第一六三回 ③
サノウ義君に見えて呼擾虎自ら刎し
ドクト奸人を逮えて蓋天才専ら恥ず
もともとは豪壮かつ堅固であったはずの数多の扉は、あるいは破れ、あるいは崩れて無残な有様。賊徒の狂悖暴戻(注1)、猖獗(注2)を極めたことが看て取れる。ジョルチ軍はドクトを先頭に寒々とした気分で進んでいく。
宮城の内部はさらに惨状を呈していた。すべての調度は倒され、壊されて、方々に屍が転がっている。侍衛兵も、侍女も、側使いもなく、等しく骸を晒す。
「こいつは酷い。いかに奸人を怨むとてやりすぎというものだ」
ドクトは眉間に皺を寄せて吐き捨てる。なおも奥へと進み、生きている人の姿を索める。
そのうちに造反した囚人たちと思しき遺骸が散見されはじめる。なぜそれが判るかといえば、兵に似つかわしくない宝珠やら財宝やらの類を乱雑に身に着けていたからである。
略奪したはよいが、侍衛兵の反撃に遭って命を失ったのである。まったく愚かというよりない。義理の無い叛乱は、ただの暴力に過ぎない。どうしてテンゲリの加護が得られよう。トオリルがドクトに言うには、
「互いに相討って、ほとんど殺し尽くしたようだ。まとまった兵力はないと看てよかろう。兵衆を広く分けて、奸人を探索させよう」
「おお、それがよい」
インジャとサノウに諮れば、もちろん許される。応じて兵衆は五人、十人と連れ立って散っていく。
本営はまっすぐに進んで広間に至る。これこそきっと神都の朝堂。常にはここで廟議が行われていたに違いない。高き座には絢爛たる玉座がそのままになっている。タンヤンがインジャにふざけて言うには、
「座ってみますかい?」
たちまちノイエンが声を荒らげて、
「よせ、縁起が悪い!」
インジャも苦笑して、
「まあ、やめておこう。縁起云々はともかく、趣味が合わぬ」
「さすがは義兄上、そうでなくっちゃ!」
「自ら勧めておいて何を言うのやら」
ノイエンは呆れかえる。それはさておき、あとは待つばかり。サノウとキノフが進み出て、
「我々は書庫を検めてまいります。神都の文書は何より貴重。ヒスワの集めた財宝など比べものになりません」
「善し、速やかに保全保管せよ」
「はい」
恭しく拝礼して去ろうとする。と、サノウがふと目線をひとつところに止めて、
「ハーン! 玉座のうしろに身を屈めねばくぐれぬような小さな扉があります。これはもしや変事の際に皇帝が身を避けるべく設けられたものでは?」
それを聞いてみな頭を廻らす。インジャが瞠目して、
「おお、あまりに小さいので気づかなかった。言われてみればそのように見える。癲叫子、探ってみよ」
「承知!」
ドクトが応えて開こうとしたが、内から施錠されている様子。かっときて一撃に叩き壊す。覗いてみれば先に暗い通路があって、どこかに続いている。
「軍師、こいつは的中ですぜ!」
雀躍して歓声を挙げる。数名の兵士を随えて、中へと入っていく。
「気をつけろ」
思わずタンヤンが言えば、笑い声とともに、
「これがまことに通路なら、こんなところでもたもたしている奴はないだろうよ」
そう返ってくる。身体の大きいタンヤンやノイエンはあとを追うこともかなわず、ただはらはらしているほかない。対してサノウは冷静そのもの、
「癲叫子に委せておけば心配要りません。では私は書庫へ」
キノフを伴って去る。タンヤンは嘆息して言った。
「ははあ。数歳ぶりに会ったが、軍師にはお変わりないようで」
「頼もしいではないか」
インジャは嬉しそうである。かくして為すこともなく佇みながら、ときどきもたらされる兵衆の報告を受けるうちに時は過ぎる。
およそ一刻も経ったろうか。陽も漸く傾きはじめる。卒かに件の通路から、がやがやと人の声。
「あっ! 戻ってきたみたいだぞ!」
タンヤンが叫ぶ。小さな入り口を注視していると、ドクトがぬっと顔を出す。
「お待たせしました」
「いかがであった」
やや早口に問えば、にぃっと笑って、
「軍師の卓見に過誤はありませんでしたぞ!」
すっかり抜け出したその右手に綱が握られている。するすると手繰れば、縛られた男が一人。ドクトは誇らしげにこれを示して、
「奥にあった小さな庫に隠れておりました。ヒスワです!」
居並ぶ将兵は、わっと快哉を叫ぶ。インジャもまた昂奮して、
「癲叫子、よくぞ見つけた! さあ、みなを集めよ!」
即座に四方に早馬が飛ぶ。インジャたちは半ば焼失した宮城を出て、中央の更地にて諸将の参集を待つ。
擒えたヒスワも逃がさぬよう檻車に入れて運び込む。その間、先ごろまで皇帝を称していた男はひと言も喋らず、ただ恨みがましい視線を周囲に向けるのみ。
ヒスワ捕縛の報を受け、心躍らせて駆けつけないものはない。誰もが大なり小なり怨みがある。中でも蓋天才ゴロには格別な思いがあった。
(注1)【狂悖暴戻】狂っているように暴力的で、道理に反していること。
(注2)【猖獗】猛く、荒々しいこと。悪いものごとが勢いを増すこと。猛威を振るうこと。