第一八〇回 ④
タクカ戦地を挙げれば尽く雪辱を期し
スブデイ帰投を偽るも却って反間と作す
チャダ、魏登雲、小スイシは、跪いて命を待つ。ちなみに、草原の言語を解さぬ魏登雲のために、九声鸚こと耶律老頭もまた通辯として控えている。四頭豹は楽しげに告げて言うには、
「まずはチャダと小スイシ。ヴァルタラ平原の中央より少し南に下ったところに、平原をよく見わたせるグゼイ山という小高い丘がある。二人はここに三千騎を率いて陣を張れ。麓ではなく、必ずその頂を占めるのだ。旗を高々と掲げて、遠くからもよく見えるようにせよ」
「承知!」
チャダは即答したが、小スイシが恐る恐る尋ねて言うには、
「麓ではなく……。それでは平原に進入した敵人からもよく見えてしまいますが、よろしいので?」
四頭豹は僅かに眉を曇らせると、
「よい! なぜなら、ヴァルタラに至った敵の耳目をグゼイ山に集めることこそ、卿らの責務だからだ。私は意味のない指示はしない。くだらないことを訊くな」
小スイシはたちまち恐懼して非礼を詫びる。それを遮って、
「時が惜しい。黙れ。二人は敵影を認めたら、盛んに気勢を上げて挑発せよ。きっと一軍が攻めかかってくる。そのときは丘を下りることなく、留まって戦え」
「承知!」
「……お、お待ちを! 三千騎ではとても守りきれませぬ」
もちろん前者はチャダ、後者は小スイシ。四頭豹は不快も露に、
「守りきれなどと誰が言った。戦いが始まったら、私が手を打つ。お前はいちいちすべてを言わねば命に従えぬのか」
「いえ、とんでもない! どうかお赦しを……」
「赦しを請う暇などない。十日以内に布陣を了えよ。疾く行け! 行って為すべきを為せ」
「承知!」
二人が退出すると、残ったのは魏登雲(と耶律老頭)。先ほどからのやりとりをにやにやしながら聞いていた魏登雲は、
「相国、我らは何を?」
「おお、親愛なる将軍よ。待たせて申し訳ない。貴殿は、麾下の全軍(五千騎)をもって、平原の北東にあるヘレゲイ丘陵を占めよ。平原を遥かに見下ろして、敵軍の後背を扼していただきたい」
「お易い御用だ。気を遣わずとも、最前列ではたらいてもよろしいのだが」
「いえ、それには及びません。ヘレゲイは、平原で戦うものにとって疎かにできない要所。ここを将軍にお委せします」
「了承した。早速進発いたそう」
戦意旺盛な魏登雲は、卞泰岳、拓羅木公といった諸将を従えて、早くもその日のうちに発つ。四頭豹はまた混血児ムライを召す。スブデイの成果を告げた上で言うには、
「まことに神箭将と衛天王がインジャの下を離れたか、慎重に確かめよ」
「承知」
ムライはことごとく解っている様子で、多くを聞かずに去る。幾日かして再び伺候すると言うには、
「確かに両将とも数万騎を率いて出征しました。ゲル群や輜重も行をともにしており、偽装や奸計とも見えません」
「お前が言うなら間違いないな。斥候からの報告とも一致する。インジャめ、完全に陥穽に落ちたぞ」
漸く喜色を浮かべる。ムライが答えて、
「あとはグゼイに撒いた餌に喰いつくのを待つばかりですな」
「然り。インジャを討ちとるために、まず小さな勝ちを拾わせてやる」
「ふっふっふ。小スイシも哀れな」
そっとそれを制すると、
「そこまでだ。『テンゲリには目があり、エトゥゲンには耳がある』と謂うではないか」
「おっと、これは失敬」
二人の策士は声を殺して笑い合ったが、この話もここまで。
一方、義君インジャも敵軍の動向について探り、ほどなくグゼイ山のチャダ軍と、ヘレゲイ丘陵の梁軍について知る。もちろんそれを報せた斥候たちは口を揃えて、アネク・ハトンを賛美した。サノウが言うには、
「これぞ四頭豹の撒き餌に違いありません。グゼイ山の小敵に目を奪われて兵を進めれば、三方から大軍が現れて我が軍を包囲する算段です」
インジャが答えて、
「だが、それで良いのだな。その時点で、むしろ眼前の敵に目を奪われているのは四頭豹のほう。さらにその外輪から、神箭将や麒麟児たちが至って後背を襲うのだからな」
「然り。さあ、我らも堂々の旗幟を掲げて『戦いの地』へ向かいましょう。綿密な行程を定めて『戦いの日』を伝えましょう。東西に送ったものはすでに遠く離れておりますが、卓れた僚友たち(注1)の差配で緊密に連絡を繋いでおります。信じて進めば、鬼神といえどもこれを阻むことはかないますまい」
おおいに力を得て、いよいよ進発の勅命を下す。第三翼に属する神風将軍アステルノを先駆けに、数万騎の軍勢が次々と陣を払って駆けだしていく。
いよいよ因縁の地ヴァルタラで、天下の帰趨を占う一大決戦が始まらんとしている。まさしく大鵬の羽翼(注2)は颯爽、豺狼の爪牙は獰悪といったところ。
もとより天理は昭然として善人義士を加護するとは謂うものの、かの奸智たるや、必ずテンゲリを欺かぬともかぎらない。果たして、獬豸軍師と四頭豹、どちらの策略が上回るか。それは次回で。




