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草原演義  作者: 秋田大介
巻一二
712/785

第一七八回 ④

インジャ雄族を併せて遂に八圏営整い

ハレルヤ大君を討ちて(まさ)に南征軍発す

 四月、インジャはオルドを発った。諸将を(ひき)いて向かったのは、懐かしきボグド・ナラン(聖なる日輪の意)。まずここで東原の雄にして「万人長(トゥメン)の中の万人長」たるヒィ・チノ・ハンと約会(ボルヂャル)を果たす。


 この(ガヂャル)が選ばれたことにも、彼らの南征に懸ける想いが込められている。というのも、ここはかつてインジャがハーンとなるに際してクリルタイが開かれたところだったからである(注1)。


 予定(たが)わず無事に合流(ベルチル)して、互いに喜び合う。カミタ軍(ドクトとオノチ)をヒィ・チノの第二クリエンに移して、次の約会の地を目指す。


 南下して訪れたのは、ムジカ・ハンが治める(シネ)ヤクマン部の版図(ネウリド)。ムジカのみならず、すでにオラルやアステルノといった勇将が待機している。すなわち第三クリエンの二万五千騎。


 膨れ上がった軍勢はさらに進んで、アラクチワド・トグム(まだらの盆地の意)に達する。ここは第一次の南征において、ジョルチとウリャンハタが約会したところであり(注2)、また敗れたインジャらが退いてきて、帰投したムジカらの版図を定めた地でもある(注3)。


 盆地(トグム)の内外に広くクリエンを展開して待っていると、日を経ずしてアルスラン・ハン、キレカ、ハレルヤたちが到着する。第四、第七クリエンである。


 あとは西原からの三翼(ゴルバン・クリエン)を待つばかり。それも順調に至って、カントゥカ、サチ、ガラコが数多の好漢(エレ)とともにインジャに拝謁する。


 かくしてついに総勢十五万騎、六十三人の黄金の僚友(アルタン・ネケル)が一堂に会する。無数の旌旗(トグ)がはためき、刀槍は陽光を浴びてきらめく。兵馬は平原(タル・ノタグ)の果てまで埋め尽くし、全容を知るのも難しいほど。


 しかしアサン、サノウ、ワドチャなど軍政を(つかさど)る優秀な将領たちのおかげで大きな混乱もない。士気も軒昂、進発の命令(カラ)が下るのを今か今かと待っている。


 一日、主な将領が中央(オルゴル)に呼ばれて軍議が開かれる。


 策戦の大綱は何と云っても速戦即決、遅くとも(ナマル)までには勝負をつける心算。兵法に謂うところの「兵は拙速を聞くも、いまだ巧久を()ざるなり(注4)」といったところ。時をかければ東西の梁軍のみならず、ファルタバン朝の軍勢も加勢に来るやもしれぬ。


 そもそも(ハバル)というのは軍馬(アクタ)は痩せて、兵衆も疲れており、糧秣(イヂェ)も不足しがち。本来なら大兵を繰り出すべき季節ではないが、それは(ブルガ)も同じこと。それよりも光都(ホアルン)や双城にある異族(カリ)の援軍が出兵できないことの有利を(えら)んだのである。


 サノウが告げて言うには、


「焦ることはない。打つべき手を打つべきときに打ち、進むべき(モル)を進むべきときに進めば、自ずと勝利を収めることができる」


 居並ぶものは雄心(ヂルケ)(みなぎ)らせて、おうと答える。


 それぞれクリエンに帰って、定められた順に進発する。先鋒(アルギンチ)は、超世傑ムジカの第三翼。神風将軍(クルドゥン・アヤ)の誇る軽騎兵が、広く哨戒しながら先行する。


 左翼(ヂェウン・ガル)()くのは、神箭将(メルゲン)ヒィ・チノの第二翼と、獅子(アルスラン)ギィの第七翼。(バラウン)(・ガル)を固めるのは、紅火将軍(アル・ガルチュ)キレカの第四翼と、花貌豹サチの第六翼。


 これに衛天王カントゥカの第五翼、義君インジャの第一翼が続く。後軍(ゲヂゲレウル)を務めるのは、王大母ガラコの第八翼。


 飛生鼠ジュゾウ、矮狻猊(わいさんげい)タケチャク、娃白貂(あいはくちょう)クミフ、神行公(グユクチ)キセイは、八方に斥候(カラウルスン)を送って、敵軍の出現に備える。


 このたびの南征に誰よりも勇躍(ブレドゥ)して臨んでいるのは、実は鉄鞭(テムル・タショウル)のアネク・ハトン。第一次の南征では、出征直前に懐妊して従軍を断念(注5)したからである。


 撤退が決まったのちに生まれた嫡子(ティギン)こそ、今やボギノ・ジョルチ部のハンとなったヴァルタラ。その名はインジャが大敗を喫した地名を忘れぬよう、我が(クウ)に与えたもの(注6)にほかならない。




 十五万もの軍勢が接近(カルク)して、四頭豹ドルベン・トルゲが気づかぬわけもない。もとよりゴルバンやムカリから、大軍が中原へ渡ったことを告げる早馬(グユクチ)頻々(ひんぴん)と至っている。


 常に先手を打ってインジャたちを翻弄してきた四頭豹も、さすがに虚を衝かれる。両将にともかく中原へ戻るよう命じる。


 真っ先に帰ってきたのは東原のゴルバン・ヂスン。彼はヒィ・チノの渡河を知るや兵を(まと)めて、命を待たずに発っていた。西原のムカリは、僅かに逡巡したためにまだ出発できずにいた。叛将フフブルが、


「この(チャク)に北上して、留守陣(アウルグ)を襲ってはいかがでしょう。先年も衛天王は、クル・ジョルチの南進にあわてて退いたではありませんか」


 そう進言したことに惑わされたからである。


 ところが敵情を探ったところ、ウリャンハタの牧地(ヌントゥグ)には、胆斗公(スルステイ)ナオルが在ってこれを守っていた。彼が容易ならざる敵であることはムカリも承知していたので、北上は諦めざるをえない。


 そうこうして時を費やした上に、カンに戴いたヂュルチダイが、


「お前が中原に行ってしまったら、私はどうすればよいのか」


 ムカリを引き留めたことから、なおも準備が遅れる。四頭豹の命令が至って(ようや)く迷いを払拭したが、遅参は(まぬが)れない。


 このことが、インジャにとって吉と出るか、凶と出るか、知るのはテンゲリのみ。ともかくこのたびばかりは四頭豹が奸計を行う前に兵を興したことで、優位に立っていることは疑いないように見える。


 まさに「人を致して人に致されず」といったところだが、何と云っても敵はかの四頭豹、どんな奇策を秘めているか計り知れない。


 いかに大軍を擁していても、一瞬の隙を突かれて崩れた例は史上珍しいことではなく、仇敵(オソル)(アミン)を奪うまで、決して予断は許されない。果たしてインジャはどのように戦う(アヤラクイ)か。それは次回で。

(注1)【クリルタイが開かれた……】第五 八回③参照。


(注2)【ジョルチとウリャンハタが約会(ボルヂャル)……】第一〇四回③参照。


(注3)【ムジカらの版図(ネウリド)を定めた……】第一一八回③参照。


(注4)【兵は拙速を聞くも……】戦というものはたとえ戦術がまずくても早期に終わらせたというのは聞いたことがあるが、うまくやりながら長期に亘って戦ったというのは見たことがない、という意味。


(注5)【懐妊して従軍を断念】第一〇三回②参照。


(注6)【大敗を喫した地名を……】ヴァルタラの正式な名は、ウル・ウマルタク・ヴァルタラ(忘れざるヴァルタラの意)。第一一九回②参照。

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