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草原演義  作者: 秋田大介
巻一二
668/783

第一六七回 ④

ヒィ両個の女傑に託して忠志を()

ミヒチ三巻の密書を奉じて狐疑を払う

 ミヒチの口上を聞いたインジャは顧みて、


「軍師、そうなのか」


 サノウはすぐには応えず、険しい(ヌル)で独語して、


「……まったくよく喋る女だ」


 インジャは呵々と笑って、


「さすがの軍師も白夜叉にはかなわないと見える。それだけではない。私もよもや器量を問われようとは思っていなかった。よろしい、よくよく自戒して神箭将(メルゲン)を失望させぬよう努めよう」


 ミヒチはあわてて平伏すると、


「我が罪は万死に値します。いかようにもご処断くださいませ」


いや(ブルウ)、『四方に使して君命を(はずかし)めず』とはこのことだ。今後はときどきでかまわぬ、私のためにもその才覚(アルガ)(ふる)ってもらいたい」


「もったいないお言葉(ウゲ)。身の縮む思いです」


 居並ぶものは安堵の息を漏らしたが、再びサノウが(アマン)を開く。


「ハーン。先のようなことを述べたのは、もちろん白夜叉が言うように、神箭将を養うことが容易(アマルハン)ではないことをお伝えする意図もありました。しかし危惧を抱いていることもまた(ウネン)なのです」


「危惧とは?」


「ナルモントはつい先日まで、ジョルチを凌駕する勢力を誇っておりました。すなわち『小をもって大を養う』(あや)うさを(はら)んでいるということです。俚諺にも『テンゲリに二日なく、エトゥゲンに二王なし』と謂います。ハーンに比肩するものを何の掣肘(せいちゅう)もなく容れることは、国家(ウルス)規律(ヂャルチムタイ)を混乱させる恐れがありますぞ」


「ならばどうせよと言うのだ」


 インジャが(フムスグ)(しか)めて問えば、


「まことにハーンの(ノガイ)となる(オロ)があるのか、幾つか条件を出して測るべきです」


「条件?」


 その表情はますます険しくなる。かまわず答えて、


はい(ヂェー)(ネグ)に、直に(まみ)えて神箭将自ら臣下の礼を示すこと。(ホイル)に、版図(ネウリド)を分かって献ずること。(ゴルバン)に、その(ガヂャル)をハーンの僚友(ネケル)に与えること。(ドルベン)に、毎年オルドに家畜(アドオスン)百頭を貢納すること。(タブン)に……」


 インジャはあわてて押し止めて、


「待て、軍師。それではまるで神箭将を信じていないようではないか。どれひとつとっても私自身が(がえん)じることができぬ」


「しかし(チノ)の子を養うとは、そういうことでございます」


 黙って主従のやりとりを聞いていたミヒチが言うには、


「ハーン、ご懸念には及びません。いずれも『可』でございます。事前に我がハンより、どのような条件を示されても、道理(ヨス)に外れぬかぎりすべて承諾してよいと仰せつかっております」


 これにはサノウも唖然とする。ミヒチは莞爾と笑って、


「またハンはおっしゃいました。『降るとはそういうことだ。あれこれ不平を言うなら、そもそも降るなどと言わない』と」


 インジャは大きく頷くと、嬉しそうに言うには、


「どうやら東原のものはみな先知(デロア・オルトゥ)(すぐ)れているようだ。このことあるをすでに予測(ヂョン)していたらしいぞ」


 そこで鑑子女テヨナが進み出て、優しくサノウに語りかける。


「軍師、もうよろしいのでは」


「ううむ……」


 また飛天熊ノイエンが巨体を揺すって笑いながら、


「軍師はいつも難しい(ヘツウ)ことを言いだすが、それもこれも常にハーンを思ってのこと。我らのみならず客人(ヂョチ)にも看破されたことだし、退きどきかと」


 百策花セイネンが加わって、


「軍師ともあろうものが、退きどきを誤るわけがなかろう」


 みなどっと笑えば、サノウはむっとして押し黙る。しかしやがて言うには、


「神箭将の言葉には誠意(チン)があります。もはや言うべきことはありません」


 期せずして歓声が挙がる。そこでインジャがミヒチに言うには、


「いろいろと失礼をした。神箭将に伝えてくれ。天下の英傑(クルゥド)を我らは歓迎する、ともにテンゲリに替わって道を行おう、と」


承知しました(ヂェー)。どうやら大任を果たせたようでほっとしています」


「先に軍師はあれこれと条件を挙げたが、もちろん何も要らぬ。ただ近く会って酒杯を交わし、おおいに語り合おうではないか。条件といえばそれだけだ」


「畏れ多いことでございます。ナルモントの人衆(ウルス)は、ハーンの聖徳に感激するでしょう」


「今となれば白夜叉も我が僚友。私の至らぬところがあれば、遠慮なく申せ。それがジョルチの気風だ」


 ミヒチは揖拝(ゆうはい)して、


「では卒爾ながらひとつ。ハーンにではなく、軍師に」


 サノウはぎょっとして身構える。ミヒチがすました(ヌル)で言うには、


「先から軍師は殊の外、狼の子を警戒しておいでですが、ジョルチにはすでに獅子(アルスラン)も狼も(カブラン)もあるではありませんか。先には竜ですら加えているのに、今さらおかしなことを言わないでください」


 たしかに黄金の僚友(アルタン・ネケル)()れば、獅子ギィ、霹靂狼トシ・チノ、呑天虎コヤンサン、赫大虫(注1)ハリン、皁矮虎(そうわいこ)マクベンがすでにあり、さらには盤天竜ハレルヤと盟を結んでいる。


 ここに新たに飛虎(注2)やら夜叉やらが並んだとて、何を恐れることがあろう。まさしく大鵬(ハンガルディ)の翼下に収まらぬものはなく、日輪(ナラン)の恩恵に浴さぬものもないといったところ。


 かくしてナルモント部は挙げてインジャに仕えることとなった。さてここにもう一人、静か(ヌタ)に控えている女丈夫があるのを忘れてはならない。果たして、司命娘子は何と言ったか。それは次回で。

(注1)【赫大虫】大虫は虎の意。


(注2)【飛虎】ヒィ・チノは「神箭将」のほかに「飛虎将」とも称される。

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