第一七七回 ④
チルゲイ祁んに兵法を引いて雄略を弁じ
カントゥカ忽ち叡裁を下して天命に沿う
アサン、ヒラト、チルゲイ、ナユテ。四人のセチェンを、カントゥカは怪訝な顔で迎える。チルゲイが進み出て、帰郷の挨拶をしたあとに言うには、
「本日はふたつほど献策をするべく参上いたしました」
「何だ。申せ」
「ひとつは苦境を脱する兵略、ひとつは部族を保つ方途です」
カントゥカは鷹揚に先を促す。まずチルゲイが陳べたのは、総力を挙げて中原に渡り、インジャとともに再度の南征に撃ってでるという策。
「おもしろい。華人や色目人を遠ざけようと言うのだな」
「はい、さすがでございます!」
チルゲイは目を輝かせる。しかしカントゥカが言うには、
「東西の留守陣はどうする」
「鄙見(注1)としましては、寡兵のみ留めて空にしてもよいと考えます。ただそれでは将兵が後顧の憂いに怯えるかもしれません。そこで東原においては金杭星ケルン・カンに、西原においては胆斗公ナオルに牧地を預けてはいかがでしょう」
「ふうむ……」
「お気に召しませんか」
「金杭星は、もとより神箭将の股肱。しかし胆斗公は信頼あるものとはいえ、友邦の将に過ぎぬ。版図をこれに預けるのは、やや責務が重すぎるのではないか」
「懸念はごもっとも。そこで、でございます」
チルゲイは一旦言葉を切って唇を舐める。おもむろに口を開くと、辺りを憚るように小声で言った。
「昨今の草原の趨勢、我が部族の恒久の安寧、その他諸々を勘案した上で衷心より申し上げます」
ここに至って余の三人の顔にも緊張が走る。意を決して言うには、
「畏れながらカンにおかれましては、東原の神箭将に倣い、挙げてミノウル・ハーンに投じることこそ、版図を保つ唯一の道と愚考いたします。どうかよろしくご賢察ください」
このことこそ、チルゲイが先にアサンたちに諮った渾身の一手。すでに同心している三人も、揖拝して頭を下げる。カントゥカはみなを眺め回したが、すぐには何も答えない。さらにチルゲイが言うには、
「兵馬、人衆、牧地をすべて献上し、南征ののちに改めて封土を賜るのです。その間、義君の勅命をもって胆斗公に西原を守らせれば、きっとよく務めて過ちを犯すことはないでしょう」
ヒラトがたまらず進み出て、
「麒麟児や矮豹子などが不平を言えば、我らが心を尽くして説得いたします。ここに至っては、奇人の献言に順うべきかと存じます」
またナユテも言うには、
「外寇(注2)退けがたく、天下が南北に二分された今、独り立つことはかないません。四頭豹を討ち、煩わしい華人や色目人を攘うためにも、進んでミノウル・ハーンの掲げる旗の下に加わるときかと」
カントゥカはやはり無言、頬を掻きながらアサンに目を遣る。アサンは何も言わず、ゆっくりと頷いた。それを見るや即断して言うには、
「みなを集めよ。決めた。義君に降る」
チルゲイ、ヒラト、ナユテは愁眉を開いて口々に、
「おお、真ですか! 英断でございます!」
などなどと声を挙げる。カントゥカは答えて言うには、
「卿らはこれまで俺を欺いたことはない。ゆえに俺はその進言を退けたことはない。そして俺はひとたび決めたら迷わぬ」
みなおおいに喜んで、早速諸将を呼び集める。ほどなく中原に在るカコを除く二十四人の僚友が一堂に会する。そこでカントゥカ自ら告げて言った。
「義君に投じるぞ。異論は認めぬ。奇人は神道子とともに投降の使者となれ。花貌豹は麒麟児、一角虎、竜騎士たちと出征の準備を。仔細は聖医と潤治卿に諮れ」
もちろん諸将は愕然として、すぐには何がどうなっているのかも解らない。真っ先に急火箭ヨツチが跳び上がって、
「お待ちください! それはいったい……!?」
ぎろりと睨んで、
「待たぬ。ウリャンハタにとって最善と信じて決めた。あとは聖医に問え」
威風に圧倒されて、さすがのヨツチも黙らざるをえない。カントゥカの意志が固いのを看て取って、余のものは目を白黒させながら従う。そのまま解散となり、諸将はぞろぞろと大ゲルをあとにする。
表に出ると、それぞれアサン、ヒラト、チルゲイ、ナユテを捉まえて、あれやこれやと問いかける。四人は厭うことなく、みなの疑問にひとつひとつ答える。やがて次第に得心していったが、シン・セクが言うには、
「おい、神道子。吉凶を占ってくれないか。道理は解ったが、もうひとつ何かに背を押してもらいたい」
快諾して久々に筮竹を繰る。部族の興廃に関わる大事にて、慎重に占う。得られた卦は幸いにしておおいに吉。さらに言うには、
「義君の下に集うべき宿星は、総じて九十九。我らウリャンハタの将領二十五人は、みなそのうちの一星であった。これをもってこれを覩れば、すべては古よりテンゲリに定められたこと。こうなったのも宿星の導きにほかならない」
一同は驚き、かつ喜んで、ついに志を同じくするに至る。
まさに天道の妙理はついに顕現して、いよいよ宿運明らかなりといったところ。互いに邂逅してともに戦い、命を革めることができたのも、今また形勢利あらず、義君に投じる意を決したのも、ことごとくテンゲリの配剤だったという次第。果たして、衛天王の帰投を知って、義君は何と言うか。それは次回で。
(注1)【鄙見】自分の意見をへりくだっていう語。
(注2)【外寇】外国から攻めてくること。また、外国から攻め込んでくる敵。




