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草原演義  作者: 秋田大介
巻一二
688/783

第一七二回 ④

素蟾魄(そせんぱく)自ら()べてチルゲイの思慮を補い

白日鹿(たちま)ち出でてヤムルノイの危急を救う

 帰還した勇将たちを、チルゲイが歓声を挙げて迎える。しかしカコは青ざめた(ヌル)でヤムルノイを責めて言うには、


「まったくあなたという人は。私たちは(あや)うく僚友(ネケル)を一人失うところでした」


「申し訳ない。矮狻猊(わいさんげい)たちを逃すことしか考えていませんでした。白日鹿が現れなければきっと死んでいました」


「そうだ! 君を救った佳人はいったい……」


 チルゲイが問えば、答えて言うには、


「俺の幼少(バガ・ナス)からの知己で、名はミアルン。人からは白日鹿と称されている」


「おい、鉄将軍(テムル)。こんな有能な佳人をこれまで推挙しないとは、国家(ウルス)の損失というものだぞ」


 呆れたように言いつつ見遣(みや)れば、ミアルンは温顔に微笑を(たた)えて、恭しく揖拝(ゆうはい)する。傍ら(デルゲ)からササカが興奮した様子で言うには、


「この夫人(ウヂン)にはまったく驚かされたよ。不意に現れたと思ったら、私が開門を命じる前に城壁(ヘレム)から綱を垂らして、止める暇もなく降りていったんだからね!」


 やはり旧知らしいヤザムが、(オモリウド)の前で両手を握り合わせて、


心臓(ヂュルケン)が止まるかと思いました。常にはおっとりしているのに、まさかあんな無理をするなんて……」


 ミアルンは(ハツァル)を染めて、恥ずかしそうに(うつむ)く。先ほどまで果敢に戦っていた女丈夫と同じものとも見えない。ササカがなおも激賞して、


「そのあとも凄かったよ。疾風(サルヒ)のごとく駆けて(ブルガ)から(アクタ)を奪うや、一直線に斬り込んでいった。たいしたもんだよ」


「もうそのくらいで……。はしたないことをしました。お恥ずかしい」


 いよいよ身を小さくして、消え入りそうな(ダウン)で懇願する。その恭倹な態度に好漢(エレ)たちはますます感服して、喜んで席を与えることにした。


「さて、為すべきことはやった。矮狻猊たちは間に合うかな」


 チルゲイが呟いたが、もちろん答えられるものはない。あとはテンゲリの加護を(たの)むばかり。


 そのタケチャクとクミフは、先にチルゲイが勧めたとおり一旦中原に渡って、やおら北上に転じる。様子を見て再び西原に戻り、ひと息にカムタイを指した。


 が、結論から述べれば、二人は危急を報せることはかなわなかった。現地に達したときには、すでに落城していたからである。城壁には見たこともない(トグ)翩翻(へんぽん)としていて、明らかに異国(カリ)の兵が立哨していた。


 タケチャクは切歯扼腕して言うには、


「何と、すでに遅かったか! 娃白貂、俺は少し辺りを探って、一角虎(エベルトゥ・カブラン)らがどうなったか(しら)べる。お前は麒麟児にこのことを報せよ」


 クミフは下唇を噛んで頷くと馬首を返したが、くどくどしい話は抜きにする。




 さてここからは、次第に判明したことや、のちに相次いで起こったことを縷々(るる)述べることにする。いずれも東城に籠もる好漢たちが知ったのは、だいぶあとになってからである。


 カムタイが陥落した経緯(ヨス)は、ほぼヤザムの意見をもとにチルゲイが予測(ヂョン)したとおりであった。


 シータ(ダライ)を梁兵を満載した大船団が押し渡ったのは、イシが包囲(ボソヂュ)されてまもなくのこと。主将は征胡将軍たる石元正、副将は平西将軍の柳広敏。兵力は約五万。


 光都(ホアルン)を落としたときと異なるのは、ヤクマン部の兵が加わっていないこと。その代わりというわけではないが、異形の色目人たちがあった。すなわち紅百合社(ヂャウガス)のものどもである。


 その首魁は何と女。齢は四十前後、豊かな黒髪を(なび)かせ、身の丈は七尺を優に超える。その性は残忍(ハラギス)にして狡猾(ザリ)。名は、ハーミラ。ファルタバン朝の人衆(イルゲン)からは、「吸血姫」と渾名(あだな)されて怖れられている。およそ千人(ミンガン)の手勢を連れて同船する。


 上陸してカムタイに進めば、もちろんすぐにスク・ベクの知るところとなる。麾下には勇将なく、クニメイをはじめとする文官(ドゥシメット)があるばかりだったが、恐れる色もなく守りを固めるよう命じる。


 イシと同じく籠城戦が始まるかと思いきや、カムタイは呆気なく落ちた。


 城内に潜伏していた紅百合社のものが衛兵(ケプテウル)の背後から襲いかかり、あっと言う間に敵軍を迎え入れてしまったのである。四門すべてに然るべき将を配置できていれば、かくも容易には崩れなかったかもしれないが、いかんせんスク独りでは防ぎえない。


 スクは怒り(アウルラアス)心頭に発して市街に戦わんとするも、クニメイたちがこれを押し止めて、とにもかくにも脱出(アンギダ)を図る。中軍(ゴル)の二千騎が、スクと文官たちを守るべくひとかたまりとなって北門に向かった。


 すぐにこれに気づいた梁軍と乱戦になる。ここはスクの奮迅の活躍で(ようや)く突破した。平原(タル・ノタグ)に出てからも執拗な追撃を受けて数多の兵を失ったが、何とか僚友に欠けるものなく逃げきる。


 みなは(はか)って、ネサク氏族長(ノヤン)たる麒麟児シンに助けを求めることにした。スクは忿怒のあまり馬上で幾度も気を失う有様。互いに励まし合って道を急ぐ。


 彼らはついに合流(べルチル)を果たしたが、ここでも四頭豹の奸計に先んじられる。何となれば、シンもまた敗残の身だったからである。


 シンは衛天王カントゥカの勅命(ヂャルリク)を得て、知世郎タクカとともにイシを救援(トゥサ)するため全軍を挙げて発った。


 その後背を奇襲されたのである。


 誰の手によるかと云えば、何とウラカン軍。カトメイの(カラ)を受けて援軍となるはずの兵が、(にわ)かに友軍(イル)を襲ったことになる。タクカが語ったところによれば、


「かつて渾沌郎君の『上屋(じょうおく)抽梯(ちゅうてい)の計(注1)』に欺かれたフフブル(注2)が叛したのだ。大カンが立ったのちはもちろん留守(アウルグ)の任から外されていたが、いつの間にか復権して四頭豹に通じていたらしい」


 ここでもまたチルゲイの予測は()たったわけだが、その(セウデル)(とら)えても実を(つか)まなければ何の意味も成さない。幾重にも巡らされた奸計に翻弄されるばかり、(たと)えて云えば暴風(ハラ・サルヒ)に舞う砂塵のようなもの。


 すべては平和(ヘンケ)(おご)って警戒を怠った報いだが、今さら悔やんでも「零した馬乳酒(アイラグ)を戻すことはできない」。果たして、ウリャンハタ部の命運(ヂヤー)はどうなるか。それは次回で。

(注1)【上屋抽梯(じょうおくちゅうてい)の計】屋に上げて(はしご)(はず)すの意。敵を騙して逃げられない状況に追い込む計略。


(注2)【フフブル】かつてカトメイの父ツォトンに代わって、留守のアイルを束ねていた。第六 六回①、および第六 六回②参照。

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