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草原演義  作者: 秋田大介
巻一一
657/783

第一六五回 ①

ジュゾウ光都に駆けて一丈姐を逃し

ゴルバン府署を設けて河東公に達す

 さて、義君インジャは(ようや)く東原動乱を収め、神都(カムトタオ)をも落として奸人ヒスワを討った。光都(ホアルン)から楚腰公サルチンらを迎えて統治を託す。サルチンは仮に元首(ドルチ)に就任して、蓋天才ゴロと鉄面牌(テムル・フズル)ヘカトを輔翼とした。


 ヒスワが濫発した悪法はことごとく廃し、租税を減免して人衆(ウルス)(やす)んじる。またいわゆる「ジョルチン・ハーンの駅站(ヂャム)」に連なることにより、ジョルチ部、ナルモント部との紐帯(ヂャンギ)をますます強くした。ついに会盟が成立して、東西を結ぶ広域の交易圏が誕生する。


 インジャはおおいに満足して、約一年半ぶりにオルドに帰還した。しばらくは兵を休めつつ、同志(イル)となった諸部族(ヤスタン)との修好に努める。


 西原のウリャンハタからは奇人チルゲイと神道子ナユテが祝辞(ウチウリ)を述べにやってきた。そこでナユテは光都(ホアルン)の防衛について懸念を伝える。


 されば九尾狐テムルチを増援に()ろうなどと話しているところに、神風将軍(クルドゥン・アヤ)アステルノから早馬(グユクチ)が来る。青ざめた(ヌル)で言うには、


「ヤクマン部が光都(ホアルン)に向けて兵を発しました! 歩騎併せて十万になんなんとする大軍でございます!」


 主将は三色道人ゴルバン・ヂスン。長く版図(ネウリド)の東方にあって(クチ)を養ってきた堅実無比の宿将である。インジャたちは知らぬことだが、実は四頭豹が最も信頼(イトゥゲルテン)している将でもある。


 かつて八旗軍(ナェマン・トグ)(注1)を設けたときには、あえてこれに加えなかった。インジャの南征によって超世傑ムジカなど四旗が離叛したが、その後、四頭豹がトオレベ・ウルチを(しい)して完全(ブドゥン)に実権を握ると初めてこれを抜擢した。今や東征の大軍を預けられるまでになったのである。


 その兵力は約十万。それを聞いたジョルチの諸将は愕然とする。しかもカオロン(ムレン)に橋を架けようとしているとのこと。次々と想像だにしないことを聞かされて、蜂の巣を(つつ)いたような騒ぎとなる。獬豸(かいち)軍師サノウが言うには、


「……中華(キタド)、すなわち梁の兵だ。ほかに考えられぬ」


 さすがのインジャも唖然として言った。


「これまで梁は自ら草原(ミノウル)に出征したことはないが……」


 たしかに梁は、太祖が建国して以来150年余(注2)、一度も草原(ミノウル)に兵を送ったことはない。ひたすら長城(ツェゲン・ヘレム)を整備し、懐柔して(ノガイ)とした部族(ヤスタン)(けしか)け、余の部族(ヤスタン)離間(カガチャクイ)の計を駆使して相争わせてきた。


 それが(にわ)かに出兵に踏みきった最大の要因は、皇帝(グルハーン)が代わったことにある。二年前に章宗が崩御、皇太子だった英宗が即位した。彼は剛毅(クルグ)をもって自ら任じ、塞外の蛮族(カリ)を己の代で駆逐してやろうと考えていた。


 これに目をつけた四頭豹は、かつて勅使としてヤクマン部を訪れてより懇意(カラウン)にしている裴景国(注3)を通じてあれこれと献言、ついに大軍を送らせることに成功したわけである。


 折衝が行われたのは、まさにインジャとヒィ・チノが、青袍教徒や隻眼傑(ソコル・クルゥド)シノンと激しく戦っている間のことであった。ナユテが憂えたとおり、四頭豹の狙いは動乱そのものにはなかったのである。


 俚諺に「先んずればすなわち人を制し、(おく)るればすなわち人の制するところとなる」と謂う。


 まさしくインジャたちはすっかり後手に回って、もはや光都(ホアルン)を保つ術もない。ともかく人の(アミン)だけでも救わんとて、あわてて策を講じる。まずは一丈姐(オルトゥ・オキン)カノンたちに光都(ホアルン)を放棄するよう伝えるべく、飛生鼠ジュゾウと黒曜姫シャイカを()る。


 何となれば、カノンは気が強く退くを(がえん)じない気性(チナル)黒鉄牛(ハラ・テムル・ウヘル)バラウンは逆に気が弱くて周囲に流されやすく、石沐猴(せきもっこう)ナハンコルジは一徹に過ぎて応変の(アルガ)に欠けるところがある。


 放っておけば光都(ホアルン)に拘泥して、揃って徒死することになりかねない。


 ジュゾウとシャイカは次々と(アクタ)を替えながら、夜を日に継いで駆けに駆けた。何より不安なのは、梁兵による架橋がどれくらいの期間で成るのか、さっぱり見当もつかないことであった。


 何せ見たことがない。よって工法も何も判らぬ。これでは予測(ヂョン)する糸口すらない。十万の兵に包囲(ボソジュ)されてからでは、どうすることもできない。ただただ道を稼ぐことに専心する。ジュゾウは内心思うに、


「俺はかつて神風将軍の行軍につきあわされて(注4)、あれ以上駆けることはあるまいと思っていたが、まったく何があるか判らぬもんだ」


 ちらと併走するシャイカを顧みて、


「それにしてもたいした佳人だ。(アミ)ひとつ乱さぬ。かの柳腰のどこにそんな体力があるのやら」


 思わずふっふっと笑って、


「いずれにせよ旅の連れは佳人が好い。あのとき(サーハルト)にいたのはあの美髯公(ゴア・サハル)だったからな」


 すかさずシャイカが見咎(みとが)めて、


「おかしなことを考えたでしょう。人の命が懸かった公務(アルバ)の道中だよ」


 まさか口には出してはいないはずだが、まったく勘の鋭い(オキン)だと首を縮めて、あわてて前を向く。


 二人は瞬く間(トゥルバス)にカオロン(ムレン)を渡り、楚腰道をひたすら南下する。駅に着くたびに疲れた馬は取り替えて、いささかも速度を(ゆる)めない。

(注1)【八旗軍】諸王を粛清した四頭豹は丞相(チンサン)となり、従来の三軍を廃して八旗軍を新設した。第九 四回④参照。


(注2)【150年余】梁の成立は西暦1052年。現在は1218年なので、正確には166年。


(注3)【裴景国】ジャンクイ即位を受けて、これを英王に封ずるべくヤクマン部に遣わされた。第一二〇回①参照。


(注4)【神風将軍の行軍に……】南征中のこと。第一一五回④参照。

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