第一六六回 ④
ガラコ更に官を加えて賢婀嬌の言を容れ
ヒィ遂に意を決して金杭星の任を解く
呆然とするケルンに代わって口を開いたのは妻のショルコウ。言うには、
「ハーンは獅子殿や超世傑殿に倣って義君に投じる、とおっしゃるのですか」
「然り」
僅かな躊躇もない。それでショルコウもまたひと言で応える。
「承知しました」
あまりにあっさり了承しすぎると訝しんだか、ヒィは尋ねて、
「司命娘子は賛成か、反対か」
何と答えたかといえば、
「私などが口を挟むことではありません。ハーンが熟慮の末にそうお決めになったのであれば、人衆は自ずと従うでしょう」
ヒィは、ふふんと笑って、
「お前も白夜叉と同じことを言う。賢い女とはそういうものか」
「さあ、どうでしょう」
そこで漸く我に返ったケルンがあわてて言うには、
「ちょっと待ってください。それと俺の解任はどういう……」
「お前の賢い妻に尋ねてみたらどうだ?」
するとケルンは素直に感心して、
「ははあ、たしかに! なあ、お前。ハーンがそうおっしゃっているのだが……」
ショルコウは細い顎に指を当てて言った。
「そうですね、森の民のことは森の民で決めよ、ということでしょうか」
「それなら考えるまでもない。ハーンに従って、ともに義君に投じるぞ」
これも迷わず即答する。ヒィは笑って、
「おい、少しは考えてくれ。俺はこの冬、そのことばかり考えて過ごしたのだぞ」
「どれだけ考えようが、答えが変わらないなら同じことでしょう」
至ってまじめな顔で言う。ヒィはひとつ頷くと、
「その志は嬉しいが、ならばいよいよお前を解任しなければならん」
ケルンは途端に憤慨する。
「ですから、それが解らんのです! ともに投じるのに何でそうなるのか……」
「聴け。お前は北伯のままでは、俺が義君に投じたとき、陪臣(注1)ということになる。しかしお前が北原の王として別個に義君に降れば、俺と同じ直参の処遇となろう」
「ハーンと同じ……?」
「然り。そのほうが森の民の面目が保たれるではないか」
ケルンはしばし考える風だったが、
「面目やら体裁やらを気にしたことはありませんでしたが、それを言えば私はまた主を替えることになります。世間がとやかく言うことはありますまいか」
言葉のとおり、ケルンは最初に鎮氷河エバ・ハーンの女婿となってこれを助け、セペート部が滅んだのちにはヒィ・チノに投じた。今またインジャを主君と仰げば、畢竟二君どころか三君に仕えることになる。
それを聞いたヒィは、
「言いたいものには言わせておけ。お前はかつて一度たりとも主に叛したことはない。金杭星ほど忠良で信義に厚いものがないことは、誰もが知っている。何より俺は、そこを見込んで司命娘子を娶らせたのだからな」
「ありがとうございます」
ケルンはそう言いつつ、美しい妻の横顔を一瞥して赤面する。ヒィはその様子を見て、にやりと笑うと、
「もちろん司命娘子にとっても良縁だったであろう」
「はい、おかげさまで楽しく暮らしております」
傍らからケルンが、
「真か? まことに不満はないか?」
ショルコウはこれを優しく咎めて言うには、
「ありません。それよりハーンの御前ですよ、好きに喋ってよいわけではありませんからね」
「ああっ、これはとんだ失礼を!」
「よいよい。言ったであろう。お前はもう俺の臣ではない」
俄かに肩を落として、
「そうはっきり言われると寂しいものです……」
「主従ではなく、僚友となるのだ。もちろん森の民がそれを善しとすればだが」
「僚友! 何とまあ、畏れ多い」
「同じ処遇とは、そういうことではないか」
「たしかに……」
ヒィは向き直ると、
「司命娘子よ。お前の夫は忠良だが、やはりお前の助けが必要だ。嘱んだぞ」
「はい、お委せください」
完爾として答えれば、ケルンもまた、
「ハーンのおっしゃるとおりだ。俺からもぜひよろしく嘱む」
頭を下げたものだから、ヒィとショルコウは揃って吹き出す。
くどくどしい話は抜きにして、ついに東原に冠たる英傑は大義の旗の下に加わることを決心して、白面の女傑を中原に送ることになる。
テンゲリの定めに順えば、さながら水が高きより低きに下るがごとく、好漢英傑はことごとく義君のもとに参集するといったところ。果たしてヒィ・チノはどのようにしてインジャに降るか。それは次回で。
(注1)【陪臣】家臣の家臣。