第一 七回 ③ <コニバン登場>
インジャ死地を逃れ至りて衆星に見え
ギィ武勲を顕し果たして野人を奔らす
トシ・チノは全軍を三手に分けた。中軍はもちろん自ら統べ、前軍を客たるギィが率い、後軍はインジャが担うこととなった。いよいよ出陣というときにインジャが諸将を拝して言うには、
「実は、敵の手中に私の僚友が二人ほど擒われていると思われます。一人はゴロ殿もご存知の美髯公ハツチ、人並み外れた長身に長髯を靡かせる異形のもの。もう一人は飛生鼠ジュゾウ、身の丈は七尺足らずの小男ですが数多の異能の主。この二人を何とかして助けたいのですが」
聞いてトシ・チノはふうむと唸る。
「貴殿にはアネクを救ってもらった。兵に二人の名と風貌を知らしめておこう。そして無事にこれを救ったものに厚い恩賞を出すことにしよう」
「ありがとうございます!」
そこでマルケが不安そうな顔で言うには、
「まさかサルカキタンが、いざ敗戦となったときに二人を斬るようなことはありますまいな」
即座に答えたのは何とゴロ・セチェン。
「そんな愚かなことはするまい。生かしておけば人質になる。連れて逃げることはあっても斬ったりするものか。……もっともサルカキタンとやらが、どうしようもなく知恵がない奴だとしたら話は別だがね」
インジャらは、サルカキタンが「どうしようもなく知恵がない」ことを知っていたので、それを聞いて気が気ではない。
ともかくベルダイ左派軍にイタノウ軍を加えた六千騎は進発した。先駆けは獅子ギィ。腰には一対の宝剣がきらめいている。隣には文武両道の好漢ゴロ。得物は赤い房の色も鮮やかなひと筋の長槍。
やがて前方に右派の三千騎が現れた。ギィは続く将兵に向かって声をかける。
「狼の兵の戦いぶり、この獅子にとくと見せてもらおう。行け!」
言うが早いか、両手で剣を抜き放つと敵軍目がけてまっしぐらに突っ込んでいく。遅れじとばかりに勇猛果敢な二千騎がこれに続く。ギィの駆けるところ、衣を裂いたように敵陣が分断されていく。
「見事だ!」
中軍からこれを望んだトシ・チノが感嘆の声を挙げる。右派軍は浮足立って、陣形もなく片端から蹴散らされていく。トシは太鼓を打たせて中軍も投入した。
こうなると勝敗は明らかである。右派軍は算を乱して敗走に転じた。しかし後背を固めていたインジャは、それを見てもハツチらのことが気になってはらはらするばかり。
ではそのころ、当のハツチとジュゾウはどうしていたかと言えば、一人はやはりサルカキタンの手中にあった。不運の巨人ハツチである。
ジュゾウのほうは捕まることなく何処かへ去っていた。先の敗戦のおり、彼はインジャとは別の方角へ奔った。右派軍はインジャとアネクを躍起になって追ったため、ジュゾウはそれほど執拗な追撃に遭わなかったのである。もちろんそれを狙っていたのは言うまでもない。
ハツチはインジャに合流しようと懸命に馬を走らせていたが、慣れぬ手綱捌きが災いしてか、ほどなく捕縛されることとなった。
さて、サルカキタンは、これをテクズスの嫡子コニバンに預けて監視を命じた。このコニバン、非道の父とは似ても似つかぬ仁者であった。
その父は策謀と武略を主とすれど、彼の性分は公平と無私。その父は身の丈七尺半の偉丈夫なるも、彼のそれは僅かに六尺半。温和にして従容、朴訥にして淳良、それこそアイヅムのコニバン。
サルカキタンはこれを評して、
「戦場では折れた槍ほどの役にも立たぬ男」
そう嗤ったが、忠勤に励むこと人並み以上だったので、覚えはめでたかった。そんなコニバンだったから、いかに捕虜とはいえハツチを粗略に扱うようなことはなかった。縄は掛けたものの侮辱したり拷問したりといった苦痛は与えなかった。
またいよいよ交戦が近づき、あわただしく準備をしている最中にも待遇に意を払うことを忘れなかった。ハツチが恩義を感じたのは言うまでもない。
やがて左派軍の襲来が報じられて、アイヅムの陣にも馬蹄の響きが届く。ハツチは動くこともできず目を白黒させていたが、そこにあわてて駆けつけたものがある。誰かと思って見ればコニバン。
これは人質として移動させられるに違いないと思っていると、案に相違して言うには、
「敗戦になりそうです。お逃げなさい」
ハツチは驚いてこれを見返す。
「サルカキタンは承知したのですか?」
「いえ、大人からは決して逃がしてはならぬと厳命されましたが、それではあなたがきっと無益に命を落とすことになると思ったのです」
「ど、どういうことですか」
「敗戦に腹を据えかねた大人が、捕虜であるあなたを処刑して憂さを晴らそうとするのは目に見えています。私はそんなものを見たくないのです。さあ、行きなさい。もうすぐここにもトシ・チノの兵が来るはず、助けてもらいなさい。大人にはうまく報告しておきます」
そう言ってコニバンは駆け去った。ハツチは呆然とそれを見送る。
「美髯公!」
卒かに声をかけたものがあった。
はっとして顧みると何とジュゾウが立っている。
「おお、飛生鼠、生きていたか!」
「喜ぶのはあとだ! ぼやぼやしてると馬に踏まれるぞ! ついてきな」
そう言うとどこからか持ってきた剣を渡して駈け出した。あわててそれを追う。
「左派の旗は縁が薄黄色だったな」
「そうであったか?」
「しっかりしてくれよ! アネク殿が教えてくれたじゃないか!」
二人は馬蹄の間を縫って走った。危ない局面が何度かあったが、その都度ジュゾウが目にも留まらぬ早業で相手を斬り伏せた。
やがて馬を奪うと、彼方に見えた左派の旗を指して一散に駆ける。旗の下にいた将の顔を見て、ハツチは目を円くして驚いた。