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草原演義  作者: 秋田大介
巻二
69/783

第一 八回 ①

ナオル義兄に天無二日の理を(さと)

ヒスワ大人に遠交近攻の計を説く

 トシ・チノはサルカキタンを破ったことを祝って、またインジャら客人(ヂョチ)のために盛大な宴を催した。()しくもここに乱世の手綱(デロア)()るべき英傑好漢が(つど)った。


 中央(オルゴル)で大杯を手に笑うは、ベルダイ左派(ヂェウン)族長(ノヤン)トシ・チノ。そしてマシゲル部ハーンの嫡子(ティギン)、マルナテク・ギィ。さらに我らがフドウ氏族長(ノヤン)インジャ。


 華を添えるのはギィの正妻(アブリン・エメ)、キハリ家のアンチャイ。同じくキハリ家の女傑チハル・アネクとタリエス家のキノフ。


 控える好漢(エレ)はジョンシ氏族長(ノヤン)ナオルを筆頭に、神都(カムトタオ)のゴロ、ハツチ、ジュゾウ。加えてイタノウの族長(ノヤン)マルケ。そのほかベルダイの諸将が興を分かつ。


 あるものは戦功を誇り、あるものはギィとアンチャイの結婚(ホリム)を祝し、あるものは理由はともかく(ボロ・ダラスン)が飲めるのが嬉しくてしかたないといった有様。特に主人(エヂェン)のトシ・チノは誰にもまして上機嫌である。


「何とも愉快ではないか。今日の勝利で右派(バラウン)は立ち直れまい。ジョルチ部がひとつになる(ウドゥル)近い(オイル)ぞ!」


 その言葉(ウゲ)を聞くや否や、ナオルがあっと(ダウン)を挙げて杯を落とす。顔色は真っ青である。インジャがあわてて尋ねる。


「どうしたのだ、気分でも悪いのか」


「少々飲み過ぎたようで……」


 そう言いつつ目配(めくば)せする。インジャはわけがわからなかったが、頷いてトシ・チノに言うには、


「ナオルが悪酔いしたようなので、ゲルまで送ってまいります」


「それはいかんな。誰か呼んで送らせようか」


いえ(ブルウ)、みなはそのまま宴をお楽しみください。あとで戻ります」


「そうか」


 それでもう二人のことは忘れて(ウマルタヂュ)、また「愉快、愉快」と繰り返す。ナオルは一礼するとインジャに伴われてふらふらと宴席を離れた。


 ゲルに着くや具合の悪そうな様子から一変、素早く辺りを見回し、インジャの(ノロウ)を押して中に入る。


「どうしたんだ、いったい。おかしいぞ」


 問えばナオルは(アマン)(ホロー)を当てて(ささや)いた。


「先のトシ殿の言葉、聞きましたか」


「何のことだ?」


「トシ殿いわく『ジョルチ部がひとつになる日も近い』と」


「それがどうした。そのとおりではないか」


 ナオルは首を振る。


部族(ヤスタン)がひとつになれば、ハーンを選出せねばなりません。古言に『上天(テンゲリ)に二日なく、大地(エトゥゲン)に二王なし』と謂います。今、ジョルチ部を見渡すにハーンたりうるものは……」


 ひと呼吸置いて、


「義兄とトシ殿だけです」


 そしてインジャの(ヌル)をじっと視る。何も言わないので再び口を開いて、


「トシが大望を抱いているのは明らかです。その最大の障壁こそ義兄なのですぞ」


「待て。私はハーンになろうなどと思ってない」


「義兄が望まなくともハーンの選出には影響しません。その方法をご存知ですか」


 インジャは黙って首を振る。ナオルは溜息を吐くと言うには、


「各氏族(オノル)長老(モル・ベキ)、重臣たちがクリルタイを開いて決めるのです。ハーンは部族(ヤスタン)命運(ヂヤー)を左右する存在。よって人格(チナル)才略(アルガ)、血統などあらゆる面が考慮されます。当人の意向(オロ)など意味はありません。だからなろうとして容易(アマルハン)になれるわけではなく、なりたくないとしても指名されれば受ける義務(アルバ)があるとされています」


 さらに続けて、


「クリルタイの決定は草原(ミノウル)においては絶対(アルバダン)です。ハーンの勅命(ヂャルリク)すら、その前には一歩を譲るのです。例えばハーンが己の(ティギン)に継がせたいと望んでも、クリルタイで否決されれば決してハーンにはなれないのです。ここが氏族(オノル)族長(ノヤン)を選ぶのと大きく違うところです」


 そこで一旦間を置くと、繰り返して言うには、


「クリルタイの決定は絶対なのです」


「しかし、それならなおのことトシ殿がハーンになるのが相応ではないか。私は才略も戦歴も劣っている」


「まことにそうでしょうか。今日の(ソオル)の前にトシ殿が言ったことを覚えていますか。いわく『貴殿の(クチ)はベルダイ両派とともにジョルチ部を三分している』と。いえ(ブルウ)、少し訂正しましょう。右派が後退した今、義兄はトシ殿と部族(ヤスタン)を『二分』しているのです」


「……」


「しかもトシ殿が掌握しているのはベルダイの一部のみ、兵力は六千騎ほどです。対して義兄は、フドウ、ジョンシ、キャラハン、ズラベレンの四氏を統べ、擁する兵力は一万(トゥメン)を数えます。これを以てこれを見れば、トシ殿が義兄に勝るなどと誰が言えましょう」


 インジャは口を尖らして反論した。


「それは違うぞ。一万といっても純粋にフドウの騎兵は二千ほどで、あとはジョンシやズラベレンの兵だ。やはり私は……」


「しかし考えてみてください。数年前までフドウの兵はいなかったのですぞ。それがはや二千。さらにジョンシやズラベレンの人衆(ウルス)も義兄の徳を仰いでおります。何より族長(ノヤン)である私やコヤンサンが義兄に心服しているのです。疑うことなく一万騎、しかもそれはこの数年でまったくの無から手に入れたもの。これこそテンゲリに(よみ)されている(あかし)と云ってよいでしょう」


 知らずナオルは熱弁を振るっていた。はっとして口を(つぐ)み、外の気配を窺う。遠くでときどき笑い声が起こるほかは何も聞こえない。ほっとしてまた声を落として話しはじめる。


「ともかく義兄はトシ殿の大望にとって目障りに違いありません。謙虚なだけではなく慎重になる必要があります。さあ、宴席にお戻りください。あまり離れているとよくありません」

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