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草原演義  作者: 秋田大介
巻一二
684/783

第一七一回 ④

ヤムルノイ東に浪蕩子の沈酔を(やぶ)

クミフ西に紅百合の跳梁を知る

 ところがチルゲイの配慮は、あまり意味を成さなかった。(いれずみ)の件が漏れたためではない。まともな色目人たちは、身を保つべくカムタイを離れたからである。


 ウリャンハタの版図(ネウリド)を逃れて、西域(ハラ・ガヂャル)に数多ある小国群に仮寓(かぐう)(注1)するものもあれば、ファルタバン朝など遠い本国まで帰ったものもあった。


 残ったのは路銀のない貧しいもの。彼らは自棄に落ちたか、次々と罪を犯した。先のごとく兇悪なそれではない。食うに困ったあげくの窃盗の類である。捕まえてみれば身体(ビイ)(くだん)の黥もない。すなわち紅百合社(ヂャウガス)とは無縁のものたち。


 しかしカムタイの人衆(ウルス)は、そんな内情(アブリ)は知らない。やはり色目人は(モータイ)なのだとて、ますますこれを怨む。


 そのうちに物品や糧食(イヂェ)が欠乏しはじめる。交易が減ったのだから当然のことだったが、人心はいよいよ荒廃して、ついには出自(ウヂャウル)を同じくする従来の住民の間でも(いさか)いが頻発する。


 知事(ダルガチ)のスク・ベクはもちろん、助勢(トゥサ)に来た好漢(エレ)たちも(テリウ)を抱えて為す術もない。ひたすら(ヂャサ)を整えて粛々と行い、世が治まるのを待つばかり。(たま)りかねたスクが、


「いっそ軍卒を市中に配して、厳しく戒めたらどうだろう」


 これについてはクニメイはもちろん、イェシノルもミヤーンもクメンもみな口を極めて諫めたので、何とか思い止まる。


 スクはもとより戦場における猛将(バアトル)にて、内治の手綱(デロア)(さば)くのは得手ではない。もどかしい思いはいかんともしがたく、めっきり(ふさ)ぎこむ。


 クミフはイシに戻って、チルゲイたちにその様子を伝える。みな暗鬱たる心地となったが、どうすることもできない。クミフは席の暖まる暇もなく発って、タケチャクの調査に加わった。


 そのタケチャクからはときどき報告が来る。ヂュルチダイの資質はいまだ不分明だが、亜喪神ムカリが出陣の用意を進めているのは間違いないとのこと。それを聞いて、イシの緊張はいよいよ高まる。


 しかしどうしても判らないことがあった。造反して亜喪神に助力(トゥサ)しそうなものが見当たらないのである。


「おかしいな。きっと見落としているものがあると思ったのだが……」


 チルゲイが首を(かし)げる。ササカがその(ムル)を叩いて、


「良かったじゃない。(しら)べた上でいないんだから、いないんだよ」


「ううむ……」


 どうも得心しない様子。ある(ウドゥル)、タケチャク当人がイシに来たので、改めて問うて言うには、


「まことに、まことに怪しいものはないか」


うむ(ヂェー)。不審な動きはない」


「ゆえなく兵馬を整えているような……」


「ない。大カンから変事に備えるよう命じられた麒麟児と花貌豹。それから、最近になって竜騎士から(カラ)を受けたウラカン氏(注2)。それだけだ」


 チルゲイはカトメイに向き直って、


平原(タル・ノタグ)にあるウラカン軍には、たしかに出陣の準備を命じたのだな」


ああ(ヂェー)、間違いなく私が早馬(グユクチ)を送った」


「ふうむ、そうか……」


 カコが気遣(きづか)わしげに言うには、


「奇人殿は何をそんなに憂えているのでしょう。亜喪神は必ず西原に味方(イル)(もと)めると考えているのですか」


「確信があるわけではないが……。奴らが徒手空拳、無為無策に渡河してくるとは、どうしても思えないのだ」


 カコはひとつ頷くと、自らにも言い聞かせるように、


「何が起きてもいいよう、(オロ)を決めておきましょう。蒼鷹娘(ボルテ・シバウン)(なら)うべきです」


「まあ、やむなしだな」


 さすがのチルゲイも(アマン)(つぐ)まざるをえない。




 ところ変わって中原。四頭豹は亜喪神を召して、からからと笑うと、


「西原の(ノガイ)が徘徊しているようだな」


はい(ヂェー)、実に目障りです。……(とら)えますか」


「放っておけ。むしろお前の出兵は(ブルガ)に伝わってよい」


 そこに現れたのは、ヤクマン部に仕える色目人の頭領とも云うべきウルイシュ。


「カムタイへの調略、すべて()えました」


好い(サイン)! 例のものたちは?」


「すでにこちらに。命があればいつでも」


「ますます好い。私が時機(チャク)を見て命を下す。すぐに発って、次の策にかかれ」


承知しました(ヂェー)


 ウルイシュは多くを問わずに去る。黙って近侍していた小スイシが言うには、


「カムタイは治安がおおいに(みだ)れているとか。ウリャンハタのものはあわてていることでしょうなあ」


 四頭豹は上機嫌のままに答えて、


「覚えておけ。草原(ケエル)の民はたしかに欺きやすいが、まことに御しやすいのは(バリク)の民だ。人は群れれば群れるほど操りやすくなる。もしかすると(ホニデイ)よりも」


「さすがでございます」


「それよりもお前に(たの)んだ件はどうだ?」


「上々でございます。きっと衛天王も(エレグ)を潰すことでしょう」


「ほう、期待しておこうか。では亜喪神、ついに積年の仇怨を晴らすときが来たぞ。存分に暴れてこい」


承知(ヂェー)!」


 待ってましたと言わんばかりに、勇躍(ブレドゥ)して去る。ついに亡君の遺児を奉じて、姦兇の勇将が(ムレン)を渡らんとする。


 数万の強兵(クチュルゲテン)に加えて、奸謀は幾重にも巡らされている。西原の好漢たちはその全貌をまだ(つか)んでいない。「危うきこと累卵のごとし(注3)」とはまさにこのこと。果たして、竜騎士たちはいかにして亜喪神と戦う(アヤラクイ)か。それは次回で。

(注1)【仮寓(かぐう)】仮に住むこと。


(注2)【ウラカン氏】その族長は竜騎士カトメイである。


(注3)【危うきこと累卵のごとし】累卵とは積み重ねた卵。極めて不安定で危険な状態を指す。

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