表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
草原演義  作者: 秋田大介
巻一二
692/783

第一七三回 ④ <セト登場>

サチ干戈を交えて喪神の血統に(おどろ)

ガネイ貴紳を救いて太師の才華を歓ぶ

 ガネイが()れて言うには、


「困っているみたいだから、助けてあげようよ!」


 するとヒラトは険しい(ヌル)で答えて、


「平時ならばお前の好きにすればよいが、現今の国難を思えばな……。察するに単に匪賊(ヂェテ)の類に追われているだけではなかろう」


そう(ヂェー)! だから相談に来たんだよ」


「しかもその男は、大カンに何を伝えんとしているのか……」


「解らないよ。言葉(ウゲ)難しい(ヘツウ)んだもの!」


 言い合っているところに現れたものがある。言うには、


「どうなさいました。何かお助け(トゥサ)できるかもしれませんよ」


 戸口(エウデン)に立って拱手しているのは、何とボギノ・ジョルチ部の太師エジシ。ボッチギンからの早馬(グユクチ)を受けて、百万元帥トオリルとともに軍議を為すべく訪れていたもの。ヒラトは愁眉を開いて、


「おお! 太師殿は、たしか異国(カリ)の言語にも通じていたのでは(注1)」


 そう言って事の次第を語れば、たちどころに了解して、


「会ってみましょう。もしかしたら話が解るかもしれません」


 ガネイは欣喜雀躍して、


ありがとう(バヤルララ)! すぐ連れてくる」


 言うや否や、もう飛び出している。待つほどのこともなく一人の男を伴って戻ってくる。その人となりはと云えば、


 身の丈は七尺半を超え、年のころは三十を過ぎる。白金(ツェゲン・シラ)の長髪は輝き、深緑(ノゴーン)睛眸(ニドゥ)(きら)めく。朱唇皓歯、容姿端麗、心性(チナル)は高貴にして文武に(すぐ)れた絶才(注2)の主。西(バラウン)の大国に知らぬものなきその名はセト・イジュン。人呼んで「黄鶴郎」。


 エジシはその容貌(クナル)を見て、ほうと嘆声を漏らす。挨拶して幾つか試みに言葉を交わせば、やがてぽんと(ガル)()って、


「彼の母国語は解りませんが、いわゆる西域(ハラ・ガヂャル)の言語を話せるようなので、何とか意思(オロ)が疎通できそうです」


 ヒラトとガネイは快哉を叫ぶ。


 当のセトにとってはなおさらのこと、驚き、喜び、おおいに安堵した様子。エジシを介してみなと名乗りあう。先に挙げた名やら渾名(あだな)やらは実はこのとき伝わったもの。


「それで、それで? セトさんは何と言ってるの?」


 ガネイが栗鼠(ケレム)のように眼をきらきらさせて問う。エジシは莞爾と笑って、


「あわててはいけません。これからよくよく訊いてみるのですよ」


 そしてまたしばらく会話していたが、エジシの顔はみるみる曇る。次第に(フムスグ)を寄せて、(ダウン)の調子も低く、暗くなっていく。


 ついには(ハツァル)に掌を当てて、長い唸り声を挙げる。セトの話はいつの間にか終わっていたが、しばらくは黙ったまま。


「……いったい何があったのでしょう?」


 恐る恐るヒラトが尋ねれば、エジシは何と言ったものか小考していたが、


「まず、彼の出自(ウヂャウル)は、遠く西方にあるファルタバン朝です」


「ファルタバン朝?」


ええ(ヂェー)。西域に連なる小国群のさらに彼方にある国家(ウルス)です。近年俄かに拡大して、今や大王朝となっているようです」


 その未曽有の隆盛をもたらした(シャー)の名は、ファカール。だが「征服王」と称された彼も、齢六十になんなんとして(ようや)衰暮(すいぼ)(注3)のときを迎えつつあった。


 ファカールには文武に優れた壮年の王太子があった。この十年ほどの戦果はほとんど王太子の功績と言っても過言ではない。人々はこれに大きな期待を寄せて、王朝のさらなる繁栄を信じていた。ところが好事魔多し、思わぬ陥穽が待ち受ける。


 ファカールの末弟、すなわち王太子にとっては叔父にあたるイブン・シールッディーンなる奸者があった。王位を狙うシールッディーンは、王太子が都を離れている隙に巧みにシャーを欺いて、その謀叛を信じ込ませてしまった。


 そうとは知らぬ王太子は、召還の命令を受けて疑うことなく軍を離れ、僅かな従者とともに都へ向かった。入れ替わるようにシールッディーンの息のかかった将軍が赴任して兵権を奪う。


 王宮にていよいよ奸者の毒牙が身に及ばんとしたそのとき、ついに危機を察知した主従は、間一髪でこれを(かわ)して、身ひとつで逃げだした。


 たちまち王命が下って、重罪人として追われる。すでに奸計の網は至るところに巡らされていて、行くところもない。シールッディーン独りならばいかようにもなるが、シャーの勅命がある以上、かつての部将たちも(たの)むことはできなかった。


 もはや国内に隠れるところもなくひたすら逃げて、いつしか版図を脱する。十数人あった従者も、気づけば一人を残すばかりとなっていた。


「……その一人こそ、ここにあるセト殿なのですよ」


 エジシの言葉にヒラトたちは驚愕する。


「何と! ではセト殿が助けてほしいと請うているのは……」


ええ(ヂェー)、ファルタバン朝の王太子ということになります」


 このことから、異能の好漢(エレ)は手を携えて異郷へ渡り、碧眼の貴種を助けて草原(ミノウル)の大ハーンにまたまた翼を添える次第となる。


 まさしく宿星(オド)の導く命運(ヂヤー)は千里をも越え、さながら(オス)が高きより低きに流れるがごとく、英雄の大徳はついに異族をも心服せしめるといったところ。果たして黄鶴郎の望みは(かな)えられるか。それは次回で。

(注1)【異国の言語に……】エジシは草原(ミノウル)のみならず、中華(キタド)西域(ハラ・ガヂャル)の言語も解する。第 一 回④参照。


(注2)【絶才】ずばぬけた才能。またその人。


(注3)【衰暮】老いて衰えること。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ