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草原演義  作者: 秋田大介
巻二
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第一 七回 ② <トシ・チノ登場>

インジャ死地を逃れ至りて衆星に(まみ)

ギィ武勲を(あらわ)し果たして野人を(はし)らす

 さて、早速イタノウの軍勢が動員される。その数は千騎(ミンガン)。アネクはまだ騎馬がかなう状態ではなかったので、(テルゲン)に乗せて中軍(ゴル)がこれを守護した。


「正面から出ると右派(バラウン)の軍勢に出遭うかもしれません。裏側から下りましょう。そして大きく迂回して(ホイン)へ向かえば敵人(ダイスンクン)(ニドゥ)を欺くことができましょう。万が一敵軍(ブルガ)に遭っても、そこなら一蹴する自信があります」


 そう言うのに(したが)って(ドブン)を下ると、なるほど一見平坦ながら近づくと起伏が多い一筋縄ではいかぬ奇妙な地形。一行は周囲を警戒しながら、アネクの傷に(さわ)らないよう進軍した。


 意気揚がるイタノウ軍であったが幸い敵軍には遭わず、左派(ヂェウン)のアイルに辿り着くことができた。


 しかし族長(ノヤン))のトシ・チノはすでに出陣したあとであった。聞けばギィとゴロもともに南下したとのこと。やむなくアネクを預けて、これを追うことにした。


 (ナラン)が傾いたころ、やっとトシ・チノの軍勢に追いついた。総勢五千騎、大鵬(ハンガルディ)が翼を広げたような陣形(バイダル)()いている。


 インジャは、その手前一里のところでイタノウ軍を止めると、ナオル、マルケを伴って左派の中軍へと赴いた。来意を告げると喜んで中へ通される。初めて見るベルダイの族長(ノヤン)トシ・チノの人となりはといえば、


 身の丈七尺半、(チノ)のごとき(ニドゥ)(カブラン)のごとき(サハル)(シバウン)のごとき(ハマル)(ブルゲト))のごとき(オモリウド)、威風辺りを払い、一指は千軍を退け、一声は万軍を震え上がらせる当代きっての偉丈夫(エレ)、今は鎧に身を固め、非道の野人を討たんと総髪を逆立て、眼は(ガル)を帯びて光芒を放っている。


遠い(ホル)ところをようこそ。アネクを救ってくれたことは聞いた。本来なら盛大にもてなすべきだが、戦時ゆえご容赦願いたい」


 トシ・チノはそう言ってインジャを迎えた。


「フドウのインジャです。かねてより大兄(イェケ・アカ)の名は聞いておりましたが、機会(チャク)なくこれまで挨拶ができずにおりました。今日は縁あってお目にかかることができ、これに勝る喜び(ヂルガラン)はありません」


 そう言って、はるばる訪ねてきたわけを説明すれば、トシはおおいに喜んで、


「ギィ殿もゴロ・セチェンも陣中に居る。ここへ呼ぼうではないか」


 傍ら(デルゲ)の兵に二人を呼んでくるよう命じると、さらに言うには、


「思えばインジャ殿の(エチゲ)フウ殿は、義を知り礼を重んじるまことの人物であった。我が部族(ヤスタン)危難(アヨール)のおりにはハーンに叛くことなく最後まで戦ったと聞く。そのご子息が氏族(オノル)を再興し、西(バラウン)にジョンシと結び、(ヂェウン)にサルカキタンを破ったことは噂で聞いて心中喝采を送っていたところだ」


 はっと(ヌル)を上げて、


「父をご存知ですか」


「フウ殿がご存命のころは、私もまだ幼子(チャガ)であったゆえ覚えているわけではないが、先代の族長(ノヤン)、すなわち私の父から、その勇敢で誠実な人柄については聞き及んでいる。テクズスの(ガル)にかかり(アミン)を落とされたときには一族みな怒り(アウルラアス)に震えたそうだ」


 インジャはそっと目を伏せて言った。


「……テクズスは、サルカキタンに斬られたと聞きました」


「テクズスのうしろにはサルカキタンがあった。だがさらにその背後にはヤクマン部のトオレベ・ウルチがおり、さらに中華(キタド)がある。すなわち中華(キタド)の脅威を脱して、初めてフウ殿の(オソル)を討ったことになるとは思わぬか。そのためには(オロ)あるものが手を組んで部族(ヤスタン)の統一に邁進せねばなるまい」


 自ら頷くとさらに言葉(ウゲ)を継いで、


「貴殿の父と我が父はともにハーンを(たす)けて戦った。当時のハーン、チャムバル・ベクは我が祖父にあたるが、彼は二人を『若き二枚の翼』と呼んで重用したそうだ。すでに二人はこの世に亡いが、我らがその意思を継ごうではないか。盟友(アンダ)となってサルカキタンを討ち、ジョルチ部を再びひとつにしようぞ」


 インジャは内心おおいに驚いた。ナオルも目を円くしている。いずれは左派と結ぶこともあろうかとは思っていたが、先方から提案してこようとは意外だったからである。インジャは慎重に言葉を(えら)んで答えた。


「我が氏族(オノル)はまだ微弱です。大兄と(ムル)を並べるには小さすぎます。翼は両翼揃って初めて役に立つもの。私と大兄では上天(テンゲリ)を翔けるには釣り合いません」


 トシ・チノは大笑いすると、


「謙遜することはない。フドウは、ジョンシ、キャラハンと結び、さらにはあの偏屈(コキル)なズラベレンすら従えている。大を問えばタロト部のジェチェンと親しく(カラウン)、小を問えばカミタ、ドノル、そして今またイタノウを収めた。若くして(ソオル)に敗れたことはなく、ダルシェ、サルカキタンといった強敵をも退けていることを()れば、貴殿の(クチ)はベルダイ両派とともにジョルチ部を三分しているとしてよい。これをもってこれを見れば、謙遜の余地などあるまい」


 インジャはトシ・チノが思いのほか内情に通じていることに驚いて、


「いやいや、そもそも私が今日生きて(オスチュ)大兄に(まみ)えることができたのも、すべて天王(フルムスタ)様の加護と、兄弟の助力の賜物(アブリガ)です。私は何もできぬ一介の小人に過ぎません。大兄の言葉はありがたいのですが、『二枚の翼』となるのは遠慮したいと思います。しかしながら大兄が義軍を興すときには、(ガル)となり(フル)となって先頭を駆けましょう」


 トシ・チノはおおいに気を好くしたが、傍らのナオルらはインジャがあまりに辞を(ひく)くするのをじれったく思っていた。


 そうこうしているところにギィとゴロが到着した。トシは両手を広げてこれを迎える。インジャは二人の堂々たる様子に感心しつつ、拱手して言った。


「お二方の噂は遠く私のアイルまで轟いております。フドウ氏族長(ノヤン)のインジャと申します。ゴロ殿に先の非礼(ヨスグイ)を詫びようとマシゲルへ赴きましたが、聞けばギィ殿の婚礼(ホリム)の挨拶のためベルダイへ行かれたとか。あわててあとを追って参りましたところ、こうして不慮の事態に出遭ったという次第。以後お見知りおきのほどよろしくお願いします」


 続いてナオル、マルケも型どおりの挨拶をする。ギィは答えて言った。


「マシゲル部ハーンの嫡子(ティギン)でマルナテク・ギィと申します。貴殿の勇名は遠く聞き及ぶところ。かねてよりひと目お会いしたいと願っておりました。邂逅かなってこれに勝る喜びはありません」


 一方のゴロはというと、インジャの人となりをじっと観ている様子。拱手して名乗りはしたもののそれ以上は何も言わない。


 トシ・チノが勧めて二人にも席が与えられる。インジャらは遠慮して客座を譲る。ああだこうだと譲り合って何とか席次が定まると、トシが(アマン)を開いて、


「いろいろと話したいこともあるだろうが、今はサルカキタンを退けるのが先決。とりあえず力を貸してほしい。右派軍は南方十里に留まって、こちらの出方を窺っている。陽が暮れるまで幾許(いくばく)もないが、今日中に追い散らしたい。一気に(かた)を付けたいと思うがいかがであろう」


 とて、居並ぶ好漢諸将の顔を見回す。ギィが進み出て、


「大兄の意のままです。我らはそれに(したが)いましょう」


 反論するものもなく、すぐに出陣となる。

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