第一 八回 ③ <カナッサ登場>
ナオル義兄に天無二日の理を諭し
ヒスワ大人に遠交近攻の計を説く
好漢たちがおおいに盛り上がっていると、いつの間にか一人の男が少し離れたところに座ってこちらを見ている。一枚の板を抱え、その裏で何やら懸命に手を動かしている。
不審に思ったジュゾウがひょいと立ち上がって近づき、何をしているのかと覗き込めば、板の上に紙を載せて、彼らが座談に興じるさまを一心不乱に描いているのであった。
「ははあ、こりゃまた何と精巧な画だ。紙の上に見たままを切り取って貼り付けたようだ。こいつは驚いたな。神都でもここまでの技は見たことがない」
ジュゾウの嘆声を聞きつけて、みな集まってくる。男はあわてて、
「やや、みなさまはどうぞそのままで。みなさまの様子があまりに画になるので無断で描いておりました。お気を悪くなさらぬよう」
アネクが笑って、
「カナッサったらまた画を描いていたのね。このカナッサは、何でも見たままをすらすらと紙に写してしまうという神業の主なのよ」
恐縮しているその人となりを見れば、
身の丈は七尺少し、眉は太く、睫は長く、目は大きく、唇は薄く、角面にして角心、常に紙と筆を背嚢に入れて歩き、心の赴くままに描けば瞬時に現世を写して誤りなしという異能の主。人呼んで「金写駱」。
インジャはおおいに喜んでカナッサも輪に加わるよう勧める。辞することしきりであったが、漸く首肯して言うには、
「その前に画を仕上げてしまいます。みなさまもとの席へお戻りください」
みな笑って順う。するとカナッサは、
「ギィ様はもう少し左へ、そう。ハツチ様はやや右へ、お身体が大きいのでジュゾウ様が隠れてしまいます」
などと言いだしたものだから、みなますます興がって何でも言うとおりにしてやった。ほどなく画が完成したのでカナッサも席に連なり、おおいに楽しんだ。
夜は更けていく。しかし彼らの衝天の志は已むところを知らぬかのよう。トシが散会を告げねば朝までも語り続けたに相違ない。好漢は尽きぬ話に名残を惜しみつつ、各々帰っていった。
去り際にハツチがゴロに尋ねた。
「ともにフドウへ来ぬか」
すると寂しげに笑って、
「フドウは西方、オロンテンゲル山の南に牧すと聞いている。神都から遠すぎるだろう」
ハツチは何も言えずに己のゲルへ戻った。
翌日、旅人はそれぞれのアイルへ帰ることになった。ギィはアンチャイを伴って、もちろんゴロもともに南のマシゲルへ。アンチャイの父ナテンがこれを送っていく。
インジャは、ナオルらとともに西のフドウへ。こちらはマルケが送ると言って聴かない。さればとドノル氏のテムルチが守る山塞まで送ってもらうことにした。
トシ・チノはみなを呼んで送別の宴を張った。個々に別れの言葉をかけて酒を注ぐ。特にマシゲルに嫁ぐアンチャイにはいつになく優しい声音で、
「ギィ殿は草原に冠たる英傑だ。きっとよくしてくれよう。しかしベルダイが懐かしくなったらいつでもギィ殿と遊びにくるとよい」
アンチャイは答えて言うには、
「今、草原は乱れております。他家に嫁いだからには、懐かしいなどと言ってギィ様や族長様を困らせるようなつもりは毛頭ございません。両家力を併せて、一日も早く乱世を治めるのが先決。平和が戻れば、ベルダイに遊ぶ機会も訪れましょう」
これを聞いて感心しないものはなかった。
インジャにもトシは別れの酒を注いだ。
「ベルダイはフドウを鼎の一方の脚と恃んでおるぞ。これからも何かにつけよろしくお願いしたい」
再拝して答えて、
「ありがたいお言葉です。大兄と再び見えることを楽しみにしております」
「今度は旌旗の見えないところで会いたいものだ」
それを聞いて傍らのナオルの顔色が変わりかけたが、インジャに目で制される。その後は格別のこともなく和やかなうちに宴は幕を閉じ、ギィの隊から順にアイルを離れた。インジャも漸く帰途に就く。アネクとその兵衆がそれを見送った。
道中、インジャはナオルに尋ねた。
「先にトシ殿が別れの挨拶に来たとき、君の顔色が変わったのはどういうことだ」
「トシ殿は言いました。『今度は旌旗の見えないところで会いたい』と。これは暗に、逆らえば戦になるぞ、と脅しているように聞こえました」
「愚かなことを言うものではない。今回は右派が攻めてきたせいで陣中で会わざるをえなかった。そこで今度は落ち着いて会おうと言ったに過ぎない」
「申し訳ありません。しかし昨晩申し上げたとおり、ジョルチに君臨するのは義兄かトシ殿です。それはお忘れなきよう」
これには返事をせず、頷いただけであった。その後は何ごともなくオロンテンゲル山に着いた。マルケに丁重に礼を言うと、再会を約して別れる。
ジュゾウを先に遣って到着を告げると、テムルチが迎えにやってきた。インジャを見て喜ぶことひとかたならず、それはまたインジャも同じであった。
轡を並べて懐かしい山塞に入ると、ここでも盛大に宴が始まったが、くどくどしい話は抜きにする。
それから幾日か経って、敗れたサルカキタンのアイルを訪れたものがあった。何と一世の奸人ヒスワである。
「何、お主がわしに力を貸すだと? もう一度詳しく話してみよ」
促されたヒスワは口許を歪めて笑顔らしきものを作りつつ言った。
「ですから私ではなく、ジュレン部がベルダイ左派とフドウの小僧への復讐に力を貸そうと言っているのです」
「ジュレン部とは神都の連中だな。街のものがどうやって戦に助力するのじゃ」
「神都を侮ってはいけません。ジュレン部はその昔、草原に覇を唱えた部族ですぞ。今でも兵力は二万を割ったことはございません。諸部族のうちでもこれだけの兵を常に養っているものは少ないでしょう。さらに西域との交易により兵装も一流です」
これを聞いてサルカキタンは唸った。
「二万とな。ジョルチ部全体の兵力と変わらんではないか。知らなかった。城塞に縛られ、交易に堕した亡族とばかり思っていた」
「いかがです? ジュレンが沈黙を破って大人のために軍を出そうというのです。さらに大人の軍に最新の兵装を施しましょう」