第一六四回 ①
楚腰公神都に還りてインジャ西に帰り
神道子光都を慮ってゴルバン東を望む
さて、ついに神都を落とした義君インジャたち。宮城にて癲叫子ドクトが奸人ヒスワを発見、これを擒えると、すぐに好漢たちが呼び集められた。
みなの前で処刑すれば、それぞれ万感の思いが去来する。是非はともかくとして、この乱世においてたしかに一方の雄であった男が一人、退場したのである。
インジャたちは市街の復旧を進めながら、楚腰公サルチンらの到着を待った。神都の統治を誰に委ねるかについては決まっていなかったが、早く彼らにこれを報せるべきだと思ったのである。
それとは別にある日、獬豸軍師サノウが尋ねて言うには、
「神都を帝都として収められますか?」
するとインジャは即答して、
「いや。神都は神都のものに返す。それが道理だ」
これによって指針は定まったようなもの。神箭将ヒィ・チノはこのことを伝え聞くと、手を拍って、
「さすがは義君だ。俺としては、もし義君が神都を欲すれば、異を唱えることはできぬと思っていた。楚腰公らにどう釈明しようかと憂えていたが、無用の心配だった」
そうとは知らぬサルチンたちも、喜び馳せ参じながら実はやや緊張していた。
光都に続いて神都もまたインジャの力なくしては奪還できなかった。それを鑑みれば、ヒスワを除いたからといって何もかも旧に復してほしいと願うのは、いささか厚かましい話には違いない。
そこで北上の道すがら、サルチンは鉄面牌ヘカトと諮って、どのような条件を提示すれば自治を確保できるか、頭を悩ませた。ヒィ・チノの股肱である鳳毛麟角ツジャンの助力を請えば、言うには、
「もちろん恩には報いたいが、我が主君も義君のおかげでやっと牧地を保ったようなもの。強く提言することは難しい」
ところが赫彗星ソラが言うには、
「なあに、案ずることはありません。我がハーンは道理の解るお方です。条件やら代価やらを算えるよりも、白心で臨むべきです」
これには商人たる二人は無論のこと、ツジャンも半信半疑の体。だが道を急いでいるうちに、これといった案もないまま到着してしまった。
ジョルチ、ナルモントの諸将が一堂に会して歓待の宴を催す。サルチンは慎重に言葉を択びつつ、祝辞を述べる。ヘカトが黙っているのは常のとおり。
すると何とインジャが満面に笑みを湛えて言うには、
「祝いを言うべきは我らのほうです。やっとあの奸人を討つことがかないました。これで楚腰公殿をはじめ、みな神都に帰ることができるというもの。さて、今後はどのように神都を治めるおつもりでしょう?」
サルチンたちは瞠目する。まさかインジャのほうから辞を卑くして問うてくるとは想像だにしていない。狼狽えるのをソラがにやにやしながら眺めている。
サルチンは思わず進みでて平伏すると、
「もしハーンにお許しがいただけるのであれば、昔日のごとく自由な商人の街として再生したいと切に望んでおります」
まさにそれは一片の打算もない白心から出た言葉。インジャはおおいに頷いて、
「すばらしい! 許すも何も、神都はもとよりあなたたちの街ではありませんか。私のようなものがあれこれ口を出すべきではありません」
はっとして顔を上げると、
「ありがとうございます! みなどれほど喜ぶことでしょう!」
「聞けばここにある神箭将が、かつてあなたに神都を返すと約したとか。微力ながら助力できたことを嬉しく思います」
「何と、何ともったいないお言葉……」
再び平伏して、幾度も叩頭する。ソラが近づいて助け起こすと言うには、
「ほら、俺の言ったとおりだったでしょう。さあさあ、お座りなさい」
サルチンは頷きながら、もとの席に返る。みなわっと歓声を挙げて、
「万歳! 万歳!」
繰り返しては杯を干す。そんな調子でその日はお決まりの宴で終わったが、翌日には早くも新たな体制を築くべく会合を開く。
もちろんジュレン帝国などという怪しげなものはことごとく棄て去って、元首の制(注1)を復活させる。本来ならば選挙を経て決めるものだが、危急のときなればとりあえずサルチンが任に就く。
かつて二人あった大臣には、ゴロ・セチェンとヘカトを指名した。然るべき人を得るまでは大院も上卿も置かず、三人の合議で運営することとした。
また神都の出自ながらジョルチン・ハーンに仕えるサノウとハツチに、特に外卿の名誉を贈った。そのサノウが言うには、
「神都の政事にハーンが容喙(注2)することはない。しかしその守禦については自ずから別だ」
これを聞いたサルチンたちは愁眉を開いて、
「まさにそのことを憂慮していたのだ。今、人衆に兵役を課すことはできない。かといって胡乱なものを雇い入れることも躊躇われる」
サノウはふむと頷くと、
「神都は中原と東原を結ぶ要衝。そこで我がハーンと東のハーンがそれぞれ兵を供出して、ともに防衛に当たるというのはどうだろう」
もちろん断る道理はない。先に光都で行ったように傭兵の契約を交わすことにして、将の人選については一任することにした。応じてのちに中原からは白面鼠マルケが、東原からは縁のあるツジャンが守将として入城した。
また獅子ギィも兵を送って、先日までマシゲルにあったゴロに預けた。それに伴ってゴロは、大臣と守護官を兼務することになった。
(注1)【ドルチの制】旧の神都の政体については、第一 九回①参照。
(注2)【容喙】横から口を挟むこと。