第一八一回 ②
アステルノ嚆矢を放って縦横に馳走し
アリハン鋭鋒を挫いて泰然と聳立す
グゼイ山上の三千騎はみるみる掃討されていく。アステルノの戦には、遅滞も遺漏もない。過ぎたるもなく及ばざるもなく、もっとも速い道筋を踏んで戦果を挙げる。よって一刻も経たぬうちに制圧を完了する。チャダも小スイシも最期の一瞬まで四頭豹を待望しつつ、草原の露となった。
アステルノは兵をまとめると、そのまま山上に陣を布く。中軍にこれを報せれば、インジャはおおいに感心して言った。
「さすがは神風将軍! そのまま留まり、のちには自在に進退せよ」
早馬を返すと、各軍の戦陣を解いて、クリエンを形成するよう命じる。
実はこれも四頭豹を釣りだすための偽計。幕舎を仮設し、数多のゲルを建て、軍馬を繋ぎ止めたように見せながら、ひとたび号令が掛かれば即座に戦闘に臨めるよう、気は張りつめたまま。
ジュゾウやクミフ、アルチンといった慧敏なものどもが、怠りなく四周に目を配る。最初に異変を察知したのは、ムジカの下にある笑小鬼アルチン。細い眼をさらに細めて南の丘陵を観ていたが、あっと声を挙げると、
「ハン、ご覧ください! 丘の向こうから狼煙が!」
指差すほうを見遣れば、たしかに怪しげな煙が立ち上っている。ムジカはひとつ頷くと、
「諸方に伝令! まだ円陣は解くな。いつでも戦えるよう心構えだけはしておけ」
また同じころ、サチの陣営でも娃白貂クミフが、
「見て! 西の丘陵の奥から狼煙が上がっている!」
みながそれを視認する中、白日鹿ミアルンは独り東南の方角を顧みて、
「あちらからも狼煙が……。煙の様子を観るに、東南のものが先で、西のものはそれに応えるべく上げられたのでは……」
サチはこれを讃えて、
「然り、白日鹿の言うとおりだ。ということは、命令を発する四頭豹は東南にある。我らの敵は、おそらく三色道人」
クミフが告げて言うには、
「三色道人の麾下には名のある勇将が大勢あるとか」
サチは眉ひとつ動かさず答えて、
「敵人が誰であっても、我らの任務は変わらない。本営および竜騎士に伝令。将兵は待機」
忙しく早馬が行き交う。本営にてインジャが言うには、
「ここからが勝負だぞ。我らはあえて包囲の網に飛び込んだ。両翼の友軍が馳せ戻るまで、きっと守りきるのだぞ」
セイネンがやや青い顔で、
「もし、神箭将と麒麟児の兵が至らなければ……」
「信じることだ。戦いの日は伝わっている。必ず至る」
サノウが莞爾ともせずに言った。
「計画そのものは完璧。また神箭将と麒麟児には、それを遂行する能力がある」
すると鉄鞭のアネク・ハトンが嫣然と笑いながら言うには、
「大鵬が得物とするのは、大きな翼だけじゃないよ。長い嘴もあれば、鋭い鉤爪もある。翼がなければ嘴で突き、爪で抉ればいいのさ」
「ハトンはいったい何を……」
「不安がることはないって言ってるのさ! だいたい包囲されたと云っても、こちとら知ってて飛び込んだんだからね。奇襲なんてのは相手に読まれたら、奇襲でも何でもない。半ば失敗してるんだよ。じゃあ、恐れる必要なんてないじゃないか」
さすがはハトンでありながらジョルチに冠たる猛将、みなおおいに勇気づけられる。インジャは内心おもえらく、
「なるほど、先の南征にハトンがあれば、また違った結果を得られたかもしれぬ。かの雄心があって、初めて緻密な軍略も活きようというもの」
また麾下の諸将を思い浮かべれば、碧睛竜皇、超世傑、花貌豹、碧水将軍、竜騎士と、いずれも一軍を率いるに相応しい名将たち。漸く心は平らかになり、あとは敵の姿を索めるばかりとなった。
実際、サチの考えたとおり、北軍が至ってアステルノがグゼイ山に攻めかけた時点で、ヴァルタラ平原は四頭豹ドルベンと三色道人ゴルバン、加えてチンラウトの南軍にすっかり囲まれていた。それぞれ東南と西方の丘陵の陰に潜んで戦機が熟するのを待つ。
撒き餌としたチャダ軍が殲滅されて、北軍が戦陣を解いたのを確かめると、四頭豹は手を拍って、
「狼煙を上げよ! 馬に騎れ! ここでフドウの小僧を討ち取るのだ!」
長年かけて鍛えに鍛えた直属の三万騎は、精鋭中の精鋭。四頭豹の意のままに動く。隊伍を整えるや、一斉に旗を掲げる。喊声を挙げたかと思えば、どっと繰りだす。二万騎が四個の軍勢に分かれて、ムジカとオラルの第三翼に打ちかかる。
三色道人もまた令を下す。平原の西側に南北に連なる丘陵にずらりと布陣した勇将たちは、たちまち勇躍して与えられた役務を実行する。
もっとも北にあったのはゴルバン・アンク。その五千騎は平原の入口を扼するため、そろりと移動しはじめる。
その南にはドロアン・トイ。「七星将軍」の渾名を持つ剣技に長じた将である。若いながらに変幻自在の用兵の才があり、突入する友軍の側面を援護する。
誰よりも真っ先に疾駆していったのは、「急通貫」と称されるイヒトバン。能く進んで退くことを知らぬ真の猛将。これがインジャの本営を指して、まっしぐらに突っ込んでいく。
三色道人自身も堂々と丘を下って平原に進出する。正面のサチとカトメイの北軍第六翼に襲いかかる。
ともにこれを討つべく、トウトウの五千騎が南から出現する。これもまた「飛天道君」の異名を持つ侮りがたき良将。
最南端には禁軍を統べるチンラウト。もとは七卿に名を連ねた武芸に卓れた宦官である。その一万騎は一直線にグゼイ山のアステルノを駆逐せんと図る。




