第一七三回 ③
サチ干戈を交えて喪神の血統に愕き
ガネイ貴紳を救いて太師の才華を歓ぶ
カントゥカが親征の途に就くころには、秋になっていた。二万騎が一斉に南下、サチとの合流を図る。
イシの包囲は変わらず続いている。チルゲイが外敵に備えるよう警鐘を鳴らしたおかげで、まだ糧食などは足りているが、いつまでもあるわけではない。早急に解放しなければ、いずれ必ず尽きる。
ムカリの兵は約四万。これまでサチの手許には、二万騎があるだけだったので自重していた。カントゥカと兵を併せれば四万騎。これにイシの守兵一万騎を加えれば、敵を上回る兵力をもって、城の内外から挟撃することができる。
ところがこの目算もあえなく外れることになる。秋に増強されたのは敵人も同じであった。中原からではない。兵を供出したのは、西域の盆地やら湖やらに点在する小国群。
四頭豹の命を受けたウルイシュが、各国を巡って連合軍を組織、自ら大将となって帰還したのである。その数、歩騎併せて一万数千。彼らはまずカムタイの城外に野営、そのあと吸血姫ハーミラたち紅百合社の将領の下に再編されてイシを指す。
到着した隊から展開して、次第にムカリの兵と交替する。草原の兵と違って、彼らは柵を立て、塁を築き、塹を掘って陣を固める。
城壁からこれを望んだカトメイたちは、瞠目して眺めているばかり。チルゲイもまた顧眄(注1)しつつ言うには、
「ははあ。梁のみならず、色目人まで連れてくるとは。いよいよ窮したぞ」
そう言いながらどこか呑気な様子。ミアルンが不安げに言うには、
「奇人殿は心に余裕があるように見えますが、何か策がおありですか」
「ん? ない、ない。あわててはいないが、策もない」
愕然としていると、蒼鷹娘ササカが、
「この男はちょっとおかしいのさ。まともに相手をすることはないよ。ときに色目人の兵がこんなところまで来ているということは……」
「然り。西城はとっくに落ちている」
それを聞いて、みな悄然として溜息を吐く。カトメイが勇を鼓して、
「きっと大カンや丞相(注2)が救援に来る。それまで必ず守り抜く」
チルゲイは軽く頷くと、カコを顧みて、
「省みれば、最初に雪花姫が『上兵は謀を伐つ』と教示してくれたのに、私は活かすことができなかった。そのあとの『交を伐つ』(注3)ことこそ肝要だったのだ。四頭豹が招いた華人、色目人、そして叛賊。我らは蒙昧に過ぎて、どれひとつとして伐てなかった。今日の苦境もまたやむなし」
カコは僅かに眉を顰めて、
「らしくもない。あなたはこれまで、そこを何とかしてきたのではないですか」
「あっはっは、まったくだ。さすがは雪花姫、敵わないな」
「さあ、武については竜騎士殿たちに委せるしかないのです。あなたは脳と舌で戦う方なのですから」
そう言うとヤザムを伴って、チルゲイの背を押すようにして城内へ戻ったが、くどくどしい話は抜きにする。
さて、ガネイである。出征前にオルドを訪ねたが、カントゥカに見えることはできず、ボッチギンによって追い返されてしまった。将兵がことごとく発ってひと息吐いたころに、やっとヒラトに会うことができた。
「どうした、妖豹姫」
ガネイは憤懣やる方ない様子で、
「遠いところから来たのに、だいぶ待ってもらったんだよ」
「何の話をしている。誰か来ているのか?」
「来てるよ! 大カンに会わせたかったんだけど、渾沌郎君が……」
ヒラトは辟易しつつ制すると言うには、
「わかった、わかった。で、それはどこの誰なんだ」
「判らない。遠く。たぶん西のほう」
呆れて一瞬、言葉を失う。気を取り直して言うには、
「……判らないということはないだろう。客人の名は?」
小首を傾げて、
「ええと、たぶんセト」
「たぶん? お前の話はよく解らん」
途端にガネイはむくれて、
「だって言葉が少ししか通じないんだもん」
「何と。異国のものなのか。色目人か?」
「そう! 見たことのない髪の色だよ。白金って云うのかな、光り輝いて眩しいくらい」
ヒラトは驚くとともに容易ならざるものを感じて、やや身を入れて経緯を訊ねる。思いつく端から語るガネイの話を、辛抱強く聴いて漸く判明したことを纏めればこうである。
ある日、ガネイが新馬を調教していると、痩せ馬に跨がったその男がふらふらとやってくるのに遇った。
見るからに憔悴して、食事も満足にしていない様子。あわててこれを助けて帰る。あれこれ尋ねたが、どうも要領を得ない。とりあえず食事を与えて休ませる。
少し落ち着いたので、夫のイドゥルドとともに僅かに通じる片言を繋ぎ合わせてみれば、どうやら主人とともに悪人に追われて逃げてきたようだ。
男はウリャンハタの大カンに助力を求めるべく、主人と別れて長躯してきたらしい。ただ仔細については何を言っているかよく判らない。何やら大カンにも伝えたいことがあるようだったが、ただ切迫している気配が伝わるばかり。
とにかくオルドへ連れていけば良い智恵もあるだろうと思ったが、ボッチギンに追い返されたことは先に述べたとおり。
ヒラトはううむと唸ると、しばし黙考する。
(注1)【顧眄】あちらこちら辺りを見回すこと。
(注2)【丞相】ウリャンハタにおける人臣の最高位。聖医アサンのこと。
(注3)【交を伐つ】(次善の策は)敵の同盟や友好関係を断つことである、という意味。