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草原演義  作者: 秋田大介
巻一二
719/785

第一八〇回 ③

タクカ戦地を挙げれば(ことごと)く雪辱を期し

スブデイ帰投を偽るも(かえ)って反間と()

 手厚いもてなしにすっかり気を好くしたスブデイは、つい酒量を過ごして酩酊する。(テリウ)は重く(フル)は軽く、前合後仰、東倒西歪してさながら夢中にあるがごとし。


 天女と見紛(みまが)う佳人たちが口を極めて褒め(たた)え、天下に名高い豪傑たちが礼を尽くして敬い仰ぐ。生まれてこの方、これほど丁重な扱いを受けたことがない。勧められるままに飲んでいたが、やがて言うには、


「もう飲めませぬ。十分にいただきました」


 傍らのカノンが艶然と微笑んで、


「あら、そんなつれないことをおっしゃらずに、最後にもう一杯だけ私の酌を受けてくださいな」


「そうですか、ではもう一杯だけ」


 だらしなく口許(くちもと)を弛めながら、杯を差しだす。なみなみと注がれたそれを何とか(アマン)に寄せたが、酔眼朦朧として飲みきることなく取り落とし、ついに卓上(シレエ)に伏せって(いびき)をかきはじめる。


 途端にカノンは窈窕(ようちょう)(注1)の仮面を(なげう)って言うには、


「おやおや、寝ちまったよ! まったくしかたない奴だね! 軍師、こんな阿呆(アルビン)がものの役に立つのかい?」


 みなどっと笑ったが、サノウ独りは眉間に皺を寄せたまま答えて、


「阿呆だから良いのだ。このものが信じたとおりに四頭豹に伝えてくれるだろう」


 ナハンコルジとタンヤンが、酔い潰れてしまったスブデイを両脇から抱えて運び出す。好漢(エレ)たちはなおしばらく飲んでいたが、この話はここまでとする。




 一夜明けて、スブデイは宿酔でふらふらしながら、それでも何とか本営(ゴル)に現れた。インジャが親しく(ガル)を取って、


「貴殿は我らにこの上ない智恵を授けてくれた。改めて礼を言うぞ。すでに勅命(ヂャルリク)を下して、(ヂェウン)へは神箭将(メルゲン)が、西(バラウン)には衛天王が赴くことになった。ともに出発の準備にかかっている。よろしければ各陣営(トイ)を巡検して、己の(ニドゥ)で確かめられるとよいだろう」


「はあ……」


 気乗りしない様子だったが、セイネンがいそいそとこれを(うなが)して連れ出す。あちこち見て回れば、インジャの言ったとおり着々と準備が進んでいる。セイネンが誇らしげに、


「いかがです、我が中原の精鋭は」


 スブデイは半ば呆然として、


「まったくもってすばらしいです。これでは四頭豹といえども手も足も出ないでしょう」


 セイネンはおおいに喜ぶと、尋ねて言うには、


「貴殿があちらを離れたことは、すでに敵人(ダイスンクン)に知られておりますか?」


いえ(ブルウ)、誰も私のことなど気にしていません。密かに出て密かに参りました」


 これを聞くと手を()って、


「それは好い(サイン)! それなら貴殿の才知(アルガ)を見込んでお頼みしたいことがあります」


 やや気後れしつつ、それでも答えて、


「な、な、何でしょう。私に務まることであればよいのですが」


「ご懸念は無用、これは貴殿でなければ為しえぬこと。我らが四頭豹の(おそ)れる策を行うことは、決して悟られてはいけません。そこで戻って伝えてください。義君は兵を分けて敵軍の集結を阻止する気はまるでなく、また縁起が悪い(ベリクウダイ)ヴァルタラだけは避けて侵攻するつもりだ、と」


「ええと、それは……」


 スブデイは意図(オロ)(つか)みかねて言葉(ウゲ)を失う。そこで噛んで含めるように(さと)して言うには、


「備えさせぬためです。安堵させたところで我が中軍(イェケ・ゴル)がヴァルタラに忽然と現れれば、きっと四頭豹は震えあがるでしょう。(たの)みましたぞ」


「はあ。きっと伝えましょう」


 (くつわ)を並べて本営に戻ると、また歓待を受ける。豪奢な贈物(サウクワ)を賜り、南原に返るスブデイをみなでうち揃って見送った。




 好い気分のまま、急いで戻ったスブデイは、早速四頭豹ドルベン・トルゲに(まみ)えて事の次第を告げる。


「インジャたちはすっかり私の言うことを信じて、(ごう)も疑わぬ様子でした。相国(サンクオ)様の謀ったとおり、喜んで兵を分けようとしています」


 四頭豹は(サハル)を撫でつつ、


「ふうむ、(ウネン)ですか」


はい(ヂェー)。神箭将と衛天王が命を受けて、今にも出征しようとしていました。この目で確かめたので間違いありません」


「なるほど。それでインジャの中軍は?」


「きっとヴァルタラに入ります。セイネンという参謀が、『このことは決して悟られぬよう、ヴァルタラは避けると伝えてくれ』と帰る私にわざわざ依頼してきたくらいです」


 そこで初めて笑みを浮かべると、


「よろしい。さすがは元帥殿、よくぞ大役を果たしてくれました。これで我が勝利は疑いなし。その功績は一等、(ソオル)が終わったら、みなの見る目も変わるでしょう」


「ありがとうございます。で、このあと私は何を?」


 一瞬四頭豹の眼には侮蔑の色が浮かんだが、すぐに温顔を作ると、


「インジャに使者を()って、ドルベンは恐れていた事態は(まぬが)れたとすっかり気が弛んでいる、とでも伝えてください。あとは私がやります。後方で戦の推移を見守っていればよろしい」


承知しました(ヂェー)


 揖拝(ゆうはい)して退出する。四頭豹はしばし黙考してスブデイの報告を吟味しているようだったが、そのうちにひとつ頷くと従臣(コトチン)に幾人かの将を呼ぶよう命じる。


 応じてやってきたのは、三色道人ゴルバン麾下の勇将チャダ、梁の鬼頭児こと魏登雲、そして今は正統(ウネン)ウリャンハタ部の司法官(ヂャサウル)だが、このときは南原にあった小スイシの三名。


「よくぞ参った。雑魚(エレムデク)ども(・ヂェムデク)大網(ゴルミ)(かか)ったぞ。そこで卿らに策戦の車軸(テンギリゲ)とも言うべき責務(アルバ)を与えようと思う」

(注1)【窈窕(ようちょう)】美しく(しと)やかなさま。

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