第一六九回 ④
インジャ紐帯を慶びて小皇帝戴冠し
ドルベン策動を始めて紅大郎惶急す
小スイシがミクケルの遺児であるヂュルチダイを忘れていたとしても、一概に責めるわけにはいかない。
ウリャンハタの革命(注1)ののち、亜喪神ムカリに連れられてヤクマン部に投じたものだが、何の功罪があるわけでもなくただ生き延びていたばかり。亜喪神の陰に隠れて、名が顕れることはまったくなかった。
とはいえ、あれから十年の歳月が流れている。当時少年だったヂュルチダイもすっかり大人にはなった。その資質については不明だが、四頭豹にとってはどちらでもよいこと。英邁だろうが凡庸だろうが、駒とするには障りがない。
いや、かえって凡庸なほうが使いやすい。先に東原に送りこんだブルドゥン・エベ(注2)が好い例である。ともかく四頭豹の毒牙が次に狙うのはウリャンハタ。いかなる策動がなされるかは、徐々に判ること。
衛天王カントゥカが治めるウリャンハタは、北伐(注3)を了えたあとは兵乱から遠ざかっていた。この数年で兵を発したのは一度きり。亜喪神が東原動乱の隙を突いて北上した際に、援軍を送っただけである。
カントゥカは草原において最強を謳われる武人の一人であったが、兵事を好むものではなかった。
さらに利欲に恬淡(注4)だったため、人衆の貢納を大幅に軽減した。また駅站を整備して交易を盛んにし、家畜を殖やすことに意を注いだ。おかげで人衆はおおいに潤い、国力は日に高まっていた。
かつてともに革命を成し遂げた僚友も健在で、文には聖医アサン、潤治卿ヒラト、雪花姫カコがあり、武には花貌豹サチ、麒麟児シン、一角虎スクがあった。
また奇人チルゲイ、神道子ナユテなど異能の主にも恵まれて、まさに多士済々、綺羅星のごとき顔ぶれ。
広く西原を統べて、双城と称されるイシとカムタイも繁栄を極めた。今では西域から来たのであろう色目人や、華人を見ることも珍しくない。
カムタイの内治を託された紅大郎クニメイは、神都が義君インジャに降ったことを聞くや大喜びして、商圏をさらに広げるべく神都出身の銀算盤チャオを派遣した。チャオはそのまま神都に留まって、双城との通商を支えることになった。
ウリャンハタの転機は、やはりミクケルを伐ったこと。そしてインジャと結んで、クル・ジョルチの上卿会議を滅ぼしたのが何より大きい。周囲に敵人がなくなり平和と安寧を得たことが、今日の隆盛を招いたのである。
だからクル・ジョルチ改めボギノ・ジョルチ部がヴァルタラをハンとしたことは、驚きこそしたものの、歓迎されるべき慶事であった。
早速これを祝うべく、例によってチルゲイと、このたびは蒼鷹娘ササカが遣わされた。何となれば新たなハンに鷹を献上するためである。
チルゲイはここ数歳、公的には何もせずに遊び呆けていた。そこで今や「浪蕩子」なる不名誉な渾名を得た。浪蕩とは、はたらかずにぶらぶら遊んでいるものを指す。
しかしそんなことを気にかけるようでは、そもそも奇人などとは呼ばれない。むしろ雀躍して言うには、
「やあ、そいつはいい! 死ぬまで浪蕩子と呼ばれ続けたいものだ。きっと豊かで愉快な生涯に違いない」
これを聞いたものは一様に呆れたが、くどくどしい話は抜きにする。
チルゲイが漸くボギノ・ジョルチから戻ったころ、カムタイで容易ならざる事件が起こった。年が明けて早々のことである。ちなみに竜の年。
街は正月の祝祭で賑わっていた。この日ばかりは庁舎もどこかのんびりしていて、互いに新年の挨拶を交わしたあとは特に為すべきこともない。帰るものは帰り、何となく残っているものはおもむろに酒を飲みはじめる。
知事のスク・ベクも、従臣やら文官やらを捉まえて、だらだらと飲んでいた。そこに血相を変えた男が一人飛び込んでくる。見れば、先に帰ったはずのクニメイ。珍しく取り乱している。
「紅大郎ではないか。いかがした」
「一大事にございます」
首を傾げるスクに猛然と告げて言うには、
「イェスゲイが、イェスゲイが、何ものかに殺害されました!」
「何だって!?」
思わず杯を抛りだして立ち上がる。
イェスゲイとは、クニメイの旧知で天賦の才を有つ工人。紅火砲をはじめ、双城やタムヤの城壁、また船着場を設計したもの。
革命後に登用(注5)されて、その偉才をもっておおいに貢献してきた。好漢たちも一目置いて、僚友に準ずるものとして遇していた。
「あのイェスゲイが……。いったい何があった」
「私も一報を得て急ぎ参りましたので、詳しくは判りません。ただ口論の果てに斬り殺されたとか。医師が駈けつけましたが、僅かに及ばず……」
「殺したものは?」
「逃走しましたが、捕吏が追っております。白昼のことにて顔を見たものも多く、まもなく捕らえられるかと」
スクは殺害者の逮捕と経緯の解明を厳命したが、暗澹たる気分となる。このことはまだ快晴に小さな雲がぽつりと生まれたほどに過ぎなかった。それがやがてむくむくと育って、次第にテンゲリを覆っていこうとは誰も想像していない。
まさしく一頭の病んだ羊を放置すれば、いずれ群れを冒してことごとく斃れるといったところ。果たしてイェスゲイを殺したのはいかなるものだったか。それは次回で。
(注1)【ウリャンハタの革命】巻五参照。ヂュルチダイが中原に逃れたのは、西暦1209年。ちょうど10年前のことである。
(注2)【ブルドゥン・エベ】ヒィ・チノに追われたバヤリクトゥの長子。覚真導師と称して天導教(青袍教)を興し、叛乱を煽動した。第四 二回④、第一四六回③、第一四七回④など参照。
(注3)【北伐】巻九参照。ジョルチ部と兵を併せて、クル・ジョルチ部の上卿会議を討った。西暦1213~1214年のことである。
(注4)【恬淡】欲がなく、ものごとに執着しないこと。
(注5)【革命後に登用】イェスゲイのほかに医人ハヤスン、商人オクドゥが起用された。第六 九回④参照。