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草原演義  作者: 秋田大介
巻一二
697/783

第一七五回 ①

四頭豹布石十全にしてガラコ()

衛天王豪勇無双なるもサチ殿(しんがり)

 この(ゾン)に、義君インジャはその(ツォル)をミノウル・ハーン(大原大合罕)に改めた。思えばインジャは竜の(ヂル)に生まれ(注1)、二巡目の竜の年に部族(ヤスタン)を統一して即位、ジョルチン・ハーンとなった(注2)。


 あれから十二年、また竜の年に至って新たな称号を得たのである。これも宿星(オド)(めぐ)り合わせと言うほかない。


 さて、インジャは苦戦の渦中にある衛天王カントゥカを救うべく、使者として飛生鼠ジュゾウたちを西原に派遣した。その中には、太師エジシに師事せんとて同行する一丈姐(オルトゥ・オキン)カノンらの姿(カラア)もあった。


 ウリャンハタの留守陣(アウルグ)にて邂逅した彼らは、そこでファルタバン朝の王太子の苦難(ガスラン)を知ることになる。義憤に駆られたカノンは、たちまちこれを救うことを決意して、妖豹姫ガネイらと西(バラウン)へ発った。


 エジシたちがタムヤで待機しているところに首尾よく王太子を伴って帰還する。インジャはおおいに喜んで、癲叫子ドクトらに迎えに行かせた。きっと英傑(クルゥド)が至るに違いないという予感(ヂョン)から、そわそわしながら到着を待つ。


 無事に(まみ)えたところ、王太子は想像以上の傑物。名はアリハン・イゲル、渾名(あだな)は「碧睛竜皇」。インジャはすっかり気に入って、いずれ必ず西征することを約す。


 アリハンは感激することひととおりではなく、まずはインジャの下で草原(ミノウル)統一に尽力することを誓った。従臣(コトチン)の黄鶴郎セトに異議のあろうはずもない。


 かくしてインジャは、天下の偉材を同時に二人も得た。しかし言語(ウゲ)の違いから意思(オロ)の疎通が容易(アマルハン)ではないため、しばらく逗留するエジシに預けることにした。


 エジシに西域(ハラ・ガヂャル)語を教わろうとしていたカノンや、その文字(ウセグ)を知りたい嫋娜筆(じょうだひつ)コテカイも雀躍する。華語を習う赫大虫ハリンとともにファルタバン朝の主従に附けて交流させたが、この話はここまでとする。




 ところ変わって再び西原。自ら四万騎を(ひき)いたカントゥカは、たびたび亜喪神ムカリと交戦に及ぶ。ムカリの兵力もまた四万。一進一退を続けて、なかなか勝敗が決しない。


 もとよりカントゥカの武威はムカリに劣るものではないが、あるいはカムタイから梁軍が、あるいはイシから西域軍が側面からこれを援けて動くため、勝ちを制しえないでいる。


 さればとてムカリを避けて、イシを囲む西域軍を追い払わんとすれば、たちまちムカリが襲ってくる。加えて柵やら(あな)やらを築いて守る西域軍の(トイ)は、堅固(ヌドゥグセン)そのもの。指揮を()紅百合社(ヂャウガス)の吸血姫ハーミラとその部将たちも、匪賊(ヂェテ)出自(ウヂャウル)とは思えぬ用兵巧者。よってこちらの策も早々に頓挫する。


 これではイシの士気も振るわない。竜騎士カトメイや鉄将軍(テムル)ヤムルノイが盛んに鼓舞したが、困憊(こんぱい)の色は覆いようもない。さすがの奇人チルゲイも無為無策、悠然と構えてはいたものの、果たしてまことに余裕があったかどうか。


 カントゥカの幕僚たち、すなわち渾沌郎君ボッチギン、知世郎タクカといった面々すら打つ手がない。あるとき丞相(チンサン)たる聖医(ボグド・エムチ)アサンが言うには、


「双城の掎角(きかく)(注3)の形を敵人(ダイスンクン)に奪われたままでは、どうしようもありません。(ホイン)(ヂェウン)からの援軍が(たの)みです。それまでは勝つことよりも敗れぬこと。これ以上の侵攻を許さぬことに(オロ)を砕くべきです」


 麒麟児シンが切歯扼腕して、


「何といまいましい! 亜喪神ごときに勝ちえぬとは」


 花貌豹サチが(たしな)めて、


「あれは昔日(エルテ・ウドゥル)小僧(ニルカ)ではないと何度言ったら」


「そんなことは解っている! 侮るつもりはまったくない。単に悔しいだけさ」


 神道子ナユテが進み出て、


「大カン。潤治卿が報せてきたファルタバン朝が気に懸かります。まことに東征してくるものか。もし(ウネン)なら、腹背に(ブルガ)を受けることになります」


 矮狻猊(わいさんげい)タケチャクが志願して、


「では私が斥候(カラウルスン)を率いて西方を探索してまいりましょう」


 もちろん許されて、即時に発つ。それを見送ったカントゥカが言うには、


丞相(チンサン)の策を採る。現状を維持しつつ義君の援軍を待つ」


 異を唱えるものはなく、その方針に(のっと)って方策が(はか)られたが、くどくどしい話は抜きにする。




 その待ちに待った援軍がついに発せられた。ボギノ・ジョルチ軍である。胆斗公(スルステイ)ナオルは、幼少(バガ・ナス)のヴァルタラ・ハンのもとに残る。


 出陣するのは、摂政たる王大母ガラコ。副将は靖難将軍イトゥク。参謀として百万元帥トオリルが加わる。動員したのは二万騎。ガラコは将兵を激励して、


「私たちはかつて散々ウリャンハタを侵した。今こそその罪を(あがな)うときだ」


 ボギノ・ジョルチ軍が版図(ネウリド)の外に遠征するのは実に七年ぶり(注4)。それも上卿会議が四頭豹と組んで、カントゥカの留守を狙ったもの。それによってウリャンハタ軍は、インジャの南征から離脱(アンギダ)を余儀なくされたのだったが、今となっては遥か昔のこと。


 二万騎はエトゥゲン(大地)を蹴立てて、猛然と盟邦を救うために南下する。




 しかし、ガラコとカントゥカは約会(ボルヂャル)することができなかった。中途で襲われて(もろ)くも敗退したからである。


 そもそも西原の北半には、敵対する部族(ヤスタン)も軍兵もないはずだった。そのため、早く友軍(イル)合流(べルチル)することだけに専心して、周囲の警戒を怠ったのが敗因である。


 やむなくガラコは退却を決して、イトゥク独りがこのことを報せるべくウリャンハタの軍営に向かった。

(注1)【竜の年に生まれ】インジャの生誕は西暦1184年。


(注2)【二巡目の竜の年に】インジャがハーンとなったのは西暦1208年。


(注3)【掎角(きかく)】前後から敵を制すること。前後相応じて敵を討つこと。


(注4)【実に七年ぶり】インジャの南征中のこと。第一一六回①参照。

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