第一六五回 ④
ジュゾウ光都に駆けて一丈姐を逃し
ゴルバン府署を設けて河東公に達す
東原は南北に二分された。北にはヒィ・チノ。南には梁の助力を得たゴルバン・ヂスン。そのまま草原は冬になり、心に憂いを抱くものも身動きできない。一度は出征の用意を整えたジョルチの将兵も矛を収めざるをえない。
光都に入った魏登雲たちが、慣れぬ寒さに呻吟しながら行ったのは、いかにも中華らしいこと。すなわち光都を改称して「珪州城」とし、これに伴って魏登雲は珪州太守となった。
また先にカオロン河に架けた橋にも「討胡橋」などと名づけて悦に入る。あとは大功はすでに成ったとて、連日酒宴に興じつつ春を待つ。
一方のゴルバン・ヂスンは、イルシュ平原を中心に小氏族のアイルを結ぶ連絡網を構築、要所に麾下の将軍を置いて睨みを利かせた。また中原で行われている四頭豹の法を宣布するなど、着実に支配を進める。
さらに子弟を選抜して近衛とする。文武の材がなければ、自ら育てようという心算。もちろん人質という側面もある。しかし時日を経て彼らが長じれば、きっと忠良の直臣となって氏族に還ることになるはずである。
こうして風に靡くばかりだった小氏族は、あれよあれよと云う間に東ヤクマン部の人衆に変えられた。
年が明けて、兎の年となった。報告を受けた四頭豹ドルベン・トルゲは、満足げに頷くと言うには、
「東原南半は難治の地と云われてきたが、何のことはない。あれほど治めやすい地がないことは判っていた」
大スイシが尋ねて言った。
「なぜそう思われましたか」
「先の天導青袍教のごとき妄説でも容易く信じる阿呆どもではないか。むしろ御しやすい」
「ははあ、言われてみれば……」
四頭豹は笑みを浮かべて、
「覚えておけ。人衆というものは、道理を解らせようとしても決して思うようにならぬ。しかしこれを導いて従わせるのは難しくない」
「そういうものでございますか。臣のごとき凡人には及びもつきませぬ」
「まあよい。東原はしばらく三色道人に委せる。それより、お前に嘱んだ例の件はどうなった」
恭しく拝礼しつつ答えて言うには、
「まもなく朗報がもたらされるでしょう」
「善し! 楽しみにしておこう」
四頭豹にとっての朗報は、すなわちインジャにとっての凶報にほかならない。
運んできたのは、やはり一騎の早馬。風雪をものともせず長躯してオルドへと至る。それを聞いたインジャは、思わず腰を浮かせて叫んだ。
「それは真か! もう一度、申してみよ!」
「はい。我が大カン、ハヤスン・コイマル・カンが急逝いたしました」
インジャが驚いたのは実はそのことではない。死に至る経緯である。聞けばハヤスンは老人ではあったが、すこぶる壮健で何の病もなかった。それが一夜にして卒かに変調を来たし、朝を迎えることもできずに崩じてしまったと云う。
誰がどう見ても暗殺が疑われる状況。王大母ガラコをはじめ、みな周章狼狽して為す術も知らない。
「太師が、急ぎジョルチン・ハーンにこのことを報せてご聖断を仰ぐようにと」
「ううむ……」
さすがのインジャも言葉がない。代わって獬豸軍師サノウが言うには、
「ボギノ・ジョルチは独立した一個の部族。法に則って速やかにクリルタイを開き、次のカンを決めればよろしかろう。我らは新たなカンとも変わらぬ友好を築く。返ってそう伝えよ」
インジャもまた頷いて了承したので、急使は一礼して去る。しかしそれだけでは終わらない。踵を接するように次の早馬が来て、
「大カンに続き、大将軍たる武神モルトゥ様も薨じられました……」
やはり不審なところが多い謎の死。これにはみな兢々として、手足の置きどころもわからぬ有様だとか。かつてモルトゥとともに戦った(注1)胆斗公ナオルは瞑目して、
「あの武神殿が……」
ぽつりと呟く。インジャは決然と立ち上がると、そのナオルに言うには、
「君が西原に行って衆庶の不安を鎮めてまいれ。天仙娘と黒曜姫を伴え。また癲叫子と雷霆子がこれを佐けよ。無事に新たなカンが即位するのを見届けたら帰れ。カンの人選については彼らに委せて容喙してはならぬ」
「承知!」
拝命して退出すると、二千騎の精鋭を選んで直ちに発った。そうこうするうちにも陸続と早馬が至って、逐一状況を伝える。
困り果てたガラコは、先に上卿会議に擁立されたことのある忠順公チャウンに、仮のカンにならぬか諮ったが固辞される。周囲にはどうせ仮の位ならばガラコ自らが就けばよいとの声もあったが、おおいに怒って、
「そんなことできるわけない。二度と言うんじゃないよ!」
一蹴する。とはいえ実質部族を率いる責務は、断事官たるガラコが双肩に担わざるをえない。
盟友にも等しき賢婀嬌モルテが、陰からこれを支える。このモルテの提言から、ボギノ・ジョルチ部はついに幼君を戴いて百年ぶりに大同の道を歩むことになるのだが、それはまたのちの話。
まさに四頭豹の奸計は東西を網羅して好漢たちは気の休まる暇もない。しかし奸計は結局のところ奸計に過ぎぬ。義君の両翼を捥がんとて成された数多のそれが、かえってその勢威を高めることにならぬともかぎらない。
すべてはテンゲリの配剤にて人智の及ばざるところ。ひたすらこれを恐れ、誠心を尽くすものにこそ加護もあろうというもの。果たして、このあとインジャはどのように運命を拓くか。それは次回で。