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草原演義  作者: 秋田大介
巻一二
708/785

第一七七回 ④

チルゲイ(さか)んに兵法を引いて雄略を弁じ

カントゥカ(たちま)ち叡裁を下して天命に沿う

 アサン、ヒラト、チルゲイ、ナユテ。四人のセチェンを、カントゥカは怪訝(けげん)(ヌル)で迎える。チルゲイが進み出て、帰郷の挨拶をしたあとに言うには、


「本日はふたつほど献策をするべく参上いたしました」


「何だ。申せ」


「ひとつは苦境を脱する兵略、ひとつは部族(ヤスタン)を保つ方途です」


 カントゥカは鷹揚に先を(うなが)す。まずチルゲイが()べたのは、総力を挙げて中原に渡り、インジャとともに再度の南征に撃ってでるという策。


「おもしろい。華人(キタド)や色目人を遠ざけようと言うのだな」


はい(ヂェー)、さすがでございます!」


 チルゲイは(ニドゥ)を輝かせる。しかしカントゥカが言うには、


「東西の留守陣(アウルグ)はどうする」


鄙見(ひけん)(注1)としましては、寡兵のみ留めて空にしてもよいと考えます。ただそれでは将兵が後顧の憂いに怯えるかもしれません。そこで東原においては(アルタ)(ン・ガ)(ダス)ケルン・カンに、西原においては胆斗公(スルステイ)ナオルに牧地(ヌントゥグ)を預けてはいかがでしょう」


「ふうむ……」


「お気に召しませんか」


「金杭星は、もとより神箭将(メルゲン)の股肱。しかし胆斗公は信頼(イトゥゲルテン)あるものとはいえ、友邦の将に過ぎぬ。版図(ネウリド)をこれに預けるのは、やや責務(アルバ)が重すぎるのではないか」


「懸念はごもっとも。そこで、でございます」


 チルゲイは一旦言葉(ウゲ)を切って(オロウル)を舐める。おもむろに(アマン)を開くと、辺りを(はばか)るように小声で言った。


「昨今の草原(ミノウル)の趨勢、我が部族(ヤスタン)の恒久の安寧(オルグ)、その他諸々を勘案した上で衷心より申し上げます」


 ここに至って余の三人の顔にも緊張が走る。(オロ)を決して言うには、


「畏れながらカンにおかれましては、東原の神箭将に(なら)い、挙げてミノウル・ハーンに投じることこそ、版図を保つ唯一(ガグチャ)(モル)と愚考いたします。どうかよろしくご賢察ください」


 このことこそ、チルゲイが先にアサンたちに(はか)った渾身の一手。すでに同心している三人も、揖拝(ゆうはい)して(テリウ)を下げる。カントゥカはみなを眺め回したが、すぐには何も答えない。さらにチルゲイが言うには、


「兵馬、人衆(ウルス)、牧地をすべて献上し、南征ののちに改めて封土を賜るのです。その間、義君の勅命(ヂャルリク)をもって胆斗公に西原を守らせれば、きっとよく務めて過ち(アルヂアス)を犯すことはないでしょう」


 ヒラトがたまらず進み出て、


「麒麟児や矮豹子などが不平を言えば、我らが(セトゲル)を尽くして説得いたします。ここに至っては、奇人の献言に(したが)うべきかと存じます」


 またナユテも言うには、


「外寇(注2)退けがたく、天下が南北に二分された今、独り立つことはかないません。四頭豹を討ち、(わずら)わしい華人や色目人を(はら)うためにも、進んでミノウル・ハーンの掲げる(トグ)の下に加わるときかと」


 カントゥカはやはり無言、(ハツァル)を掻きながらアサンに目を()る。アサンは何も言わず、ゆっくりと頷いた。それを見るや即断して言うには、


「みなを集めよ。決めた。義君に降る」


 チルゲイ、ヒラト、ナユテは愁眉を開いて口々に、


「おお、(ウネン)ですか! 英断でございます!」


 などなどと(ダウン)を挙げる。カントゥカは答えて言うには、


「卿らはこれまで俺を欺いたことはない。ゆえに俺はその進言を退けたことはない。そして俺はひとたび決めたら迷わぬ」


 みなおおいに喜んで、早速諸将を呼び集める。ほどなく中原に在るカコを除く二十四人の僚友(ネケル)が一堂に会する。そこでカントゥカ自ら告げて言った。


「義君に投じるぞ。異論は認めぬ。奇人は神道子とともに投降の使者となれ。花貌豹は麒麟児、一角虎(エベルトゥ・カブラン)、竜騎士たちと出征の準備を。仔細は聖医(ボグド・エムチ)と潤治卿に(はか)れ」


 もちろん諸将は愕然として、すぐには何がどうなっているのかも解らない。真っ先に急火箭ヨツチが跳び上がって、


「お待ちください! それはいったい……!?」


 ぎろりと睨んで、


「待たぬ。ウリャンハタにとって最善と信じて決めた。あとは聖医に問え」


 威風に圧倒されて、さすがのヨツチも黙らざるをえない。カントゥカの意志が固いのを看て取って、余のものは目を白黒させながら従う。そのまま解散となり、諸将はぞろぞろと大ゲルをあとにする。


 表に出ると、それぞれアサン、ヒラト、チルゲイ、ナユテを(つか)まえて、あれやこれやと問いかける。四人は(いと)うことなく、みなの疑問にひとつひとつ答える。やがて次第に得心していったが、シン・セクが言うには、


「おい、神道子。吉凶を占ってくれないか。道理(ヨス)は解ったが、もうひとつ何かに(ノロウ)を押してもらいたい」


 快諾して久々に筮竹を繰る。部族(ヤスタン)の興廃に関わる大事にて、慎重に占う。得られた卦は幸いにしておおいに(ベリクタイ)。さらに言うには、


「義君の下に集うべき宿星は、総じて九十九。我らウリャンハタの将領二十五人は、みなそのうちの一星であった。これをもってこれを()れば、すべては古よりテンゲリに定められたこと。こうなったのも宿星(オド)の導きにほかならない」


 一同は驚き、かつ喜んで、ついに(オロ)を同じくするに至る。


 まさに天道の妙理はついに顕現して、いよいよ宿運(ヂヤー)明らかなりといったところ。互いに邂逅してともに戦い、命を(あらた)めることができたのも、今また形勢利あらず、義君に投じる意を決したのも、ことごとくテンゲリの配剤だったという次第。果たして、衛天王の帰投を知って、義君は何と言うか。それは次回で。

(注1)【鄙見(ひけん)】自分の意見をへりくだっていう語。


(注2)【外寇】外国から攻めてくること。また、外国から攻め込んでくる敵。

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