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草原演義  作者: 秋田大介
巻一二
677/783

第一七〇回 ①

オクドゥ迷妄に(たお)れて瑞典官憂虞(ゆうぐ)

チルゲイ酒色に興じて雪花姫沈着す

 正月(ツェゲン・サラ)の祝祭に沸くカムタイで、好漢(エレ)たちを震撼させる事件が勃発した。紅火砲を開発したイェスゲイが、何ものかに殺されたのである。


 知事(ダルガチ)たる一角虎(エベルトゥ・カブラン)スク・ベクは、殺害者の逮捕と経緯(ヨス)の解明を急がせた。イェスゲイが部族(ヤスタン)においてなかなか重要なものだったことから、何か策謀や叛意によって暗殺されたのではと疑ったためである。


 紅大郎(アル・バヤン)クニメイの予測(ヂョン)どおり、殺害者はほどなく捕まった。西域(ハラ・ガヂャル)から流れてきた貧しい色目人であった。


 厳しい詮議を経て明らかになった事件の概要(トブチャアン)を知ったスクたちは、慨嘆するとともにどこか安堵もした。というのも、その顛末はどこにでもよくある、言ってしまえば平凡なものだったからである。


 すなわち代金を払う払わないの(いさか)いから口論となり、かっとした色目人がつい(ウルドゥ)を抜いて斬りつけたという。


 近隣(サーハルト)のものの証言もそれを裏づけて、イェスゲイにとってはまことに不運としか言いようがないが、事件自体は知事(ダルガチ)が直裁するほどでもないとて通常の審理へ回された。


 あとから思えば、複雑な背景が見えなかったことこそ奸謀の奸謀たるゆえんであった。そのために、続いて起きた兇悪な犯行の数々もひとつひとつ処理されて、誰も結びつけては考えなかった。気づいたときには人心は荒廃して、殺伐とした空気が満ちることになってしまった。


 話が先走りしすぎたので、もとに戻す。


 イェスゲイが死んでからというもの、なぜかカムタイでは暴力(ハラ・クチ)による犯罪が頻発した。放火、殺人、強盗、傷害の類である。


 市街での揉めごとも数えきれず、捕吏は(ニドゥ)の回る忙しさ。とても従来の数では足りず、やむなく軍兵を()いて警邏や捕縛の任に就かせた。また裁判に携わる役人(ドゥシメット)も増員し、果ては牢獄の拡張も急務となる。


 (バリク)が発展して流入するものが増えたことから、かねてより犯罪は増えてはいたが、(ヂル)が明けてからのそれはいささか常軌を逸していた。


 (こと)に色目人によるものが急増した。中にはどう見ても商人(サルタクチン)とは思えぬ胡乱(うろん)なものや、言葉(ウゲ)がまるで通じないものもあった。


 スクやクニメイらは、どうしたものかと(テリウ)を抱えた。


 色目人がみな悪いというわけではもちろんない。まじめに正業に(いそ)しんで、多大な利益をもたらすものも大勢いる。とりあえず西域出身の大商たちを召して、下々(カラ)のもの(チュス)(ヂャサ)を遵守させるよう戒めたが、あまり効果があったとも思えない。


 (ガル)(こまぬ)いているうちに少々雲行きが怪しくなってくる。人衆(ウルス)のうちに、色目人を憎悪し、これを排斥するべきだと主張するものが現れたのである。


 (アマン)にするだけではなく、それはやがて形を伴いはじめる。最初は無視や嫌がらせ、不買くらいのものであったが、いつしか徒党を組んで商家に押し入ったり、通りがかりの色目人を襲ったりする輩が出てきた。


 当然、(ヂャサ)に抵触するため捕縛される。すると一部の人衆は不満を抱いて、


知事(ダルガチ)は色目人ばかり擁護なさる。きっと莫大な賄賂を得ているのだ」


 スクはこれを聞くや烈火(ガルチュ)のごとく怒って、


(ヂャサ)の何たるかを知らぬのか! わけのわからぬことを言うものの口を裂け!」


 これはさすがにクニメイが諫めたが、怒り(アウルラアス)は治まらない。ただでさえ良からぬ色目人の乱暴に苦労しているというのに、もともとのカムタイの民まで暴れだしたら手の施しようがない。


 そのうちに今度は何とハヤスンが刺殺される。イェスゲイとともに起用された医人(エムチ)である。捕まえてみればやはり色目人。病状の説明と(エム)の処方に不満を募らせての犯行。これもまた(いた)ましいことではあったが、特に不審なところはない。


 しかしイェスゲイ、ハヤスンと続いたせいで、同時に用いられた(注1)オクドゥは、次は己かと異常に怯える。色目人を憎むものが周囲に集まって、その不安を(あお)る。オクドゥは彼らを私兵として連れ歩くようになった。


 (モル)で色目人に()えば、誰彼かまわず捕まえて詮索し、少しでも回答に窮するようなら、あるいは殴打し、あるいは捕縛した。クニメイがたびたび諫めたが、頑として聞き容れない。たまらずスクに訴えて、


「あの有能だったオクドゥが、今やすっかり迷妄に囚われております。遺憾ながら、もはや任に堪えますまい」


「ふうむ。本来人心を鎮めねばならぬ役のものがそれでは、話にならぬな」


 ついに(カラ)を発して公務を解く。オクドゥは激昂(デクデグセン)して、方々でスクを罵って回った。さらには、ますます粗暴なものを集めて互いに色目人を(そし)り合う。憎悪はみるみる膨れ上がって、あれこれ不穏な密議を凝らすようになった。


 その動きはたちまちクニメイの知るところとなる。スクに告げれば、


「誰であれ治安を乱すことは許されない。よく監視して、騒ぎを起こさば討て」


承知(ヂェー)


 オクドゥらが武装して邸を出たのは、数日後の早暁。じわじわと人が増えて、百人(ヂェウン)ほどになる。向かったのは色目人のうちでも最も声望ある大商アルディーンの邸宅。


 いざ(エウデン)を破らんとてオクドゥが合図を出そうとしたところ、左右からどっと軍勢が押し寄せる。


「暴徒どもを捕らえろ!」


「企みは露見したぞ!」


「諦めて得物を棄てよ!」


 口々に(わめ)きながら迫る。


 オクドゥらは瞬時(トゥルバス)に青ざめて、恐慌に(おちい)った。(あらが)いようがないと解っていても、手に手に得物を掲げて打ちかかる。


「うぬ、抵抗するか!」


「討て、討て!」


 軍兵は容赦なく斬りかかる。暴徒は片端から掃討されて、オクドゥもほどなく(アミン)を落とした。

(注1)【同時に用いられた】第六 九回④参照。

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