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草原演義  作者: 秋田大介
巻一二
667/783

第一六七回 ③

ヒィ両個の女傑に託して忠志を()

ミヒチ三巻の密書を奉じて狐疑を払う

 インジャはミヒチの言葉(ウゲ)について考える風だったが、やがて言うには、


「つまり神箭将(メルゲン)は、光都(ホアルン)の件を憂えて何か決断した、ということかな?」


はい(ヂェー)、そのとおりでございます。今日はそれについてジョルチン・ハーンにお伝えするべく参ったのです」


「私と神箭将は盟友(アンダ)の誓いを交わした義兄弟、()()()()()()()助力(トゥサ)は惜しまぬ。何でも申せ」


 ミヒチは莞爾と笑うと、


「それを聞いて安堵いたしました。好漢(エレ)に二言はないのですよ」


 インジャもまた笑って、


「もちろん、それでこそ好漢というものだ」


「ああ、失礼なことを申し上げました」


 非礼(ヨスグイ)を詫びると、傍ら(デルゲ)のゾンゲルを(うなが)して(くだん)文書(デプテル)奉呈(オルゴフ)させる。締めて三巻、(サガルダルガ)(くく)られた上に紙を貼って封緘(ふうかん)されている。小白圭シズハンが受け取って、インジャのもとへ運ぶ。


「これは?」


 問えば答えて言うには、


「我がハンより、ジョルチン・ハーンへの贈物(サウクワ)にございます」


「何と。厳重に封をされているようだが……」


はい(ヂェー)。我が部族(ヤスタン)機密(ニウチャ)が、ことごとく収められておりますゆえ」


「機密?」


はい(ヂェー)家畜(アドオスン)人衆(ウルス)、兵馬など、ナルモントの有するあらゆるものの数が記されております」


 インジャはおおいに驚いて、


「また白夜叉が戯言を申しているのであろう。そのようなものを軽々に人に見せてよいはずがない」


「戯言ではございませぬ」


 はっとして見遣(みや)れば、いつの間にやら笑みを収めて正視している。


「どういうことか」


 インジャも居住まいを正す。ミヒチは叩頭してついに言った。


「我がハンは、部族(ヤスタン)を挙げてジョルチン・ハーンにお仕えすることを決断なさいました。我らの窮状を憐れと(おぼ)し召すならば、どうか無下(むげ)に退けられませぬよう、伏して請願奉る次第にございます」


 居並ぶもので驚かぬものはなく、すぐには誰も言葉が出ない。またもミヒチが(アマン)を開いて、


「そこなる三巻の文書は、我がハンの忠誠(シドゥルグ)の証。ナルモントのすべてをハーンに献上いたしますゆえ、どうぞ中をお(あらた)めください」


 インジャは(ようや)く我に返って、


いや(ブルウ)、それには及ばぬ。このまま神箭将にお返ししよう」


 ミヒチは細い(ニドゥ)(みは)って、


「それは我らの帰投をお認めにならないということでしょうか。我がハンはハーンの(ノガイ)となって草原(ケエル)を駆け、(ウルドゥ)となって敵人(ダイスンクン)を伐ち、(ハルハ)となってハーンを護る所存です。お疑いのようでしたら……」


「そうではない」


「ではなぜ……」


「神箭将と(オロ)をともにできるとは望外の喜び(ヂルガラン)。これまでどおり東原を統べて(クチ)を発揮してもらいたい」


 みるみる愁眉を開いて、


「ああ、ありがとうございます(バヤルララ)。それでは……」


然り(ヂェー)。天下に高名(ネルテイ)な神箭将をどうして退けることがあろう。本来ならばこちらから礼を尽くしてお迎えせねばならぬところ。よって贈物など無用、その(セトゲル)だけで充分に過ぎる」


 するとサノウがそっと(ガル)を挙げて発言を求める。許せば言うには、


「お待ちください。この件についてはよくよく考えて回答なさるべきです」


「なぜか」


「ナルモントは(ヂェウン)の大族、その勢は必ずしもジョルチに劣る(ドロムヂン)ものではありません。また神箭将は(まぎ)れもなく真の英傑(クルゥド)。その心性(チナル)を観るに、人の下風に立つことを潔しとしないように見えます」


 ミヒチは僅かに(フムスグ)(ひそ)めたが、あわててそれを遮ったりはしない。何となれば、サノウが難色を示すことは想定(ヂョン)の内であったし、何よりその言うことも偏見とは言いきれなかったからである。


 サノウはかまわず続けて、


「古より『狼子に野心あり(注1)』と謂います。かつて神箭将は隻眼傑(ソコル・クルゥド)を登用するとき、『己とよく似ている』とて喜んだとか(注2)。その隻眼傑が果たして何を為したか、よもや忘れた(ウマルタヂュ)わけではありますまい」


 あまりに辛辣な言葉に、たまらず(ダウン)を挙げたのは何とインジャ。


「軍師、客人(ヂョチ)に対して無礼であろう」


 そしてそれを制したのは、当のミヒチ。何と言ったかと云えば、


いえ(ブルウ)、軍師のおっしゃるとおりです。懸念を表されるのはむしろ当然、まことにハーンを(おもんぱか)ってのこと。私は何も気にいたしません」


「しかし……」


「そして我がハンもそのような狐疑(注3)の言説に惑わされたりはいたしません。それこそが神箭将と隻眼傑の最も大きな差異。我がハンには確かな自負があり、屈折するところがありません。そのハンが熟慮の末に投ずると決めたのです。それを容れるかどうかは、むしろハーンの器量次第。軍師は決して我がハンの帰投を(こば)んでいるのではなく、そのことをハーンにお伝えしたかったのだと拝察します」

(注1)【狼子に野心あり】狼の子は野性を忘れないため、たとえ飼っても人に馴れることがないという意味。


(注2)【隻眼傑(ソコル・クルゥド)を登用するとき……】第九 〇回③参照。


(注3)【狐疑】疑い深いこと。

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