第一七二回 ③ <ミアルン登場>
素蟾魄自ら陳べてチルゲイの思慮を補い
白日鹿忽ち出でてヤムルノイの危急を救う
「何ですって!? 異国からってどういうこと?」
ササカが真っ先に声を挙げる。チルゲイは答えて、
「先に四頭豹が光都を奪ったとき(注1)は、梁の援兵数万を使った。それを渡すためにカオロン河に橋まで架けた。私はそれを知っていたはずなのに、まるで考慮に入れていなかった。余剰の兵力はないと決めつけてしまっていたのだ」
カコが青い顔で、
「ではこのたびも……」
「然り。梁なら造船に長けたものもすぐに集められよう。まったく私の脳も鈍ったものだ。平和は実に良いものだが、馴れてしまってはこれを失うのも一瞬だな」
カトメイが手を振って言うには。
「嘆いているときではないぞ。ではどうする? 真偽を確かめようにも、我らはすっかり包囲されている。西城に警戒を促すこともできぬ」
「まさに四頭豹の狙いどおりだ。まんまと罠に嵌まったものよ」
チルゲイが言えば、みな呻いて黙り込む。最初に口を開いたのはカコ。
「あの、蒼鷹娘の鷹を放って、西城まで飛ばすことはできませんか」
「無理だね。そういう鳥もあるだろうけど、鷹にはできない。仮にできたとしても、かねてから調教しておかなければ」
「つまらぬことを申しました。忘れてください」
「いや、いいぞ。逡巡せずともよい。思いつきでも何でも口に出せ」
チルゲイが嗾けたが、たいした案は出ない。ついにカトメイが言うには、
「危険だが、何とかして矮狻猊と娃白貂を遣るしかあるまい」
ほかに妙手もなく、早速算段に入る。敵の布陣が最も薄いのは東側。メンドゥ河を背にする険隘の地のため、兵を展開できないからである。
チルゲイが言うには、
「敵人も、カムタイに通じる西と、オルドへ向かう北は殊に警戒しているはずだ。二人は東門を出たら、いっそそのままメンドゥ河を渡って迂回したほうがよいだろう」
カコが眉を顰めて、
「それもまた四頭豹に読まれているということはないでしょうか。あえて東の陣を薄くして誘っているとか……」
「ううむ、ないとは言わぬが、それを疑いだしたら身動きがとれぬ。あとは矮狻猊と娃白貂の才覚を恃もう」
ヤムルノイが胸を叩いて、
「俺が全力で援護します。必ず二人を逃してみせます」
「あなたも命は粗末にしてはいけません。危ないと思ったら、みなすぐに退いてください」
「承知しました。お委せください」
揖拝してその場を辞す。
準備万端整って翌朝、薄明のころを衝いて、まずはカトメイが陽動のため北門から撃って出る。軽騎二千をもっての奇襲。どっと喊声を挙げて、驟雨のごとく矢を浴びせる。
一方でそっと東門が開く。静かに滑り出たのは、もちろんタケチャクとクミフ。少し遅れてヤムルノイが五百騎を率いて、慎重にあとに続く。
先を行く二人はするするとメンドゥに迫ったが、ついに見つかってしまう。それを見たヤムルノイは、
「突っ込め! 何としても矮狻猊たちを逃せ!」
五百騎は奮い立って猛然と突撃する。たちまち乱戦となって、血の河が流れ、屍の山が築かれる。変事を悟って、敵軍は続々と至る。
「怯むな! まだまだ!」
その渾名のとおり、鉄の意志を有つヤムルノイは、縦横無尽に得物を振るっておおいに暴れる。もはやカコの忠告もすっかり忘れている。
無我夢中に戦ううちに、いつの間にか敵中に孤立している。しかしあわてる風もなく、望見しておもえらく、
「おお、責務は遂行したぞ。矮狻猊たちは無事に逃れたようだ」
にんまりと笑うと誇らしげに、
「俺は一諾したら決して違えぬ鉄将軍。さあ、俺の首を取るのはどいつだ!」
そう叫ぶや、ますます猛り狂って鬼神のはたらき。冥府への道連れにせんとて、群がる敵騎を次々に屠る。
と、そこへ卒かに飛び込んできて彼を助けるものがあった。言うには、
「死んではいけない! あなたは雪花姫に、命を粗末にしないと約したでしょう!」
驚いて見遣れば、何と一個の女丈夫。その人となりはと云えば、
身の丈は七尺に及ばず、年のころは素蟾魄と同じほど。髪は輝く栗毛のごとく、肌は艶めく真珠のごとく、姿形は綽約(注2)にして壮健、心性は温恭にして純明(注3)、剣を能くし、文に長ずる白皙(注4)の佳人。名をミアルン、渾名があって「白日鹿」。
ヤムルノイはおおいに驚く。何となれば見知った顔。
「お前は! 何でここに!?」
「今はそれどころじゃないでしょう!」
ミアルンはその柔和な風貌からは想像しえぬ巧みな剣捌きで、たちまち数騎を斬り伏せる。力を併せて戦えば、漸く血路を開く。
そこにササカがさらに一隊を率いて加わったので、何とか城内に駆けこむことができた。
(注1)【四頭豹が光都を……】第一六四回④参照。
(注2)【綽約】ゆったりとしてしなやか。たおやか。
(注3)【純明】素直で賢明なこと。
(注4)【白皙】皮膚の色が白いこと。