第一七七回 ②
チルゲイ祁んに兵法を引いて雄略を弁じ
カントゥカ忽ち叡裁を下して天命に沿う
インジャはたちまち目を輝かせて、
「奇人殿のお考えになることは、常にみなを驚かせ、また喜ばせるもの。このたびはどんな智恵を出されるのでしょう?」
チルゲイは再拝して言うには、
「過分の褒辞を賜り、汗顔の至りです。ハーンもご存知のとおり、我がウリャンハタはまさに危急存亡の秋。すべては私どもの智恵が、かの四頭豹に遠く及ばぬために生じたこと。もはや自ら立つこともかないません。畏れながら、ハーンのご厚恩に縋って露命を繋ぐほかないのです」
「何をおっしゃいますやら。勝敗は兵家の常、みなさんが卓れた才略を有していることは自明の事実。必ずや難敵を退けて平和を復することができましょう。私は西の大カンのために助力を惜しむものではありません。ともに手を携えて、かの奸賊を討ち果たしましょうぞ」
「ありがとうございます。ハーンの言葉は、何にもまして我らの雄心を奮い立たせるもの。それを聞いて心の動かぬものはおりません」
インジャは俄かに立ち上がって拝礼すると言うには、
「どうやら奇人殿には策があるご様子。どうか愚鈍な私にご教示ください」
チルゲイはおおいにあわてて、
「いけません、大ハーンがそのような。私の身の置きどころがなくなってしまいます。どうかおかけになってください」
応じてインジャが高き座に戻ったので、再び口を開いて、
「この十年(注1)というもの、草原の情勢は四頭豹の意のままに推移しております。気がつけば天下は南北に二分され、遠く梁やファルタバン朝の兵の進駐すら許す有様。悔しいかな、四頭豹の周到にして大胆、かつ広遠とも言うべき策謀の数々に我らは翻弄されるばかり。ことが起こるたびに吃驚し、消耗し、応対に追われて、ひとつ片づいたと思えば次なる奸計が顕になるということを、いたずらに繰り返してきました」
「ううむ、認めたくはないが、まったくそのとおりだ」
インジャの表情はみるみる曇る。チルゲイはその顔を正視して言った。
「そろそろ負の連環を断ち切らねばなりません。四頭豹に手綱を預けているうちは、決して勝つことはできません。自ら鞭を執って、歩むべき道を踏むことが必要です」
「実におっしゃるとおりだが、そのためには何を為すべきか……」
「私はこの半歳、城塞のうちに籠もらされて、無為に日々を重ねざるをえませんでした。当初は、いかにして敵の包囲を解くか、あるいは逃れるか、また次の四頭豹の策を予見して封じることはできないか、などと考えを運らせておりました」
インジャは無言で頷く。と、チルゲイは俄かに声を大にして言うには、
「しかしそれこそすべて徒労! ただただ四頭豹の奸計の網の中でもがいていたに過ぎません」
「…………」
「今こそ手綱を取り戻すときです。すなわち我ら盟邦がともに立ち上がり、正々の旗を掲げ、堂々の陣を布き、自ら戦いの地を選び、自ら戦いの日を定めて、積年の宿敵を討つべきです。奸計に惑わされず、こちらの思うように戦うことが肝要です。動いて迷わず、挙げて窮せず、円石を千仞の山に転ずるがごとく、勢いに任じて攻めかかるべきです。兵法に謂うところの『人を致して人に致されず(注2)』とはまさにこのこと」
インジャは黙してチルゲイの進言を熟思している風だったが、尋ねて言うには、
「奇人殿の高説はもっともですが、いかんせん敵は我らに倍する大軍を擁しております。梁兵だけでも東西併せて十万。兵法では『算多きは勝ち、算少なきは勝たず』と謂います。兵を興したとして、果たして勝算はあるのでしょうか」
問われて答えるのはチルゲイの本領、臆することなく言うには、
「畏れながら、ハーンは虚を見て、実を見ておりません。『兵は多きを益とするにあらず』と申します」
「虚とは?」
莞爾と笑って言うには、
「まさにハーンがおっしゃった梁兵です。思うにこれを算える必要はありません」
インジャは瞠目して、
「いったいどういうことですか」
「これもイシに籠もっているうちに悟ったのですが、あのとき城内には一万騎の兵が居ました。しかしただ居るだけで、何のはたらきもできませんでした。よいですか? はたらきのない兵はそもそもいないも同然、どうして算える必要がありましょう」
「梁兵がそうだと?」
「はい! 梁兵の主力は歩卒。たとえ草原に繰り出しても、いたずらに彷徨するばかり。こちらが策を誤らなければ、戦いの日に戦いの地に辿り着くこともできないでしょう。ただ遠方の城塞に籠もっているだけならば、十万が百万でも放っておけばよろしい。草原で勝利を収めれば、自ずと霧消するはずです」
インジャはみるみる愁眉を開いて、
「たしかにそのとおりだ」
「破るべき敵は四頭豹、戦うべき地は中原、動くべき時は春です。こちらは東西の兵を集めて、一気呵成に南進します。もちろん三色道人と亜喪神は合流するでしょうが、梁兵はもとより、色目人の兵も間に合いません」
唇を湿すと、詳説してさらに言うには、
「何となれば、イシを奪った西域軍は歩騎が相半ばしており、恐るべき火砲があるといえども、これを中原に運ぶには幾日かかるや知れません。またファルタバン朝は侮ることのできぬ強兵には違いありませんが、今は西域諸蕃に退避しています。春の西原は砂塵が吹き荒れ、ただでさえ千里を越えてきた大軍が容易に動ける季節ではありません。よって私は『春に中原で戦え』と申しているのです」
(注1)【この十年】このときより十年前に、四頭豹はジャンクイを擁立(西暦1211年)。翌年にはインジャの南征を撃退して、英王を弑逆(1212年)。ダルシェを無力化(1214年)したのち、東原に天導教を興して(1215年)、東原動乱を招く(1216年)。シノンの叛乱が失敗(1217年)して、ヒスワが処刑されると、三色道人を光都に遣って東ヤクマン部を建てさせた(1218年)。またボギノ・ジョルチのハヤスンを暗殺(1219年)、ついに亜喪神を西原に送って衛天王を破り、双城を攻略した(1220年)。その結果、四頭豹の勢力は東西に伸長して、天下は二分された。
(注2)【人を致して人に致されず】己が主導権を握って、敵に振り回されてはいけない、という意味。




