第一六五回 ③
ジュゾウ光都に駆けて一丈姐を逃し
ゴルバン府署を設けて河東公に達す
好漢たちは散々に苦労しながら、互いに助け合って何とか神都に達した。サルチン、ゴロ、ヘカトの三頭に見えて、事の次第を報告する。
光都の城門を破壊したと聞いたゴロが、ジュゾウに言うには、
「壊すより、いっそ掃き清めるくらいが良かった。そうすれば愚かなものなら怒る。賢いものなら疑う。どちらにしても利があった」
「そうですかい。これでも迷ったんですよ」
「お前は慧敏だが、昔日からどうも粗忽なところがある」
「ちぇっ、今さら言われなくても解ってますよ」
ジュゾウがむくれたところで、
「まあ、みな無事に着いたんだからいいじゃないか」
そう言ったのは、先に到着して光都の人衆のために奔走していたカノン。戦や悪疫の流行で主を失った家屋を、ことごとく難民に与えるよう手配した。
かつてはヒスワの暴政を嫌った神都の民が大挙して光都に移ったものだが、今や逆に神都が光都の民を受け容れることになった。
バラウンが首を傾げて、
「たしかにゴロの兄貴の言うとおりなら追撃を受けてもおかしくないのに、ただの一人も敵兵を見ませんでしたよ」
ヘカトがううむと唸って、
「テンゲリの加護か、それとも……」
くどくどしい話は抜きにして、ついに河を渡ったヤクマン軍に目を転じる。城門が破壊されているのを見た三色道人ゴルバン・ヂスンは、
「小癪な。実にくだらぬ」
そう吐き捨てた。傍らにはあの混血児ムライがあって言うには、
「敵人はまだ遠くには行っておりますまい。城門を壊して時を稼ごうとあがいているのが何よりの証左。追わせますか?」
「いや。やらねばならぬことはほかにある。小敵など放っておけ」
「まったくそのとおりでございます。では次の策へと進みましょう」
ゴルバンは鷹揚に頷くと、梁の将軍たちと麾下の部将を集めた。千里の道を踏破して梁兵を率いてきたのは、征虜大将軍たる魏登雲。青竜刀を操る豪のものにて、「鬼頭児」と称されている。
副将は江奇成、官は平北将軍。七尺に足らぬ短躯である。ほかに武には「黒蟾蜍(黒いひきがえるの意)」の卞泰岳と「矮飛燕(ちびの燕の意)」の拓羅木公があり、文にはまた秦元敏と江秀之がある。
もう一人、怪しげな長身の道士があって名を林孟辰と云う。号して「尸解道士」。この七人が梁軍の中核。
一方、三色道人の下にはムライのほかに、ドロアン・トイ、トウトウ、イヒトバン、ゴルバン・アンクらがある。先にシノンを陥れたチャダの姿も見える。渾名があるものもいれば、ないものもいる。
もちろん草原と中華では言葉が異なる。
そこで華語通辯として耶律老頭なるものがある。いかなる言葉もたちどころに習得してしまう異能の主。これを称えた渾名があって、すなわち「九声鸚」。彼と彼の門弟たちが、誰かが話すたびに訳して伝える。
ゴルバンは魏登雲と諮って、光都を梁軍に委せると、自身はウルハンク軍を率いてゆっくりと北上する。四方に早馬を放ちながら辿り着いたのはイルシュ平原。かつて南伯シノンが拠点とした要衝である。
クリエン(注1)を形成して待っていると、三々五々集まってきたのは早馬に接した小氏族の族長たち。シノンが没落したのちはヒィ・チノの傘下に復していたはずが、四頭豹の調略によって再び離れたのである。
呆れたことに剄い草はただの一本もなく、風が吹けばたちまち靡くものばかり(注2)。もとよりヒィも彼らをあてにはしていないが、あまりに節操がなさすぎるというもの。
ゴルバンとてこれを恃みにしなかったのはヒィやシノンと同様だが、本心はどうあれ、これを端から粗略には扱わなかった。会盟して形ばかりの忠誠を誓わせたヒィやシノンと同じ轍は踏まない。
一応は歓迎する素振りを見せて、不安に戦く彼らを安んじた。その上で百人長の位を与えて諸将の下に配属する。小氏族は厳正に組織されて、ほどなくゴルバンの覇権が確立した。
実はゴルバンは、驚くほど広範な権限を付与されて河東に渡っていた。先の百人長の任命も本来ならハーン、あるいは相国たる四頭豹にしか許されていない。その及ぶところは軍権に留まらず、内政外交など多岐に亘った。
ついに幕府(注3)を開いて、ムライを相(注4)とする。のちに正式に河東公に任じられ、「順王」の称号すら得る。ゴルバン治下の東原を、以後は「東ヤクマン部」と呼ぶことにする。
ヒィは、光都のみならず、再び東原の南半をことごとく失ったのである。切歯扼腕したが、どうにもならない。神行公キセイをして敵情を探らせただけである。
卒かに強大な敵と境を接することになり、ヒィは再び窮した。彼我の兵力差は歴然、単独では決して抗しえない。
憂悶するうちに秋は過ぎ去ろうとしていた。ヒィは冬営地への移動を指揮しながら、沈思黙考することが多くなったが、くどくどしい話は抜きにする。
(注1)【クリエン】複数のアイルの集団から成り立つ部落形態。主に軍団の駐屯に際して形成され、遊牧形態から戦闘形態への転換が容易である。圏営、群団などと訳されることもある。単位は「翼」。
(注2)【剄い草はなく……】古言に「疾風に剄草を知る」とある。激しい風が吹いてはじめて丈夫な草が見分けられる。つまり、苦難に遭ってはじめてその人の意志の強さや節操の堅さがわかることの譬え。
(注3)【幕府】出征中の将軍の幕営。
(注4)【相】諸侯を補佐する官吏の最高位。中央における宰相に当たる。