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草原演義  作者: 秋田大介
巻一二
663/783

第一六六回 ③

ガラコ(さら)に官を加えて賢婀嬌の言を容れ

ヒィ(つい)に意を決して金杭星の任を解く

 するとミヒチは首を(かし)げて、


「テンゲリに、運命(ヂヤー)……。何のことでしょう?」


 ヒィは尋ねられてもすぐには答えず、これを睨みつけている。ミヒチがすました(ヌル)で次の言葉(ウゲ)を待っていると、


「白夜叉なら言わずとも解ると思ったが」


 答えて言うには、


宸慮(しんりょ)(注1)を推し量るなんて畏れ多いこと、するもんですか。(こと)部族(ヤスタン)の行くべき(モル)についてのご聖断ともなれば、どうして迂闊なことが言えるでしょう」


「何だ、やはり察しているではないか」


 ヒィは(フムスグ)(しか)めたが、ミヒチは不満も(あらわ)に抗議して、


いえ(ブルウ)、ハーンはそうおっしゃいますが、それほどの大事を私などが(アマン)にしてよいわけがありません。どこで誰が聞いているか知れやしない」


「わかった、わかった。で、お前はどう思う?」


「どう思うもこう思うもありません。ハーンが決めたことに従うだけです。だいたい私のような女に(はか)るべきことではありません。困らせないでくださいな」


「何を困ることがある」


「たとえ反対したところで、ハーンの御心(オロ)(くつがえ)らないでしょう。となると、私は単に叡慮に逆らっただけになります」


 ヒィはますます眉間に皺を寄せて、


「反対なのか」


「知りませんよ。私はまだ何も聞いちゃいませんからね。それに賛成したらしたで、ハーンは女の意見を容れて大事を決したなどとあらぬ風評が立てば、どんな怨みを買うか判らない。どちらに転んでも得することなんかひとつもありません。だから困るんです」


 ヒィは、ぽつりと呟いて、


「相変わらず小賢しい女だ」


 聞き逃すはずもなく、すかさず答えて、


賢明(ボクダ)っておっしゃってください」


「それによく喋る」


「ハーンが、らしくもなく道理(ヨス)に合わぬことをおっしゃるからです」


「道理に合わぬとは?」


 するとミヒチは居住まいを正して、


「熟慮なさったんでしょう? それで決められたのなら、逡巡なさってはいけません。大事は一気呵成に成し遂げるべきであって、このように人の顔色を窺いながらでは、どこから破れるか知れませんよ。そんなことは、ハーンこそよくご存知でしょうに」


「……そうだな」


 ミヒチは俄かに謹厳な様子で拝礼すると、


「今あるものは、昨今の動乱を経てなお留まった真の忠臣ばかりです。ハーンがまことに部族(ヤスタン)を思って決めたことであれば、どうして異を唱えましょう。何よりひたすら赤心(フラアン・セトゲル)をもって行うことが肝要です」


「白夜叉の言うとおりだ。それに俺は、俺の決断そのものは誤っていないと確信している」


「ならば何を躊躇しておいでです! このようにこそこそしていては信を得ることはできません。小賢しいのはハーンのほうでございます」


 これを聞いたヒィは、むしろ呆れた調子で言うには、


「……お前は賢いが、ひと言多い」


「ハーンのようにまるで言葉が足りないことに比べたら……」


 言い募らんとするのをみなまで言わせず、(ガル)を振って制すると、


「ああ、もうよい。もはや迷うまい。実は北伯夫妻を呼んである。これと会ったのち、みなを集めて信を問う」


「存分になされませ」


「まったくお前という奴は……。いや(ブルウ)、礼を言わねばなるまいな」


「よしてください、気味が悪い」


 ミヒチは一礼するやさっさと退出したが、この話はここまでとする。




 北伯たる金杭星(アルタン・ガダス)ケルン・カンと司命娘子ショルコウがオルドに到着したのは、さらに数日後のことである。夫婦並んで跪拝すると、ケルンが言うには、


「我がハーンよ。お召しに応じて、急ぎ参りましたぞ」


「二人とも息災のようで何よりだ。今日呼んだのはほかでもない。実はな、俺はよくよく考えてある決断をした」


 ケルンはきょとんとしているが、ショルコウはぴくりと(ムル)を震わせる。しかし面を伏せたまま何も言わない。


「……そもそも森の民(オイン・イルゲン)は独立した諸侯であって、ナルモントに属するものではない。縁あって金杭星個人が俺に投じたのをよいことに、北伯に任じて(クチ)を借りたが、本来は対等の盟邦である」


 相変わらずケルンはその意図が解らずにぼんやり聞いている。ヒィ・チノはかまわず言うには、


「そこで、このたびの決断に伴って、お前の北伯の任を解くことにした」


 ケルンは突然の通達に心の底から驚いて、跳び上がって言うには、


「お、お、お待ちください! 俺は何か過ち(アルヂアス)を犯しましたか!? そんな、酷い! 得心できませぬ。畏れながら、ハーンはどうかされてしまったのでは……」


 ショルコウがそっと手を伸ばして(カンチュ)を引く。顧みれば小さく首を振るので、ぶつぶつと非礼(ヨスグイ)を詫びながら再び(ひざまず)く。ヒィは呵々と笑って、


「あわてずに最後まで聴け。そうすれば、俺がどれほどお前とお前の(エメ)を重んじているか、知ることができよう」


「はあ、そうでございますか」


 眉根を寄せて、まだ怪しむ様子。ヒィは笑みを(たた)えたままで言った。


「これはまだ誰にも言っていない。お前たちが初めて聞くのだぞ」


「はあ……」


「俺はジョルチの義君に臣従することにした」


「はあ……。は、はぁっ!?」


 先の驚きを遙かに凌駕する衝撃を受けたケルンは、口を開けたまま跳び上がることすらできない。

(注1)【宸慮(しんりょ)】天子の心、考え。

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