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草原演義  作者: 秋田大介
巻一二
713/785

第一七九回 ①

ドルベン元帥を嘲罵して奸謀に任じ

サノウ籌画(ちゅうかく)を披瀝して大鵬に(なぞら)

 さて、ついに義君インジャは再度の南征の軍を発した。約会(ボルヂャル)した黄金の僚友(アルタン・ネケル)を数えれば六十三人、兵は十五万という未曾有の大軍。勇将、知将は綺羅(オド)のごとく、この一戦にて憎き四頭豹を葬らんと衝天の意気をもって臨む。


 対する四頭豹ドルベン・トルゲは、やや対応が遅れたように見えた。東原にあった三色道人ゴルバン・ヂスンは(カラ)を待たずに還ってきたが、西原の亜喪神ムカリは僅かに逡巡したため、いまだ渡河できずにいた。


 その西原から最初に至ったのは意外な人物。すなわちイシを(かす)めた「紅百合社(ヂャウガス)」の首魁、吸血姫ハーミラとその一党である。火砲や歩兵は城塞(バラガスン)守禦(しゅぎょ)に残して、五千騎を率いての参陣。四頭豹はおおいに喜ぶ。


 また光都(ホアルン)を占めていた梁の鬼頭児こと魏登雲も、俄かに戦意勃々(ぼつぼつ)と沸き起こって、副将の江奇成や文官(ドゥシメット)たちの制止も聞かず、五千騎を率いて長躯してきた。


 四頭豹は表向き謝意を述べたが、実はまるで(たの)みにしていない。中華(キタド)の騎兵が剽悍な草原(ケエル)の騎兵と互角に戦えるわけがないと思ったからである。


 その梁兵を加えても、四頭豹の手許(てもと)にあるのは約八万騎。(ブルガ)半数(ヂアリム)を僅かに超えるばかり。ともかくオルドの遷移(ヌーフ)を図る。梁公主とジャンクイ・ハーンは、寡兵を附けて(ウリダ)へ送る。


 長城(ツェゲン・ヘレム)の傍まで後退して、ダルシェから奪ったばかりのダナ・ガヂャルに退避させた。本来なら侍衛(トゥル)(ガグ)を率いるチンラウトが護衛するべきだが、今は侍衛の()(ゥメ)()()く余裕がない。よってオルドに(したが)った権臣は、財政を司る文官スーホ独り。


 これを送りだすと、大量の斥候(カラウルスン)を放って南征軍の動向を探る。またムカリに早馬(グユクチ)を送って渡河を(うなが)す。諸将を集めて軍議を開けば、みな青い(ヌル)をして黙りこむ。独り四頭豹のみは(うそぶ)いて、


「己が優位にあると思うものは、必ず隙を見せる。どんなに慢心するなと己に言い聞かせても、どうしても弛むものだ」


 答えるものはない。やむなく再び(アマン)を開いて言うには、


「隙がなければ作ればよい。あんな大軍を何の混乱もなく統率できるものはない」


 インジャの南征軍はアラクチワド・トグムを発って、次第に南下していた。何と云っても十五万の大軍。どんなに急いでも軽騎とは異なる。(フルテスン)(ひた)した(オス)が染みるようにじわじわと、しかし確実に版図(ネウリド)を浸蝕する。


 頻々(ひんぴん)と至る早馬が告げる敵情にますます沈滞する軍議の席上、既知の顔を見出すことができる。スブデイ・ベクである。彼は神都(カムトタオ)を逃れたのち、ほかに行くところもなく四頭豹に投じていた。


 前身(注1)を(おもんぱか)って丁重に迎えられてはいたものの、その無能(アルビン)は早くも周知の事実。役務(アルバ)どころか、発言(ウゲ)すら求められない。


 もとよりスブデイに策などあろうはずもない。ただ四頭豹が何か言うたびに頷き、早馬が至るたびに(フムスグ)(しか)めて見せる。


 ところが(ウドゥル)を重ねるうちに、この小人にも(ようや)く思うところが生じた。(かえり)みれば、天下に(たの)むべきものもなく、ここを追われたら途端に窮する。よって何としてもひとつ功を立てねばと決心する。


 こうした無能の一念発起は概して悪しき顛末(ヨス)を辿るものだが、当人はもちろんそうは考えない。ある日の軍議で、ついに決然と立ち上がって言うには、


「私はこちらに来てまだ何の功も立てておりません。助けていただいた恩を返すのは今を()いてありましょうや。どうか策をお授けください」


 思いも寄らぬものが(ダウン)を挙げたので、諸将は少なからず驚く。四頭豹もまた僅かに(ニドゥ)を見開いたが、やがて薄ら笑いを浮かべて言うには、


「ほう、天下に高名(ネルテイ)神都(カムトタオ)の大元帥殿が、自らはたらいてくださるとは望外の喜び(ヂルガラン)。聞くところによると貴殿は万巻の兵書に通じておられるとか。さぞや有用な策をお持ちなのではありませんか?」


 スブデイはぎょっとして、あわてて言うには、


いえ(ブルウ)揶揄(からか)うのはお止めください! 相国(サンクオ)様を前にして誰が知略を誇ることなどできましょう。愚かな私でも何かご下命いただければ、身命を賭してやり遂げてご覧にいれましょうぞ」


 すると居並ぶ諸将はわっと(わら)う。スブデイが(はなは)だ心外に思って目を白黒させていると、四頭豹がこれを(あざけ)って言うには、


失礼(ヨスグイ)ながら貴殿のはたらくところなどありません。血族(ウイエ・カヤ)危機(アヨール)すら顧みず保身を図るようなものに、どうして部族(ヤスタン)の安危を託せましょう。ありもしない雄心(ヂルケ)を装うのはおやめなさい。おとなしくしておくのが御身のためというものです」


 みなこれを聞いて、どっと沸き立つ。口々に嘲り罵って、中には顔を指して笑うものまである。チャダなどは(ゲデス)を抱えて、


「無能が出しゃばるからだ。相国(サンクオ)様が慧眼で助かったではないか。おかげで危ない目に遭わずにすんだというものだ」


 また小スイシも(ガル)()って、


「大元帥殿は(ヘレム)の内にあって兵書の(ウセグ)を追っていればよろしい。戦場では兵書を()っている暇はありませんぞ!」


 一人として擁護するものもない。座は騒然として、四頭豹もにやにやしながらそれを放置している。


 スブデイはあまりの屈辱に赤くなったり青くなったりしていたが、ついに満座の嘲弄に堪えかねて、潤んだ眼を隠すように伏せて退席する。それを見た諸将はますますこれを(さげす)んで罵倒を浴びせる。


 幕舎(チャチル)を飛びだしたスブデイは、かっと熱くなった(ハツァル)(さす)りながら早足でゲルに帰らんとする。と、声をかけたものがあって言うには、


「お待ちください、大元帥殿! 相国(サンクオ)様は貴公を(たの)みにしておられますぞ。実はすべて敵人(ダイスンクン)を欺くための計略なのです」


 スブデイは驚いて立ち止まる。


「今、何と!?」

(注1)【前身】スブデイは神都(カムトタオ)の僭帝ヒスワの従弟で、大元帥の地位にあった。

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