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草原演義  作者: 秋田大介
巻一一
655/783

第一六四回 ③

楚腰公神都に還りてインジャ西に帰り

神道子光都を(おもんぱか)ってゴルバン東を望む

 チルゲイの物語(ウリゲル)をひととおり聞き終えると、インジャはおおいに感心して、


「奇人殿にかかれば、世間(オルチロン)に解きえぬ謎などありませんね。どうか私にもその智恵をお貸しください」


 するとひらひらと(ガル)を振って、


「智恵などありましょうや。みなが偶々(たまたま)見落としていることに気がつくだけのこと。気づきさえすれば、それはもう謎でも何でもないのです。私が役に立てるとすればその程度。国家(ウルス)の大事については、もっと相応しいものがこの場にいくらでもあるではありませんか」


「と言いますと?」


 答えて言うには、


獬豸(かいち)軍師をはじめ、麾下にある英傑(クルゥド)たちは無論ですが、まずは神道子にご諮詢(しじゅん)(注1)ください。何となれば、かのものは西原を発つときから憂えていることがあるとか」


 驚いてこれに(ニドゥ)を向ければ、そっと頷いたので、


「東原で勝利を得たのは、まさに神道子の献策の賜物(アブリガ)であった。思うところがあれば遠慮せずに言うがよい」


 (うなが)せば一礼して言うには、


「ハーンは覚えておいでですか。先に神都(カムトタオ)を囲むときには必ず光都(ホアルン)の守りに意を払うよう申し上げたことを」


「もちろん。だから石沐猴(せきもっこう)千騎(ミンガン)を与えて光都(ホアルン)に送った」


「では、その後はいかがですか」


「その後?」


はい(ヂェー)神都(カムトタオ)を得たのちのことです」


 インジャは(いぶか)しく思いつつも、(つまび)らかに語って言うには、


「楚腰公らが神都(カムトタオ)に移るとき、護衛として赫彗星が千騎を率いて光都(ホアルン)を出た。よって今は黒鉄牛(ハラ・テムル・ウヘル)と石沐猴が四千騎を率いてある」


 これを聞いてナユテは瞠目する。言うには、


「それでは増援は……!?」


「していない。東原は平定されて、ことごとく神箭将(メルゲン)の治下にある。仮に光都(ホアルン)を窺うものがあっても、固く籠城していれば必ず救援が至ろう」


 ナユテはすぐには答えない。難しい顔つきで考え込む。インジャはやや不安を覚えて尋ねた。


「何を憂えている」


 (ようや)(アマン)を開いて、


「……あの四頭豹が、ただ東原を(みだ)したばかりで何の得るところもなかったとは、いささか腑に落ちませぬ」


「うむ……」


「四頭豹は東原を、厳密に言えばまずは光都(ホアルン)を欲しているように思うのです。(ソコル)(・クル)(ゥド)を叛かせて神箭将の(クチ)()ぎ、神都(カムトタオ)を我々に与えて楚腰公を移させたのは、もしやそのための布石なのではないかと……」


 百策花セイネンが思わず(ダウン)を挙げる。


「まさか! いくら四頭豹でもそこまでは」


 向き直って説いて言うには、


「私も確信があるわけではない。しかし四千騎ではやや心許(こころもと)ない」


 インジャがまた言うには、


「足りぬ、と申すか」


はい(ヂェー)。もっとはっきりと申し上げるべきでした。鄙見ではありますが、光都(ホアルン)には万騎(トゥメン)に相当する将兵を()くべきかと。すなわちハン、もしくは族長(ノヤン)級のものを」


 ナユテが想定していたのは、例えば獅子(アルスラン)ギィ、霹靂狼トシ・チノ、碧水将軍(フフ・オス)オラルといったものたち。できることならば光都(ホアルン)周辺に牧地(ヌントゥグ)を与えて、これを守らせるべきだとすら考えていた。


 それを聞いたインジャはううむと唸って、


「軍師、どう思う」


「神道子の憂慮、まことにもっともかと存じます。いずれは必ずそうするべきかと存じます」


「ん? いずれは、と言ったな。それは今ではないということか」


 やはり平静な調子で述べて言うには、


はい(ヂェー)。牧地の改編は、性急に行うべきではありません。しかも東原はそもそも神箭将の版図(ネウリド)なれば、ハーンの一存で決めるわけにもいきません」


「そのとおりだ。しかしもし四頭豹が大軍を発したら、光都(ホアルン)(あや)うい」


 インジャの疑念にも、サノウの口調は変わらない。


「超世傑、紅火将軍(アル・ガルチュ)、碧水将軍、神風将軍(クルドゥン・アヤ)、赫彗星の五将をして(ブルガ)を牽制させましょう。さすれば東原に出征することはできますまい。たしかにヤクマン部は兵衆十万を誇る大族ですが、光都(ホアルン)を落としてこれを維持し、神箭将に伍して東原に地歩を築くには僅かに兵が足りません」


「ふうむ……」


 常には果断なインジャにしては珍しく、方策を決めかねて黙りこむ。黄金の僚友(アルタン・ネケル)たちもあえて口を挟まない。じっと断が下るのを待つ。


 沈黙を破ったのはウリャンハタのチルゲイ。


「ハーン、ここはひとまず一将に兵を与えて、急を(しの)ぐべきでは? のちに神箭将と(はか)って、然るべき配置を定めればよろしいかと存じます」


 途端に愁眉を開いて、


「やはり奇人殿はセチェンだ。よし、とりあえず九尾狐に二千騎を授けて、すぐに渡河させよう」


 九尾狐ことテムルチは、山塞での用兵に巧みなもの。きっと城塞(バラガスン)の防衛にも力を発揮するに違いない。居並ぶものは喜んで賛同する。


 と、ちょうどそのとき、急を告げる早馬(グユクチ)の到着が報じられる。みな何ごとかと色めき立つ。

(注1)【諮詢(しじゅん)】はかり問う。相談する。意見を求める。

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