第一六四回 ②
楚腰公神都に還りてインジャ西に帰り
神道子光都を慮ってゴルバン東を望む
サルチン、ゴロ、ヘカトの三頭が牽引する神都の治安はみるみる回復して、人心はほどなく安定した。
もちろん至るところに戦の傷痕が残り、かつての繁栄を取り戻すのはいつになるやら知れぬほどだったが、何より僭帝ヒスワの暴政を脱した人々の表情は明るかった。人衆を苦しめた数々の悪法はすべて廃されて、自由の気風が徐々に甦る。
神都の傭兵となったマルケとツジャンは城壁や城門を修築して、ともに諮って綿密な防衛の策を講じる。
また中原から美髯公ハツチが招かれて、東西を結ぶ駅站の整備を委ねられた。もともと東原にはサルチンの楚腰道があったが、これを機にあらゆる道を繋げようという壮大な企図。
新たに神都と鍾都も結ばれて、これはそのまま北道へと続く。ナルモントから長者ワドチャに勅命が下って、ハツチを輔ける。さらにタムヤから豬児吏トシロルが召されて、船着場の拡張を手がける。
こうしたことが着手されるのを見届けて、いよいよ遠征軍はそれぞれの牧地へと帰還することになった。それを前に神都の城外に祭壇が築かれる。何のためかといえば、ジョルチ、ナルモント、そして神都の会盟を行うためである。
インジャ、ヒィ・チノ、サルチンがテンゲリに誓って、友好を確かめる。歓呼の声は草原をどよもし、いつまでも止むことがない。
酒食が供されて、そのまま盛大な宴となる。好漢たちも張り巡らされた帳幕のうちに席を設けて、祝杯を交わしながら向後について話し合う。
三者の人衆は互いに割符を交付して、通行の自由を保証する。もともと神都は、中原から来るものについては馬の渡河を禁じていたが、それも撤廃となる。いずれは西原へも使臣を遣って、同様の盟約を交わすことも決まる。
ジュゾウは雀躍して、
「カムタイの紅大郎がこれを聞いたら喜ぶぞう!」
みなどっと笑う。今ここに神都を得たことで、誰もが浮かれていた。
ヒスワがこの地に盤踞していたために、長らく東西の和合が阻まれてきた。その障碍が除かれたおかげで、東はナルモントから、ジョルチを経て、西のウリャンハタ、ボギノ・ジョルチまでを包括する広大な交易圏が現出したのである。
そこではジョルチン・ハーンの掲げる大義の旗の下、人衆は平和と安寧を享受することができた。あとは南原にあるヤクマン部を亡ぼすばかり。これさえ覆滅すれば、永遠に続くかと思われた乱世もついに終息が見えてくる。
もちろん容易ではない大敵だが、すでにインジャとその盟友の版図は、三方からこれを包囲する形勢。然るべきときに然るべき手を打てば、必ず大願を成就できるはずである。好漢たちは希望に胸を膨らませた。
かくして会盟も成功裡に終わり、諸将は去ったがこの話はここまでとする。
インジャも約一年半ぶりに懐かしいオルドへと帰った。無事に留守陣を保った胆斗公ナオルや、刺客から三后を護った黒曜姫シャイカらは激賞される。余の諸将もそれぞれ賞を賜った。
しばらくは東原親征の疲れを癒し、兵を休ませて次の戦に備える。東西に使節を遣わして、交誼を深めることも忘れない。ウリャンハタの衛天王カントゥカは返礼の使者として、奇人チルゲイと神道子ナユテを送る。
インジャは大喜びでこれを迎えると、
「おお、奇人殿! 息災でしたか?」
揖拝して言うには、
「はい、もちろん。それよりこのたびの多大な戦果は史上稀なるもの。お慶び申し上げます」
「幸いにしてテンゲリの加護がありました。神道子にもずいぶん助けられた」
「私などは何も。おめでとうございます」
チルゲイはにやにや笑いながら、インジャの傍らにあるサノウに目を止めて、
「迷い子も無事に帰ったようで何よりですな!」
サノウは眉を顰めたが、居並ぶものはみな笑う。インジャはまた尋ねて、
「久しく名を耳にしていませんでしたが(注1)、この間は何を?」
「さあ、特に何も。ぼんやりしているうちに数年経っておりました」
この答えにまた満座は笑いに包まれる。さらに言うには、
「まあ、たまには人に請われて小さな謎を解いたりしていました」
インジャは興味を惹かれた様子で、
「ほほう、それはまたどのような……。あっと、うっかりしておりました。お話は酒とともに拝聴いたしましょう」
「それでこそ義君! その言葉をお待ちしておりましたぞ!」
応じて神餐手アスクワが腕を揮った料理の数々が運ばれる。チルゲイは舌なめずりして大喜び。
一同は乾杯して料理を楽しみながら、チルゲイの語る少しばかり不思議な話の数々に耳を傾けた。それがどのようなものだったかは別に機会もあるだろうから、くどくどしくは述べない。
(注1)【久しく名を……】チルゲイが最後に登場したのは、ウリャンハタの北伐にて三部族会盟を成立させたときである。西暦1214年のこと。現在は1218年なので、かれこれ四年前となる。一三三回④参照。