表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
草原演義  作者: 秋田大介
巻一二
670/783

第一六八回 ②

インジャ神箭将を(たの)んで国王の称を許し

アネク賢婀嬌(けんあきょう)(まみ)えて慮外の(はかりごと)を聴く

 ミヒチとショルコウは盛大な、ともすれば伏して帰順を請うた身であることを忘れそうなほどの歓待を受けた。


 それは彼女たちの主君(エヂェン)、すなわちヒィ・チノやケルンの面目をもおおいに施した。インジャが二人を(こと)に重んじて、心奥から喜んでいることを僚友(ネケル)たちに知らしめたからである。


 そしてついに帰途に就く。同行して河東に赴く勅使には、何と新ヤクマン部のハンたる超世傑ムジカが志願する。


 あまりに貴要(注1)な人物であるため、サノウやセイネンなどはすぐには賛成しない。しかし温良恭倹(注2)なムジカにしては珍しく一歩も退()かない。言うには、


神箭将(メルゲン)は我が義兄(アカ)ですが、久しくお目にかかっておりません。どうか勅使にしてください。また私情は別として、これでも私はハンと称する身。そうしたものが行くことによって、ハーンが東原を軽んじていないことは下々のもの(カラチュス)にまで伝わるでしょう」


 それもまた道理(ヨス)であったので、インジャは頷いて、


「その言や善し(サイン)。では超世傑が行け(ヤブ)黒鉄牛(ハラ・テムル・ウヘル)、赫大虫、奔雷矩(ほんらいく)を連れていけ。白夜叉たちを警護して無事に送り届け、また私に代わって神箭将らの帰投を容れ、我が言葉(ウゲ)をしかと伝えよ」


 ムジカは大喜びで拝命する。同じくヒィ・チノの盟友(アンダ)たるギィは羨ましがったが、顧みて言うには、


獅子(アルスラン)は先に東原で、神箭将とともに南北に転戦したではないか。ここは譲ってくれ。せめてマシゲルの赫大虫らを随員に加えたのはハーンのお心遣いだ」


「なるほど、それもそうだ。神箭将によろしく伝えてくれ」


 ギィは得心して退いたが、


「ひとつよろしいですか」


 誰かといえば小白圭シズハン。


「どうした」


「勅使の中にジョルチのものが一人もおりませんが……」


 インジャは虚を衝かれた様子だったが、やがて破顔一笑、


「気づかなかった。では小白圭。そういうことならお前が……」


 一座を見回しながら言いかけたところで、はたと膝を打って、


瓊朱雀(けいしゅじゃく)! 君こそまことに相応しい。副使として超世傑を輔けてくれるか」


 名指されたアンチャイは瞠目して、


「私でございますか」


然り(ヂェー)。君はジョルチのベルダイ氏の出自(ウヂャウル)にて今はマシゲルのハトン。またかつて超世傑のもとにあり、神箭将とも面識がある。これ以上の適任はない。それを最初から思いつかぬとは、かえってどうかしている」


 慧敏なアンチャイは即座に了承して言った。


承知しました(ヂェー)。及ばずながらハーンと我が夫に代わって東原に赴き、超世傑殿を輔けましょう」


 かくして各自旅装を整え、三千騎もの兵衆を率いて出立することになった。ミヒチが最後の挨拶に訪れたところで、インジャは例の三巻の文書(デプテル)を返そうとしたが、固辞して言うには、


「それは手許(てもと)にお納めください。封も開けぬまま持ち帰ったのではハンに叱られてしまいます」


「そうか。ならば次に神箭将に会ったときに直に返すことにしよう」


「ぜひそうしてくださいませ」


 これでやっと安堵して、重ねて丁重に礼を述べて辞去する。草原(ケエル)に出た一行は、堂々と勅使を示す(トグ)を掲げて進む。ミヒチはゾンゲルを顧みて、


「帰り道こそ不安だったのだけれども、これなら四頭豹も(ガル)が出せないね」


はい(ヂェー)、姐さん」


 さすがにムジカの行軍に隙はなく、万事行き届いて遺漏がない。ミヒチらは心安らかにアンチャイやハリンと談笑しながら、悠然と河東を指す。


 北道(ホイン・モル)に入り、まずはケルン・カンを訪ねる。ムジカはひと目見るや、この白心(ツェゲン・セトゲル)の主を気に入って、


「北原は金杭星(アルタン・ガダス)があれば心配ない。ハーンは良き僚友を得た」


 そう絶賛する。ジョルチン・ハーンの詔勅(ヂャルリク)を伝えると、ショルコウと別れていよいよ東原へ渡る。ゾンゲルを先に走らせて到着を告げさせれば、オルドにて歓喜(ヂルガラン)とともに迎えられる。


 ヒィ・チノとムジカ、アンチャイは、久しぶりの再会を喜び合う。互いの苦難(ガスラン)を思い返して、万感胸に迫る。いずれも四頭豹に苦杯を嘗めさせられたもの同士、またインジャによって救われたことも同じである。


 改めて威儀を整えて一堂に会し、詔勅を授ける。ムジカがこれを読み上げ、ヒィは平伏して聴く。


 インジャが挙げた諸々の条件、すなわち東原統治の委任、東方への版図(ネウリド)拡大の権限、すべての僚友の筆頭とすること、ふたつの称号の付与、戦場においてハーンの代理とすることなどを聞くうちに、その(ヌル)は驚きに満ちる。それらは条件と云うより、むしろ特権とすべきことども。


「……以上である。何か申すことはあるか」


 ムジカに問われても、すぐには答えられぬほど。知らず身が震えはじめたが、それが驚愕のためか、歓喜のためか、はたまた畏懼か、あるいはそのすべてか判らぬ有様。


「神箭将殿」


 アンチャイがそっと(ダウン)をかければ、はっと我に返って、


「新参の愚物(アルビン)にもかかわらず過分の厚遇を賜り、ありがたき幸せ。どうして不服を申しましょう。テンゲリに誓って生涯をハーンのために捧げます」


 どうなることかと見守っていた諸将の(セトゲル)にも、安堵やら高揚やらさまざまな感情(ドウラ)がひとときに押し寄せる。誰からともなく、


万歳(ウーハイ)!」


 声が挙がって、瞬く間(トゥルバス)にオルドを満たす。

(注1)【貴要】身分が高く、重要な地位にあること。またはその人。


(注2)【温良恭倹】穏やかで素直、人に対しては恭しく、慎み深いこと。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ