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草原演義  作者: 秋田大介
巻一二
672/783

第一六八回 ④

インジャ神箭将を(たの)んで国王の称を許し

アネク賢婀嬌(けんあきょう)(まみ)えて慮外の(はかりごと)を聴く

 モルテはしばし逡巡していたが、(ようや)(アマン)を開いて、


「我が部族(ヤスタン)の将来についてひとつ考えがあるのですが、ハトンの承諾が得られなければ画餅(がべい)に帰す類のものなのです」


「さっぱり想像もつきません。ハーンが善し(サイン)と言えば、みな従うでしょうに」


「そうかもしれませんが、きっとハーンもハトンの意向(オロ)をこそ重んじるに違いありません」


「ますます判りません。私にできることとは何でしょう?」


 身を乗りだして尋ねたが、なおも迷う様子。やがて躊躇(ためら)いがちに言うには、


「もし不可なら不可とはっきりおっしゃってください。また不快と(おぼ)し召されたならば、そうおっしゃっていただいてよろしゅうございます」


 そう聞いてはアネクも身構えざるをえない。いったいこの佳人が何を言いだすのかと、両の拳をぎゅっと握る。


 モルテはよほど思い詰めたものか、(ヌル)は真っ青、(もも)(つか)んだ(ホロー)(クチ)が入って(ホムス)は食い込み、白く色が変わっている。辺りを(はばか)るように左右をそれとなく窺って、


「畏れながら、もう少しお側に近づいても?」


ええ(ヂェー)


 応じて僅かに(にじ)り寄ると言うには、


お耳(チフ)を。みなさまも、ともに聞いてください」


 テヨナやシズハンらも何ごとかと(いぶか)りつつ、(テリウ)を寄せる。いよいよ意を決して、


「もしお許しがいただけるのであれば、ボギノ・ジョルチの次のカンに……」


 そのあとはますます(ダウン)をひそめる。聞くうちにアネクはもちろんのこと、女官たちの(ニドゥ)もみるみる見開かれる。


 言い終えるとモルテはすばやく退き、平伏して待つ。しばらくは誰も言うべき言葉(ウゲ)も知らない有様だったが、テヨナがやっと言うには、


「賢婀嬌殿が真っ先にハトンを訪ねたのは、そういうことでしたか……」


 しかしあとに言葉が続くわけでもない。代わってシズハンが尋ねて言うには、


「ハトンのご意向も無論ですが、そのことは王大母殿をはじめボギノ・ジョルチの方々はご存知なのですか」


いえ(ブルウ)、まだ誰にも……。何よりまずはハトンに、と」


「そうですか……」


 みなそのアネク・ハトンを見遣(みや)る。驚きの表情はそのままで、それからどんな感情(ドウラ)が沸いたか、怒っているのか、喜んでいるのか、困っているのか、傍からは窺い知れない。しばらく黙って待っていると、アネクが言うには、


「賢婀嬌の提案には驚きました。しかしことは国家(ウルス)の大事、私が是非を決めることはできません」


 すると答えたのはモルテではなく、テヨナ。


はい(ヂェー)。賢婀嬌殿がハトンに問うているのもことの是非ではないのでしょう。それはハーンや軍師、また西原にある太師や王大母殿が判断すること」


「では私は何を?」


「是非云々ではなく、まさにハトンの正直(ツェゲン・セトゲル)なお気持ちを(おもんぱか)っているのかと……」


 モルテは伏せたまま。つまりテヨナの言うとおりなのであろう。


「……すぐに答えなくてはいけませんか?」


 おずおずと問えば、はっと顔を上げて、


「まさか! 無理を承知でお願いしている身、どうしてご回答を()かしましょう」


「では少し時日をいただきます。私は(エケ)であり、(エメ)であり、また国家のハトンです。みなとも(はか)って、よくよく考えたい」


「もちろんですとも。大事な時期に御心を(わずら)わせるようなことをお耳に入れて、まことに申し訳ありません」


いいえ(ブルウ)。賢婀嬌も部族(ヤスタン)安寧(オルグ)を切に願ってのこと。その思いはよく解ります」


「ありがとうございます」


 モルテは再び深々と頭を下げる。アネクはそれを起こさせると、あれこれと贈物(サウクワ)を与えて返したが、くどくどしい話は抜きにする。




 それからアネクは侍女(チェルビ・オキン)たる僚友(ネケル)たちをはじめ、密かにインジャにもこのことを打ち明けて話し合う。インジャもまたおおいに驚き、惑ったが、ううむと唸ると言った。


「ハトンが可と言うならば、またボギノ・ジョルチのものが是とするならば、そうしてもよいが……。まことにみな得心するものか」


はい(ヂェー)。賢婀嬌はまだ誰にも(はか)ってないと申しておりました。私もそれを案じております」


 一日、二人はインジャの母、すなわち聖母太后ムウチを訪ねて事の次第を話す。ムウチは嘆じて言うには、


「ああ、私からああせよこうせよと申すことなどできません。ただひとつ言わせていただければ、ハーンが自らを顧みてお決めになればよろしいかと」


「私が、自らを?」


はい(ヂェー)。そこに考える手がかりがあるでしょう」


 またアネクに目を()って言うには、


「いろいろと(セトゲル)を痛めることもあろうかと思います。私もそうでした。テンゲリの加護を信じて待つことができないのであれば、断ってよいのですよ」


「テンゲリの……」


 このことからついに西原の大族は幼君を戴いて再生を図り、また英雄の股肱は大命を奉じて輔翼を成すこととなる。


 これによって東西の大同は一朝にして進み、奸佞の徒の(エレグ)をおおいに冷やすわけだが、すべてはまさしくテンゲリの配剤、三十年前に賢婦の身に起こったことが、巡り巡って女傑を悩ませるといったところ。果たして賢婀嬌の提案とは何だったのか。それは次回で。

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