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草原演義  作者: 秋田大介
巻二
73/783

第一 九回 ①

ヒスワ策を定めて四方に上卿を(つか)わし

コルブ弓を(くら)べて草原に奸人を見る

 ヒスワはサルカキタンの手厚い饗応を受け、翌日にはその使者を伴って神都(カムトタオ)に帰っていった。


 ゴロが追われてから神都(カムトタオ)は俄かにあわただしくなっていた。というのも、ヒスワが盛んに政治に容喙(ようかい)(注1)し、強引に軍備の増強を推し進めさせたからである。


 ここで神都(カムトタオ)について一度詳しく触れておくのもよいだろう。神都(カムトタオ)は先に述べたとおり、ジュレン部が支配する(バリク)である。


 ジュレン部は、かつて大興(耶律氏)のあとを受けて草原(ミノウル)に覇を唱えた強力(クチュトゥ)部族(ヤスタン)である。しかし(ウルス)を挙げて通商に傾注するうちに統制が弱まり、ついにその帝国は瓦解した。今の世を去ること約百年前(注2)のことである。


 その際、帝都(ハンバリク)である神都(カムトタオ)も放棄したが、やがて王族に若き英雄ジュチが出てその奪還に成功した。このジュチにも語るべきことはたくさんあるが、それは別の機会に譲ることとして、ここではその後の神都(カムトタオ)について述べよう。


 ジュチは神都(カムトタオ)に入ると、まず行政機構の改組に着手した。何とそれまでの遊牧帝国の体裁を棄てて、まったくの通商国家の形成を目指したのである。よって遊牧民(マルチン)にありがちな膨張政策を忌避し、防備は神都(カムトタオ)周辺に限定した。


「それ兵の数が等しければ、(アルバン)を守るものは(ネグ)を守るものに()かず」


 というジュチの言葉(ウゲ)が残っている。


 軍馬(アクタ)のカオロン渡河を禁じたのも彼である。


「カオロンの勢は、中華(キタド)長城(ツェゲン・ヘレム)に勝る」


 とは、これもまたジュチの言葉。


 またそれまでのハーンを長とする制を廃し、新たに元首(ドルチ)を置いた。ドルチは貴族の中から選挙で決められる。


 この点、クリルタイで選出されるハーンと差がないように見えるが、両者には実は大きな違いがある。ハーンが専制君主然としているのに対し、ドルチは貴族の筆頭というほどの権限しか持たない。


 まずドルチは軍を統率することがそもそもできない。軍は大院(クルイエ)で任命された将軍がこれを率いる。


 クルイエとは貴族で構成された大会議である。ドルチはこのクルイエで影響力こそあるが、原則してはその一員に過ぎない。何ごともクルイエを経ずに決まることはない。


 ドルチの下には左右の大臣(ヤルグチ)があってこれを輔翼する。ドルチがよほどの失政がないかぎり終身位であるのに対し、こちらは任期十年である。


 やはり選挙で選ばれ、再選は認められない。しかしよくできたもので、いつのころか左右のヤルグチに交互に就任すれば、同じものがずっとヤルグチであり続けることもできるようになった。


 さらにその下にはドルチが任命する八人の上卿(クシュチ)があり、クルイエの中核(ヂュルケン)を成す。急を要することについては、ドルチと二人のヤルグチにこの八人を加えた十一人で(はか)ることもある。


 これらの制度は、初代ジョチ・ドルチから次代サルデン・ドルチを経て、三代目のウラン・ドルチのころにほぼ完成した。


 ところで神都(カムトタオ)における貴族とは、前のジュレン帝国のそれとも隣国の梁のそれとも著しく趣を異にする。その大半は大商富豪(バヤン)が占めており、次いで建国の功臣の末裔、そして賞されるべき功を挙げたものなどが続く。


 だからほとんどのものは、貴族と云っても若いころに通商の経験がある。いや、むしろそれがないと一人前の貴族とは認められないのであった。ジュチも帝国存命のころに何度か西方へ赴いている。


 一方、軍隊はというと常に二万の兵が待機している。兵は代々世襲でよほどのことでもないかぎり一般に徴兵することはない。兵を供出する家は軍戸と呼ばれ、身分としては庶民(カラチュス)より低い。が、それを統べる将軍は貴族の中から選ばれる。


 さてこれでだいたい神都(カムトタオ)の、草原(ミノウル)にあっては風変わりな在りようがお解りいただけたであろうか。


「我々は西方の交易を生業とする小さな国々(ウチュゲン・ウルス)を範として、しかしそれとは比ぶべくもない規模の通商国家を建設するのだ。我が神都(カムトタオ)の名は、中華(キタド)はおろか遥か西方の異族(カリ)にもあまねく轟くだろう」


 ジュチは国是を定めたとき、そう言ったと伝えられている。




 くどくどしい話はそれまでにして本題に戻ることにする。現在のドルチは、ワラカンなる男である。この蓄財と女色にしか興味を持たないドルチの下で、神都(カムトタオ)の政治は腐敗の極に達しつつあった。


 賄賂、不正は日常のこととなり、庶民も銀錠(スケス)を積めば貴族に列せられ、ヤルグチやクシュチの位さえ売買の対象となっていた。


 クルイエには欺瞞と権謀が満ち溢れ、佞臣のみが幅を利かせていた。ゴロ・セチェンが貴族たるに相応しい(エド)を持ちながらこれに入らなかったのも、イェリ・サノウが仕官しなかったのも当然である。


 しかしヒスワは違った。神都(カムトタオ)一の富豪であったゴロのあとを襲った彼が、クルイエに勢を占めるのは容易(アマルハン)だった。ドルチをはじめとする高官に賄賂を贈り、言葉巧みに取り入るだけでよかった。

(注1)【容喙(ようかい)】横から口を出すこと。


(注2)【約百年前】現時点ではインジャが族長(ノヤン)になってから4年目、すなわち西暦では1203年。ジュレン帝国(ウルス)の崩壊は1097年、ジュチによる神都(カムトタオ)奪還は1101年である。

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