶか)しく思いつつ、言われるままに西方を見遣(みや)る。始めは何をそんなに騒いでいるのか判らなかったが、やがて二人の目にもそれが飛び込んでくる。


「あれは……、援軍か……?」


 拓羅木公が呟く。魏登雲が(まなじり)を吊り上げて、


「援軍だとして、南北どちらのものか!」


「亜喪神であろうか……」


 卞泰岳が言ったが、もちろん誰も答えられない。と、きょろきょろしていた拓羅木公が今度は(ヂェウン)の方角を指して叫んだ。


「あっ! あちらからも大軍が!」


 三人の梁将はみるみる青ざめる。魯鈍な彼らも、(ようや)く事態を悟りはじめていた。何となれば、ヴァルタラの東方には万を超える騎馬の大軍など、()()()()()()ありえなかったからである(注1)。魏登雲が、はっとして言うには、


「低地にある相国は、まだこの危機に気づいてないぞ」


 拓羅木公もおおいに狼狽(うろた)えて、


「いかがいたします? ざっと(かぞ)えるに敵の増援は併せて数万は下りますまい。このままでは平原を囲まれて逃れる術も……」


 卞泰岳が我に返って、


「退きましょう! 東北方に敵影は見えません。今ならまだ……」


 みなまで聞かずに魏登雲は令を下して、


退()け! 退け! 珪州(注2)に帰るぞ!!」


 先ほどまで鳴りを潜めていた梁軍は、慌ただしく撤退の準備にかかる。その様子を望見した四頭豹は、ひとつ舌打ちして、


阿呆(アルビン)どもめ、やっと(オロ)を決めたか。まあよい。これでフドウの小僧(ニルカ)命運(ヂヤー)尽きた(エチュルテレ)わ」


 四頭豹は、梁軍がついに重い腰を上げて、インジャの中軍(イェケ・ゴル)に突撃するものと思ったのである。そこで兵を叱咤して、さらに猛攻を加える。


 ところが、兵を(まと)めた梁軍は(ウリダ)には向かわず、あろうことか戦場とは逆の方角へと下っていく。四頭豹は愕然として、


「まさか離脱(アンギダ)を!? 何と怯懦(きょうだ)(注3)な!!」


 混血児(カラ・ウナス)ムライが(なだ)めて言うには、


「もとより(たの)みにならぬもの。なれどご懸念は無用、彼奴らがなくとも勝利は目前です。このまま殺し尽くす(ムクリ・ムスクリ)だけのこと」


 四頭豹はふうと(アミ)を吐いて気を鎮めると言った。


然り(ヂェー)夕刻(ヂルダ)までには決着するだろう」




 一方、ヘレゲイの梁軍を監視していたコヤンサンも、もちろんすぐに異状に気づいた。来るかとて身構えていると、動きだした敵軍はあっという間に丘陵(ウンドゥル)の向こうに消える(ブレルテレ)


 追って確かめるべきかとも思ったが、これが四頭豹の奸計なら迂闊に動かぬほうがよい。どちらとも決めかねてしばらく様子を窺っていたが、何か起きるわけでもない。(フムスグ)(しか)めて唸っていたコヤンサンは、わっと叫ぶと、


「ええい、面倒な! 自ら見てやろう」


 五百騎ばかりを従えると、猛然と丘陵を駆け上がる。よほどあわてて去ったらしく、いろいろなものが放置されたままになっている。不審に思いつつ辺りを見廻せば、遥かに遠ざかる梁軍を発見する。


「何だ、なぜ逃げる。勝っているのはお前らのほう……」


 と、そのときコヤンサンもまた魏登雲らが見たものを視界に(とら)えた。


「あれは! そうか、奴らは我が大鵬(ハンガルディ)の翼を見たのだな!」


 欣喜雀躍して転がるように坂を下ると、すぐに本営に伝令を送る。

(注1)【万を超える騎馬の大軍……】光都(ホアルン)に梁兵数万があるが、その大部は歩兵である。


(注2)【珪州】光都(ホアルン)のこと。梁軍はこれを得ると、名を珪州城と改めた。魏登雲は現在、征虜将軍にして珪州太守。第一六五回④参照。


(注3)【怯懦(きょうだ)】臆病で気の弱いこと。

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