表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
草原演義  作者: 秋田大介
巻一二
676/783

第一六九回 ④

インジャ紐帯を慶びて小皇帝戴冠し

ドルベン策動を始めて紅大郎惶急(こうきゅう)

 小スイシがミクケルの遺児であるヂュルチダイを忘れていたとしても、一概に責めるわけにはいかない。


 ウリャンハタの革命(注1)ののち、亜喪神ムカリに連れられてヤクマン部に投じたものだが、何の功罪があるわけでもなくただ生き延びていたばかり。亜喪神の(エチネ)に隠れて、名が(あらわ)れることはまったくなかった。


 とはいえ、あれから十年の歳月が流れている。当時少年だったヂュルチダイもすっかり大人にはなった。その資質については不明だが、四頭豹にとってはどちらでもよいこと。英邁だろうが凡庸だろうが、駒とするには(さわ)りがない。


 いや、かえって凡庸なほうが使いやすい。先に東原に送りこんだブルドゥン・エベ(注2)が好い例である。ともかく四頭豹の毒牙が次に狙うのはウリャンハタ。いかなる策動がなされるかは、徐々に判ること。


 衛天王カントゥカが治めるウリャンハタは、北伐(注3)をえたあとは兵乱から遠ざかっていた。この数年で兵を発したのは一度きり。亜喪神が東原動乱の隙を突いて北上した際に、援軍を送っただけである。


 カントゥカは草原(ミノウル)において最強を(うた)われる武人の一人であったが、兵事を好むものではなかった。


 さらに利欲に恬淡(てんたん)(注4)だったため、人衆(ウルス)の貢納を大幅に軽減した。また駅站(ヂャム)を整備して交易を盛んにし、家畜(アドオスン)()やすことに意を注いだ。おかげで人衆はおおいに潤い、国力は日に高まっていた。


 かつてともに革命を成し遂げた僚友(ネケル)も健在で、文には聖医(ボグド・エムチ)アサン、潤治卿ヒラト、雪花姫(ツァサン・ツェツェク)カコがあり、武には花貌豹サチ、麒麟児シン、一角虎(エベルトゥ・カブラン)スクがあった。


 また奇人チルゲイ、神道子ナユテなど異能(エルデム)の主にも恵まれて、まさに多士済々、綺羅(オド)のごとき顔ぶれ。


 広く西原を統べて、双城と称されるイシとカムタイも繁栄を極めた。今では西域(ハラ・ガヂャル)から来たのであろう色目人や、華人(キタド)を見ることも珍しくない。


 カムタイの内治を託された紅大郎(アル・バヤン)クニメイは、神都(カムトタオ)が義君インジャに降ったことを聞くや大喜びして、商圏をさらに広げるべく神都(カムトタオ)出身の銀算盤チャオを派遣した。チャオはそのまま神都(カムトタオ)に留まって、双城との通商を支えることになった。


 ウリャンハタの転機は、やはりミクケルを伐ったこと。そしてインジャと結んで、クル・ジョルチの上卿会議を滅ぼしたのが何より大きい。周囲に敵人(ダイスンクン)がなくなり平和(ヘンケ)安寧(オルグ)を得たことが、今日の隆盛を招いたのである。


 だからクル・ジョルチ改めボギノ・ジョルチ部がヴァルタラをハンとしたことは、驚きこそしたものの、歓迎されるべき慶事であった。


 早速これを祝うべく、例によってチルゲイと、このたびは蒼鷹娘(ボルテ・シバウン)ササカが(つか)わされた。何となれば新たなハンに(シバウン)献上(オルゴフ)するためである。


 チルゲイはここ数歳、公的には何もせずに遊び呆けていた。そこで今や「浪蕩子」なる不名誉な渾名(あだな)を得た。浪蕩とは、はたらかずにぶらぶら遊んでいるものを指す。


 しかしそんなことを気にかけるようでは、そもそも奇人などとは呼ばれない。むしろ雀躍して言うには、


「やあ、そいつはいい! 死ぬまで浪蕩子と呼ばれ続けたいものだ。きっと豊か(バヤン)で愉快な生涯に違いない」


 これを聞いたものは一様に呆れたが、くどくどしい話は抜きにする。




 チルゲイが(ようや)くボギノ・ジョルチから戻ったころ、カムタイで容易ならざる事件が起こった。(ヂル)が明けて早々のことである。ちなみに竜の年。


 (バリク)正月(ツェゲン・サラ)の祝祭で賑わっていた。この(ウドゥル)ばかりは庁舎もどこかのんびりしていて、互いに新年の挨拶を交わしたあとは特に為すべきこともない。帰るものは帰り、何となく残っているものはおもむろに(ボロ・ダラスン)を飲みはじめる。


 知事(ダルガチ)のスク・ベクも、従臣(コトチン)やら文官(ドゥシメット)やらを(つか)まえて、だらだらと飲んでいた。そこに血相を変えた男が一人飛び込んでくる。見れば、先に帰ったはずのクニメイ。珍しく取り乱している。


「紅大郎ではないか。いかがした」


「一大事にございます」


 首を(かし)げるスクに猛然と告げて言うには、


「イェスゲイが、イェスゲイが、何ものかに殺害されました!」


「何だって!?」


 思わず杯を(ほう)りだして立ち上がる。


 イェスゲイとは、クニメイの旧知で天賦(オナガン)(アルガ)()つ工人。紅火砲をはじめ、双城やタムヤの城壁(ヘレム)、また船着場(オングチャドゥ)を設計したもの。


 革命後に登用(注5)されて、その偉才をもっておおいに貢献してきた。好漢(エレ)たちも一目置いて、僚友に準ずるものとして遇していた。


「あのイェスゲイが……。いったい何があった」


「私も一報を得て急ぎ参りましたので、詳しくは判りません。ただ口論の果てに斬り殺されたとか。医師(エムチ)が駈けつけましたが、僅かに及ばず……」


「殺したものは?」


逃走(オロア)しましたが、捕吏が追っております。白昼のことにて(ヌル)を見たものも多く、まもなく捕らえられるかと」


 スクは殺害者の逮捕と経緯(ヨス)の解明を厳命したが、暗澹たる気分となる。このことはまだ快晴に小さな(エウレン)がぽつりと生まれたほどに過ぎなかった。それがやがてむくむくと育って、次第にテンゲリを覆っていこうとは誰も想像していない。


 まさしく一頭(ボド)の病んだ(ホニ)を放置すれば、いずれ群れを冒してことごとく(たお)れるといったところ。果たしてイェスゲイを殺したのはいかなるものだったか。それは次回で。

(注1)【ウリャンハタの革命】巻五参照。ヂュルチダイが中原に逃れたのは、西暦1209年。ちょうど10年前のことである。


(注2)【ブルドゥン・エベ】ヒィ・チノに追われたバヤリクトゥの長子。覚真導師と称して天導教(青袍教)を興し、叛乱を煽動した。第四 二回④、第一四六回③、第一四七回④など参照。


(注3)【北伐】巻九参照。ジョルチ部と兵を併せて、クル・ジョルチ部の上卿会議を討った。西暦1213~1214年のことである。


(注4)【恬淡(てんたん)】欲がなく、ものごとに執着しないこと。


(注5)【革命後に登用】イェスゲイのほかに医人ハヤスン、商人オクドゥが起用された。第六 九回④参照。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ