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草原演義  作者: 秋田大介
巻一二
681/783

第一七一回 ①

ヤムルノイ東に浪蕩子の沈酔を(やぶ)

クミフ西に紅百合の跳梁を知る

 さて、奇人チルゲイは、雪花姫(ツァサン・ツェツェク)カコと蒼鷹娘(ボルテ・シバウン)ササカを伴って、イシの竜騎士カトメイに(まみ)えた。みなが呆れるのをよそに(ボロ・ダラスン)を所望して、ついには酩酊して寝てしまう。


 鉄将軍(テムル)ヤムルノイが現れた夕刻(ヂルダ)、やっと起きたかと思えば、わけのわからぬことばかり言う。しかし独りカコは、チルゲイが何か思いついたのだと気づいて、


「もしや敵人(ダイスンクン)の奸謀を看破したのですか!?」


「さっきからその話をしているんだが……」


 みなであれこれ問ううちに、ひとたびは我に返る。「声東撃西の計」など説いて、四頭豹ドルベン・トルゲに奸謀があることを語りはじめる。


 いよいよ佳境に入って、イシの攻略すら枝葉末節、さらなる大計があると示したところで再び朦朧となってしまった。まさに(シレエ)に伏さんとすれば、ヤムルノイがその(テリウ)をむんずと(つか)んで言うには、


「おい、寝るな! 今寝たらすべて忘れる(ウマルタヂュ)ぞ」


 チルゲイは、はっとして、


「なるほど、道理(ヨス)がある」


 新たに用意された(オス)をがぶりと飲んで、


「夢中で得たものは、きっと夢中に返る。うん(ヂェー)、道理だ」


 そう言って満悦の(てい)。この(チャク)を逃すまいとて、カトメイが尋ねて、


「東城もまた末節とはどういうことだ?」


「どういう? 先に(かんが)みるべき事例がある。東原だ」


 ササカが頷いて、


「ははあ、たしかに四頭豹は光都(ホアルン)のみならず、東原の南半を奪ったらしいね」


然り(ヂェー)。となれば、西原に限って東城のみで満足するということはない」


 カトメイが首を(かし)げて、


「だが判らんな。色目人をして西城を(さわ)がせることが、どう西原の侵略に結びつくのか」


「私もそこまでは知らぬよ」


 そこで(アマン)を開いたのは、白面の佳人カコ。言うには、


「先ほど奇人殿は、(クウ)がどうとか、遊び駒がどうとか言っておりましたが。また、誰かがどこかで待っているというようなことも……」


 するとチルゲイは欣喜雀躍して、


「おお、おお、そうだった! さすがは雪花姫! それよ」


「……それとは?」


 途端にまじめな(ヌル)で答えて言うには、


「よいか。四頭豹の手許(てもと)に西原に所縁(ゆかり)ある大駒がある。もう十年も遊ばせているが、どうこうしたという噂も聞かぬから、まだあるのだろう」


「何だい、その大駒というのは。もったいぶらずにさっさと教えなよ」


 ササカが(うなが)せば、(ホロー)を立てて、


「……ミクケルの遺児だ。亜喪神は独りではなく、これを伴って投じたはず」


 それを聞いて、みなあっと(ダウン)を挙げる。報せを受けたときはおおいに驚き、憂えたものだったが、十年のうちにすっかり忘れていたのである。


「まさか今ごろになって……。奇人の言葉(ウゲ)とはいえ信じがたい……」


 思わずカトメイが呟く。チルゲイは小さく首を振って言った。


「東原を動乱の渦中(クイラン)に落とした覚真導師が現れたのも、追放されてより十年のちのことだった」


 みな息を呑んで黙り込む。しばらく暗然としていたが、カコが気を取り直して、


「もうひとつ。誰かがどこかで待つ、というのは……?」


「いかに亜喪神といえども、西原に味方(イル)がなければ、メンドゥ(ムレン)を渡って留まるのは難しい(ヘツウ)。きっとどこぞの誰かが(ガル)を貸すに違いないと睨んでいるのだが……」


 ササカが大きな(ニドゥ)をいっぱいに見開いて言った。


「誰が!? 誰が今さらミクケルの遺児に助力(トゥサ)するって言うの?」


 チルゲイはううむと唸って腕を組むと、


「それが判らん。蒼鷹娘の言うとおり、今や我が大カンの覇権は盤石。聖医(ボグド・エムチ)らの施政も当を得て、ついぞ不平の声も聞かぬ。ミクケルの傍にあった奸臣の類も、先年の(ソオル)でことごとく死んだと思ったが」


 カコが憂いを(たた)えて、


「見落としているのです。当時は大カンの勢威に屈したが、(セトゲル)怨み(オソル)を飼っているものを……」


「ちょっとあれこれ(しら)べなきゃならん。我らだけでは手に余る。ぜひとも矮狻猊(わいさんげい)(クチ)必要(ヘレグテイ)だ」


 それに応えてカトメイが言うには、


「すぐにオルドへ早馬(グユクチ)を……。いや(ブルウ)、鉄将軍。足労だが君が行って、しかと説いてまいれ。迂闊なものには(まか)せられぬ」


承知(ヂェー)。今から発ちましょう」


 嫌なそぶりひとつ見せない。チルゲイがさらに言うには、


「花貌豹や麒麟児にも戦備を怠らぬよう伝えてくれ。近いうちに必ず亜喪神がメンドゥを渡ってくると思わなければ」


(ウネン)かい? まだ私は信じられないよ」


 ササカが青い顔で言う。チルゲイはそれを顧みて、


「備えあれば何とやらだ。来なければ来ないで良いではないか。それにこちらに備えがあると知れば、奸謀があっても諦めるかもしれぬ」


「だといいんだけど……」


「だいたい我らは常に警戒しているつもりで、やはり平和(ヘンケ)に慣れて(ゆる)んでいた。だって、そうだろう? この十年、誰かミクケルの遺児に気を払ったか? そもそもかの遺児の名を覚えているものがあるか?」


 みな愕然として目を伏せる。


 しばしの沈黙のあとササカが顔を上げてみれば、チルゲイは首を折ってすうすうと寝息を立てていたが、くどくどしい話は抜きにする。

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