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草原演義  作者: 秋田大介
巻一三
724/785

第一八一回 ④

アステルノ嚆矢(こうし)を放って縦横に馳走し

アリハン鋭鋒を(くじ)いて泰然と聳立(しょうりつ)

 やや(ホイン)に後退したと見えたムジカには、またムジカの考えがあった。


善し(サイン)! 四頭豹の本隊がついに丘陵(ウンドゥル)を棄てて平原(タル・ノタグ)に出てきたぞ。我らを追い込んだと思っているのだろうが、今や軍師の大網(ゴルミ)(かか)ったのは彼奴のほうだ」


 傍ら(デルゲ)で指揮を輔ける(エメ)のタゴサを顧みて、


「もう少しの辛抱だ。堪えているうちに必ず大鵬(ハンガルディ)の両翼が至る!」


 たしかにここまではサノウの描いた大略のとおり。が、実際に自軍を大きく上回る敵軍(ブルガ)に囲まれて戦い続けるのはなかなかの苦難(ガスラン)。奇襲を受けてよりこの方、二刻ほども経っている、昼を過ぎて(ナラン)は僅かに西(バラウン)(うつ)る。


 黄金の僚友(アルタン・ネケル)たちは強大な敵を前に、互いに励ましあい、補いあってひたすら戦う(アヤラクイ)。兵書に謂う、「これを亡地に投じて然るのちに存し、これを死地に(おとしい)れて然るのちに生く」とは、まさにこのこと。誰もが勝利を信じて、死力を尽くす。


 一方の四頭豹も優勢に(ソオル)を進めていながら、もどかしい思いを禁じえない。完全(ブドゥン)包囲(ボソヂュ)した上で奇襲したにもかかわらず、容易(アマルハン)に崩れると看ていた北軍が崩れない。


 戦前の目算ではすでにこれを撃破して、インジャの首級を挙げているはずであった。付き従う混血児(カラ・ウナス)ムライに思わず言うには、


「超世傑と碧水将軍(フフ・オス)は抜きがたい。突破するべきは西方だ。三色道人ともあろうものが、寡兵を相手に何をもたついているのだ」


 ムライは答えて、


「敵の女将軍(※花貌豹のこと)は、寡兵を巧みに用いることに定評があります。しかしいつまでも戦えるわけではありません。河東公(※三色道人のこと)は堅実無比の名将、いずれ必ず敵を駆逐するに相違ありません」


「解っている。……解ってはいるのだがな」


()()()()()()()()()()、我が軍の優位は動きません。またいざというときのために、我々は『()()』を秘匿しているではありませんか」


 とて、にやりと笑う。四頭豹もふうと息を吐いて、


そうだな(ヂェー)、何ごとも備えておくものだ。かの『毒矢』をもってフドウの小僧(ニルカ)を葬らん」


 二人の言う毒矢が何を指すかはすぐに判ることゆえ、今は述べない。




 その西方にて闘い合う(カドクルドゥクイ)サチを援護しているアステルノには、ひとつの懸念があった。


「あの三色道人の用兵は手堅い。だがその麾下には厄介(ヤルシグタイ)な将が幾人もある」


 猛然とインジャの中軍(イェケ・ゴル)に突貫したイヒトバンもその一人だが、アステルノが憂慮したのはまた別のもの。伝令の将校を招くと告げて言うには、


「花貌豹に伝えよ。『飛天道君の()()に気をつけろ』と」


 そもそも戦いにおいては、「正をもって合し、奇をもって勝つ」と謂う。三色道人が用いるのはあくまで「正兵」だが、勝敗を決するべく繰りだす「奇兵」の(アルバ)を担うものこそ急通貫イヒトバンであり、飛天道君と称されるトウトウであった。


 伝令を受けたサチは、ひと言、


承知した(ヂェー)


 そう述べたきり。傍らの神道子ナユテが(アマン)を開いて、


「奇兵と云うが、いったいどのような……」


 するとサチは、


「こうした平原で打てる手など限られている。案ずるな。蒼鷹娘(ボルテ・シバウン)娃白貂(あいはくちょう)には、備えるよう伝えてある」


 ナユテは瞠目して、己の妻の将才に今さらながら感嘆する。


 そのトウトウは、余の友軍(イル)とともに正面からサチの軍勢を圧迫していたが、(にわ)かに崩れて、じりじりと後退していく。北軍第六翼の最前列には蒼鷹娘ササカがあって奮戦していたが、それを見て、


「敵の一角が崩れた! ここを破って三色道人かチンラウトの後背に廻り込めば……」


 勇躍(ブレドゥ)して突撃の(カラ)を下さんと身構えたが、そこでふと先に奇兵への備えを命じられたことに想到すると、大きく息を吐いて、


(あや)うい、殆うい。きっとあれは我らを誘う計略の類。考えてみれば、今いきなり崩れるなんてありえない」


 ササカはかえって兵衆の突出を戒め、この間隙を利して堅陣を組み直す。その様子を見たトウトウは、舌打ちして、


「欺かれなかったか。まあよい。次の計だ」


 そのまま退いて、一度乱戦の(ドゥグイー)を脱する。そうして西側から三色道人の本隊の後背を通って、ぐるりと北方に転じる。


「今や敵人(ダイスンクン)(ニドゥ)は南西しか見ていまい。西北から錐のごとく突入して敵を寸断してくれよう」


 首尾よく本隊の北面に至って、戦列(ヂェルゲ)を整える。じっと戦況を窺って、やがて言うには、


「おお。女将軍の兵衆と、東城の兵衆(※カトメイ軍)の間に看過できぬ隙があるぞ。そこに(くさび)を打てば、みるみる亀裂ができよう」


 喜び勇んで突撃に転じる。わっと喊声を挙げて躍り込んだところ、それを待っていたかのごとく一軍が立ち(ふさ)がる。先頭に立つ色白の小柄な将が叫んで言うには、


「おお、すべて大将軍の読みどおりだぞ! 罠に()まった野鼠(クチュグル)を逃すな!」


 誰あろう、これぞ娃白貂ジュチ・クミフ。(ウルドゥ)を掲げて真っ向から斬り込む。不意を襲ったつもりが、虚を衝かれたのはむしろ飛天道君。狼狽(うろた)えながらもしばらく戦っていたが、早々に退却(オロア)を決める。


 戦局を変えようと放った策をふたつとも封じられたトウトウは、やむなく退いて再び南西に兵を返す。


 まさに得がたきは名将の差配、狡智(ザリ)の魔手も乗ずるところなしといったところ。このことから小は義君の幕下に新たに異能の士を加え、大は苦境の渦中についに大鵬の翼を得ることとなる。果たしてヴァルタラ平原の決戦はいかなる顛末(ヨス)を辿るか。それは次回で。

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