第一六五回 ①
ジュゾウ光都に駆けて一丈姐を逃し
ゴルバン府署を設けて河東公に達す
さて、義君インジャは漸く東原動乱を収め、神都をも落として奸人ヒスワを討った。光都から楚腰公サルチンらを迎えて統治を託す。サルチンは仮に元首に就任して、蓋天才ゴロと鉄面牌ヘカトを輔翼とした。
ヒスワが濫発した悪法はことごとく廃し、租税を減免して人衆を寧んじる。またいわゆる「ジョルチン・ハーンの駅站」に連なることにより、ジョルチ部、ナルモント部との紐帯をますます強くした。ついに会盟が成立して、東西を結ぶ広域の交易圏が誕生する。
インジャはおおいに満足して、約一年半ぶりにオルドに帰還した。しばらくは兵を休めつつ、同志となった諸部族との修好に努める。
西原のウリャンハタからは奇人チルゲイと神道子ナユテが祝辞を述べにやってきた。そこでナユテは光都の防衛について懸念を伝える。
されば九尾狐テムルチを増援に遣ろうなどと話しているところに、神風将軍アステルノから早馬が来る。青ざめた顔で言うには、
「ヤクマン部が光都に向けて兵を発しました! 歩騎併せて十万になんなんとする大軍でございます!」
主将は三色道人ゴルバン・ヂスン。長く版図の東方にあって力を養ってきた堅実無比の宿将である。インジャたちは知らぬことだが、実は四頭豹が最も信頼している将でもある。
かつて八旗軍(注1)を設けたときには、あえてこれに加えなかった。インジャの南征によって超世傑ムジカなど四旗が離叛したが、その後、四頭豹がトオレベ・ウルチを弑して完全に実権を握ると初めてこれを抜擢した。今や東征の大軍を預けられるまでになったのである。
その兵力は約十万。それを聞いたジョルチの諸将は愕然とする。しかもカオロン河に橋を架けようとしているとのこと。次々と想像だにしないことを聞かされて、蜂の巣を突いたような騒ぎとなる。獬豸軍師サノウが言うには、
「……中華、すなわち梁の兵だ。ほかに考えられぬ」
さすがのインジャも唖然として言った。
「これまで梁は自ら草原に出征したことはないが……」
たしかに梁は、太祖が建国して以来150年余(注2)、一度も草原に兵を送ったことはない。ひたすら長城を整備し、懐柔して狗とした部族を嗾け、余の部族に離間の計を駆使して相争わせてきた。
それが卒かに出兵に踏みきった最大の要因は、皇帝が代わったことにある。二年前に章宗が崩御、皇太子だった英宗が即位した。彼は剛毅をもって自ら任じ、塞外の蛮族を己の代で駆逐してやろうと考えていた。
これに目をつけた四頭豹は、かつて勅使としてヤクマン部を訪れてより懇意にしている裴景国(注3)を通じてあれこれと献言、ついに大軍を送らせることに成功したわけである。
折衝が行われたのは、まさにインジャとヒィ・チノが、青袍教徒や隻眼傑シノンと激しく戦っている間のことであった。ナユテが憂えたとおり、四頭豹の狙いは動乱そのものにはなかったのである。
俚諺に「先んずればすなわち人を制し、後るればすなわち人の制するところとなる」と謂う。
まさしくインジャたちはすっかり後手に回って、もはや光都を保つ術もない。ともかく人の命だけでも救わんとて、あわてて策を講じる。まずは一丈姐カノンたちに光都を放棄するよう伝えるべく、飛生鼠ジュゾウと黒曜姫シャイカを遣る。
何となれば、カノンは気が強く退くを肯じない気性、黒鉄牛バラウンは逆に気が弱くて周囲に流されやすく、石沐猴ナハンコルジは一徹に過ぎて応変の才に欠けるところがある。
放っておけば光都に拘泥して、揃って徒死することになりかねない。
ジュゾウとシャイカは次々と馬を替えながら、夜を日に継いで駆けに駆けた。何より不安なのは、梁兵による架橋がどれくらいの期間で成るのか、さっぱり見当もつかないことであった。
何せ見たことがない。よって工法も何も判らぬ。これでは予測する糸口すらない。十万の兵に包囲されてからでは、どうすることもできない。ただただ道を稼ぐことに専心する。ジュゾウは内心思うに、
「俺はかつて神風将軍の行軍につきあわされて(注4)、あれ以上駆けることはあるまいと思っていたが、まったく何があるか判らぬもんだ」
ちらと併走するシャイカを顧みて、
「それにしてもたいした佳人だ。息ひとつ乱さぬ。かの柳腰のどこにそんな体力があるのやら」
思わずふっふっと笑って、
「いずれにせよ旅の連れは佳人が好い。あのとき隣にいたのはあの美髯公だったからな」
すかさずシャイカが見咎めて、
「おかしなことを考えたでしょう。人の命が懸かった公務の道中だよ」
まさか口には出してはいないはずだが、まったく勘の鋭い娘だと首を縮めて、あわてて前を向く。
二人は瞬く間にカオロン河を渡り、楚腰道をひたすら南下する。駅に着くたびに疲れた馬は取り替えて、いささかも速度を弛めない。
(注1)【八旗軍】諸王を粛清した四頭豹は丞相となり、従来の三軍を廃して八旗軍を新設した。第九 四回④参照。
(注2)【150年余】梁の成立は西暦1052年。現在は1218年なので、正確には166年。
(注3)【裴景国】ジャンクイ即位を受けて、これを英王に封ずるべくヤクマン部に遣わされた。第一二〇回①参照。
(注4)【神風将軍の行軍に……】南征中のこと。第一一五回④参照。