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草原演義  作者: 秋田大介
巻二
68/783

第一 七回 ④ <キノフ登場>

インジャ死地を逃れ至りて衆星に(まみ)

ギィ武勲を(あらわ)し果たして野人を(はし)らす

「ゴロ!」


「おお、ハツチではないか!」


 二人が互いの姿(カラア)を認めたころ、(ソオル)はすでに一方的な追撃戦へと変わっていた。


「何でお主がおるのだ?」


 (いぶか)しがるハツチに向かってゴロは(ガル)をひらひらと振ると、何も言わずについてくるよう示した。向かうはトシ・チノの中軍(ゴル)


 トシは二千騎を追撃に()てて、軍を収拾しつつあった。ゴロが現れると満面の笑みを浮かべてこれをねぎらった。


「ギィ殿はいかがした」


「まもなく戻るでしょう。それより、インジャ殿の捜しものが見つかりました」


 そう言ってハツチとジュゾウを指す。トシは、おおと(ダウン)を挙げると二人の好漢(エレ)をじろじろと眺め回した。


「うむ、インジャ殿が言ったとおりの傑物だ」


 そして傍ら(デルゲ)の将にインジャを呼ぶよう命じた。入れ替わりにギィが帰ってくる。


「あのサルカキタンという奴、たいしたことはありませんな」


 思う存分暴れまわったあとだけに満足げな表情。トシは豪快に笑うと、


「あれでもつい先日までは侮りがたい宿敵だったのだ。ベルダイの六駒と称される良将が揃っていたからな」


「ほう、初耳ですな。その六駒とやらはどうしているんです?」


「フドウのインジャ殿が、先の戦で一人残らず亡きものにしたのだ。おかげで右派(バラウン)の勢いは昔日(エルテ・ウドゥル)半分(ヂアリム)にも及ばなくなってしまった」


「あのインジャ殿が? それは意外」


 そこに当のインジャが、ナオルとマルケを従えて駆けてきた。ハツチとジュゾウの姿を見るなり、安堵の息を漏らす。(アクタ)から降りるのももどかしく走り寄ると、手を取って生還を喜んだ。


「心配していたぞ、無事でよかった」


「申し訳ないことです。わしはいつもみなの手を(わずら)わせて……」


「そんなことはない。とにかく無事でよかった」


 インジャは何度もそう繰り返す。

 トシが口を挟んで、


「ゴロ殿が見つけてくれたようだ」


 それを聞いてあわてて向き直ると、拱手して厚く(カリラ)を述べる。ジュゾウが何か言いかけたがハツチがすぐにそれを制す。ともかくアイルに戻って戦勝の宴を開くことになり、来たときと同じくギィを先頭に軍を返した。


 アイルではアネクとアンチャイが諸将の帰りを首を長くして待っていた。ギィの姿が見えるとアンチャイは(はず)むような足取りでそれを迎える。それがなぜか知らぬがアネクには悔しく感じられ、自分でも不思議に思う。


 インジャはアネクを見ておおいに驚くと、


「もう起き上がってよいのですか。傷に(さわ)りがあってはいけません」


 アネクは殊勝な様子で答えた。


「ありがとうございます。あれからすぐに名医に診てもらったので何の心配もありません。幸い傷は浅く、熱を出すこともなく、すでに(ツォサン)も止まりました」


「それはよかった。安心しました」


 するとそこに近づいてきたものがあって言うには、


「マルケ殿の(エム)がとてもよく効いておりました。大事に至らなかったのもそのおかげでしょう」


 顧みれば、一人の女が拱手して立っている。

 アネクがさっとその手を取って言うには、


「紹介します。彼女がベルダイの名医です」


 それは名医と称されるにはあまりに若く小柄な少女(オキン)、インジャは瞠目する。少女は微笑を浮かべて、


「名医だなどとそんな。初めまして、キノフと申します」


 (しと)やかに挨拶する。改めてその人となりを見れば、


 身の丈は六尺半を少し超えたほど、牝鹿(マラル)のごとき(ニドゥ)、燕翼のごとき(フムスグ)、厚い(オロウル)、長い髪、嫋娜(じょうだ)たる少女の頭蓋(テリウ)には無窮の智、博覧にして強記、医道に志して数歳、はや神仙の域に達す。これを尊んで人は称す、「天仙娘」と。


 また人衆(ウルス)は、アネク、アンチャイ、キノフの三人を「ベルダイの三華」と呼んで讃えていた。三人は背丈も年のころもほぼ同じで、幼少のころ(バガ・ナス)より親しんだ仲。


 惜しむらくは女子に盟友(アンダ)の誓いはないが、俗に「名はなくとも実はある」と謂うとおり、義兄弟ならぬ義姉妹といった間柄であった。とはいえ心性(チナル)はそれぞれで、武のアネク、徳のアンチャイ、智のキノフといったところ。


 インジャはおおいに感嘆して丁重な礼を返したが、この話はここまでにする。


 さて、続々と諸将が帰還し、インジャらにも改めてゲルが割り当てられた。(ようや)く腰を落ち着けることができたので、ハツチとジュゾウにイタノウ氏のマルケを引き合わす。


 それから互いにはぐれてからの経緯(ヨス)を語り合った。各々の話に感心しつつ、生きて(オスチュ)再び(まみ)えた喜び(ヂルガラン)を噛みしめる。


 ハツチが言った。


「……という次第で、わしはコニバン殿に助けられたようなもの。聞くところによるとテクズスという男は盟友(アンダ)であるインジャ様の父君(エチゲ)(アミン)を奪い、サルカキタンの手先となって悪逆非道のかぎりを尽くしたとか。同じ血が流れていてもこうも違うのかと感嘆いたしました。あのような仁者が右派にいるとは意外です」


 ジュゾウがにやにや笑いながら言うには、


美髯公(ゴア・サハル)よ、こう言っちゃなんだがあのとき俺が現れなければ、コニバン殿の好意も無になっていただろうぜ」


「わかっておる! お主にも感謝しておるわ。余計なことを申すな」


 インジャが笑ってそれを(なだ)める。


「みな生きていてよかった。ギィ殿とゴロ殿にも会えたことだし。まさか旅の目的を忘れて(ウマルタヂュ)いるのではなかろうな」


「へへ、実は忘れてましたぜ」


 ジュゾウが頭を掻く。一同大笑いしているところに宴の用意が整ったという知らせ。応じてぞろぞろとゲルをあとにする。ジュゾウが嬉しそうにナオルに言う。


「さっきちらりとギィ殿の奥方(エメ)を拝見しましたが……、美人(ゴア)ですぜ」


目敏(めざと)い奴だ」


 呆れて言うと、


「いやあ、宴席には彼女も来るんでしょうね。アネク殿もいるし、キノフ殿も捨てがたい。何とも華やかなことじゃありませんか。ナオル殿も早くあのお三方に負けぬ美人を(めと)って、宴に華を添えてくださいな」


阿呆(アルビン)め! 俺は宴に華を添えるために(オキ)を選ぶんじゃないぞ」


「でも美人であるに越したことはないでしょ」


「それはまあそうかもしれぬが……」


 くだらない(ソニルホルグイ)ことを話しているうちに宴の会場に到着する。アイルの中央(オルゴル)帳幕(ホシリグ)が張り巡らされ、周囲には篝火(かがりび)が明々と焚かれている。


 すでに一同揃っていて、族長(ノヤン)のトシ・チノはもちろん、マシゲルの獅子(アルスラン)ギィ、その客人(ヂョチ)であるゴロ、またアネクとキノフ、そしてアンチャイもギィの横に居る。さらに屈強なベルダイの諸将、壮観な顔ぶれである。


 (ボロ・ダラスン)は天下の美酒、(サル)は煌々と平原(タル・トナグ)を照らし、語らうは大義か宿命(ヂヤー)か、好漢の熱意は一時乱世の憂さを払う。


 ベルダイ、フドウ、ジョンシの族長(ノヤン)が揃えば、遠くはマシゲルの公子(ティギン)が威を加え、近くはアネク、アンチャイ、キノフが華を添える。


 これこそまさに必死の形は転じて戦勝の宴となり、好漢は剣を杯に替えて、戦場の怒号は一夜歓喜の歌声に成るといったところ。インジャはこの英傑(クルゥド)集うめでたい席で、いかなる運に巡り合うか。それは次回で。

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