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草原演義  作者: 秋田大介
巻一二
666/783

第一六七回 ②

ヒィ両個の女傑に託して忠志を()

ミヒチ三巻の密書を奉じて狐疑を払う

 中原に()っていたキセイが、北原を経て戻ってきた。聞けば、森の民(オイン・イルゲン)も時を同じくしてジョルチに投じるとのこと。どうやら先にケルンが(くば)った義君からの贈物(サウクワ)(注1)が奏功したらしい。独りとて異を唱えるものはなかった。


「北伯が言うには、白夜叉が中原に向かうときに司命娘子を同行させたいとのことでした」


よい(サイン)。ただしもう金杭星(アルタン・ガダス)は北伯ではないぞ」


「ああ、うっかりしておりました」


 ヒィはからからと笑って、


「それより、義君はどうであった」


「もちろん詳細については伏せましたが、白夜叉の来訪を(セトゲル)から歓迎しているようでした」


「それもよい。ご苦労であった。下がって休め」


 ひと月も過ぎるころにはワドチャに命じた文書(デプテル)も揃ったので、いよいよミヒチを派遣することになった。ヒィ・チノは旅装を整えて挨拶に訪れたミヒチに言った。


部族(ヤスタン)の安危はお前の双肩(ムル)にかかっている。(たの)むぞ」


はい(ヂェー)。あまり脅かさないでくださいな。行ってまいります」


 例によって文書の類はゾンゲルにすべて持たせる。百騎(ヂャウン)ほども従えて、二人はオルドをあとにした。そこからは飽けば喰らい、渇けば飲み、夜休んで、朝発つお決まりの行程。あっと言う間にズイエ(ムレン)を渡って、鍾都(ハガム)にてショルコウと合流(べルチル)する。


 見ればショルコウは、久々に草原(ケエル)の民の装い。笑って言うには、


「森の民の正装でもよかったんだけど、中原では目立ちすぎるからね」


 心配で見送りにたケルンが、ますます憂えた様子で、


「ただでさえお前は人目を惹きやすいのだ。ああ、やはり俺もついていこうか。中原の男どもがお前を見て、妙な気を起こしはしないだろうか」


 ショルコウは僅かに赤面して、


くだらない(ソニルホルグイ)ことを言わないでください。大事な責務(アルバ)を負って行くのですよ。ああ、恥ずかしい」


 ミヒチとゾンゲルは(ヌル)を見合わせて笑う。


 ともかくケルンと別れると、(くつわ)を並べて北道(ホイン・モル)に入った。オンゴド・アウラ平原(注2)を越えれば、そこから先はインジャの勢力圏(ネウリド)


 駅馬吏(ウラアチン)が三人が来たことを報せるために速足(ツォギオ)にて去る。ミヒチたちは焦ることなく駅站(ヂャム)を辿っていく。道中は格別のこともなく再び(ムレン)を渡って、いよいよ中原へと至る。


 そこで待っていたのは、おなじみの金写駱(アルタン・テメエン)カナッサと黒鉄牛(ハラ・テムル・ウヘル)バラウンジャルガル。お互い大喜びで久闊を叙する。


「姐さん、今回はいかなる用件で?」


 バラウンが何げなく問うたところ、


機密(ニウチャ)だよ。何だい、お前はジョルチン・ハーンよりも先にそれを知ろうって言うのかい?」


 はぐらかせば、あわてて言うには、


いえ(ブルウ)、とんでもない! 姐さんは恐ろしいことを言いなさる」


「たまにしか喋らないのに、いちいち迂闊なことを言うんじゃないよ」


 手厳しく(たしな)められたバラウンは、(アマン)を尖らせて黙りこむ。とはいえかつて知ったる気安い面々、一行は暢気に(モル)を進む。


 しかしミヒチは、内心ではおおいに警戒していた。密かにゾンゲルに言うには、


「いいかい、私らの責務は重いよ。四頭豹の刺客(アラクチ)(ガル)になどかかったら、ナルモントの命数は()きるってもんだ」


「うひぃ」


(こと)にお前に預けた文書には部族(ヤスタン)の機密が詰まってるんだから、決して失くしたり奪われたりしたらいけないよ」


はい(ヂェー)、姐さん」


 青い顔で頷く。


 幸いにして何ごともなくオルドへ至れば、すぐに謁見を許される。すでに獬豸(かいち)軍師サノウや百策花セイネンといった帷幄(ホシリグ)のセチェンたちが、うち揃って客人(ヂョチ)を迎える。ミヒチは拝礼して進み出ると言うには、


「お久しゅうございます。ハトンがご懐妊なされたそうで、まことにおめでとうございます」


 インジャは照れながら頷いて、


うむ(ヂェー)。白夜叉も息災そうで何よりだ。(ヂェウン)のハーンも変わりないか」


 答えて何と言ったかと云えば、


「よくぞ訊いてくださいました。畏れながら我が()()について申し上げたいことがございます」


 このときミヒチは、ヒィ・チノのことを「ハーン」とはっきり言わずに、やや縮めて「ハン(注3)」に近い発音で呼んだ。


 それはさておき、居並ぶものは思いも寄らない返答に虚を衝かれる。そこで続けて言うには、


「ひとつには、我がハンはすこぶる壮健にて気力も充実しており、以前と何ら変わることはありません」


「おお、そうか」


「しかしまたひとつには、我がハンはこの(オブル)、臣下にひと言も口を()くことなく、独り沈思黙考しておりました。かつてこのようなことは一度たりともありません」


 インジャは途端に気遣(きづか)わしげな表情になり、


「それは光都(ホアルン)の件を憂えてか」


「さすがはジョルチン・ハーン、我がハンをよくご存知でいらっしゃいます。然り(ヂェー)、ハンが次に口を開いたときには、これまで考えもしなかったであろうことをお決めになって、我々群臣をおおいに驚かせました。この点においては、我がハンはすっかり変わられたと云うこともできましょう」


 この白面の女傑がいったい何を言わんとしているのか、ジョルチの好漢(エレ)たちは量りかねて、すっかり惑う様子。

(注1)【義君からの贈物(サウクワ)】第一四三回④参照。


(注2)【オンゴド・アウラ平原】インジャとヒィ・チノが会盟を行った地。第一四七回①参照。


(注3)【ハン】ハーンがより上位のハーンに仕えるとき、これに敬意を表して自らの称号を短く「ハン」と発音する慣習を踏まえたもの。例えばギィはアルスラン・ハン、ムジカはクルゥド・ハンと号している。

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