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草原演義  作者: 秋田大介
巻一一
651/783

第一六三回 ③

サノウ義君に(まみ)えて呼擾虎(こじょうこ)自ら(ふん)

ドクト奸人を(とら)えて蓋天才(もっぱ)ら恥ず

 もともとは豪壮かつ堅固であったはずの数多の(ハアルガ)は、あるいは破れ、あるいは崩れて無残な有様。賊徒(ブルガ)狂悖(きょうはい)暴戻(ぼうれい)(注1)、猖獗(しょうけつ)(注2)を極めたことが看て取れる。ジョルチ軍はドクトを先頭に寒々とした気分で進んでいく。


 宮城の内部はさらに惨状を呈していた。すべての調度は倒され、壊されて、方々に屍が転がっている。侍衛兵(トゥルガグ)も、侍女(チェルビ・オキン)も、側使い(エムチュ)もなく、等しく(むくろ)(さら)す。


「こいつは酷い。いかに奸人を怨むとてやりすぎというものだ」


 ドクトは眉間に皺を寄せて吐き捨てる。なおも奥へと進み、生きている人の姿(カラア)(もと)める。


 そのうちに造反した囚人たちと(おぼ)しき遺骸が散見されはじめる。なぜそれが判るかといえば、兵に似つかわしくない宝珠(ダナ)やら財宝(エド)やらの類を乱雑に身に着けていたからである。


 略奪したはよいが、侍衛兵の反撃に遭って(アミン)を失ったのである。まったく愚かというよりない。義理の無い叛乱は、ただの暴力(ハラ・クチ)に過ぎない。どうしてテンゲリの加護が得られよう。トオリルがドクトに言うには、


「互いに相討って(アラルドゥクイ)、ほとんど殺し尽くしたようだ。まとまった兵力はないと看てよかろう。兵衆を広く分けて、奸人を探索させよう」


おお(ヂェー)、それがよい」


 インジャとサノウに(はか)れば、もちろん許される。応じて兵衆は五人(タブン)十人(アルバン)と連れ立って散っていく。


 本営(ゴル)はまっすぐに進んで広間に至る。これこそきっと神都(カムトタオ)の朝堂。常にはここで廟議が行われていたに違いない。高き座(オンドゥル)には絢爛たる玉座がそのままになっている。タンヤンがインジャにふざけて言うには、


「座ってみますかい?」


 たちまちノイエンが(ダウン)を荒らげて、


「よせ、縁起が悪い(ベリクウダイ)!」


 インジャも苦笑して、


「まあ、やめておこう。縁起云々はともかく、趣味が合わぬ」


「さすがは義兄上、そうでなくっちゃ!」


「自ら勧めておいて何を言うのやら」


 ノイエンは呆れかえる。それはさておき、あとは待つばかり。サノウとキノフが進み出て、


「我々は書庫を(あらた)めてまいります。神都(カムトタオ)文書(デプテル)は何より貴重。ヒスワの集めた財宝など比べものになりません」


善し(サイン)、速やかに保全保管せよ」


はい(ヂェー)


 恭しく拝礼して去ろうとする。と、サノウがふと目線をひとつところに止めて、


「ハーン! 玉座のうしろに身を(かが)めねばくぐれぬような小さな扉があります。これはもしや変事の際に皇帝(グルハーン)が身を避けるべく設けられたものでは?」


 それを聞いてみな(テリウ)(めぐ)らす。インジャが瞠目して、


「おお、あまりに小さいので気づかなかった。言われてみればそのように見える。癲叫子、探ってみよ」


承知(ヂェー)!」


 ドクトが応えて開こうとしたが、内から施錠されている様子。かっときて一撃に叩き壊す。覗いてみれば先に暗い通路があって、どこかに続いている。


「軍師、こいつは的中(オノフ)ですぜ!」


 雀躍して歓声を挙げる。数名の兵士を(したが)えて、中へと入っていく。


「気をつけろ」


 思わずタンヤンが言えば、笑い声とともに、


「これがまことに通路なら、こんなところでもたもたしている奴はないだろうよ」


 そう返ってくる。身体(ビイ)の大きいタンヤンやノイエンはあとを追うこともかなわず、ただはらはらしているほかない。対してサノウは冷静そのもの、


「癲叫子に(まか)せておけば心配要りません。では私は書庫へ」


 キノフを伴って去る。タンヤンは嘆息して言った。


「ははあ。数歳ぶりに会ったが、軍師にはお変わりないようで」


「頼もしいではないか」


 インジャは嬉しそうである。かくして為すこともなく佇みながら、ときどきもたらされる兵衆の報告を受けるうちに時は過ぎる。


 およそ一刻も経ったろうか。(ナラン)(ようや)く傾きはじめる。(にわ)かに(くだん)の通路から、がやがやと人の声。


「あっ! 戻ってきたみたいだぞ!」


 タンヤンが叫ぶ。小さな入り口を注視していると、ドクトがぬっと(ヌル)を出す。


「お待たせしました」


「いかがであった」


 やや早口に問えば、にぃっと笑って、


「軍師の卓見に過誤はありませんでしたぞ!」


 すっかり抜け出したその右手に綱が握られている。するすると手繰れば、縛られた男が一人。ドクトは誇らしげにこれを示して、


「奥にあった小さな(くら)に隠れておりました。ヒスワです!」


 居並ぶ将兵は、わっと快哉を叫ぶ。インジャもまた昂奮して、


「癲叫子、よくぞ見つけた! さあ、みなを集めよ!」


 即座に四方に早馬(グユクチ)が飛ぶ。インジャたちは半ば焼失した宮城を出て、中央(オルゴル)更地(さらち)にて諸将の参集を待つ。


 (とら)えたヒスワも逃がさぬよう檻車に入れて運び込む。その間、先ごろまで皇帝を称していた男はひと言も喋らず、ただ恨みがましい視線を周囲に向けるのみ。


 ヒスワ捕縛の報を受け、心躍らせて駆けつけないものはない。誰もが大なり小なり怨みがある。中でも蓋天才ゴロには格別な思いがあった。

(注1)【狂悖暴戻(きょうはいぼうれい)】狂っているように暴力的で、道理に反していること。


(注2)【猖獗(しょうけつ)】猛く、荒々しいこと。悪いものごとが勢いを増すこと。猛威を振るうこと。

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