第一六三回 ②
サノウ義君に見えて呼擾虎自ら刎し
ドクト奸人を逮えて蓋天才専ら恥ず
サノウは己のことはさておき、神都で何が起こったかについては詳細に語った。諸将が反目して啀み合った結果、次第に数を減じて四門の守禦にも支障を来した顛末に好漢たちはおおいに呆れる。
またそこで初めて笑面獺ヤマサンの最期も知ることになった。神箭将ヒィ・チノから東門に笑面獺があると聞いて憂えていたが、すでに殺されていたとは開いた口が塞がらない。
そして最も気に懸かっている宮城の火災についても、
「僭帝ヒスワは佞臣の進言を容れて、囚人を衛兵にしようとしておりました。きっと得物を得た囚人たちが造反して暴れているに違いありません」
あまりの愚かしさにやはり言葉を失う。
ともかく敵情を深く知ったインジャたちは、もはや神都の命運は尽きたとて勝利を確信する。北門の呼擾虎さえ破れば奸人ヒスワは裸も同然、熟れた果実のごとく容易く擒えられるに違いない。士気はテンゲリを衝かんばかりに昂揚する。
恐るべきは悪霊(注1)の撒き散らす疫病のみ。しかしこれもキノフが何を為すべきか、何に意を払うべきか示したので、すぐにヒィ・チノたち東門と南門を占める諸将に伝達する。サノウが言うには、
「悪疫に冒された遺骸は、城外にヒスワが築いた丘があるから、そこに棄てさせればよかろう」
「丘? それはいったい何のためのものですか」
キノフの問いに答えて、
「中華の皇帝に倣って、陵墓を造ろうとしたのだ」
草原にはそのような習慣がないので、みなわけがわからずに首を傾げる。漸くキノフが答えて、
「墓というなら、遺骸を棄てるに相応しいというもの。よいかと存じます」
また別に早馬を立て、ギィに兵を分けて呼擾虎の後背を襲うよう命じる。炎上する宮城については、市街に延焼せぬかぎり手を着ける必要もない。こうして手はずを整えると、いよいよ北門への攻勢を強める。
守るグルカシュもさるもの、孤軍奮闘してなかなか崩れない。とはいえそれもマシゲル軍が達して挟撃するまでのこと。腹背に敵を受けては、いかな猛将といえども打つ手がない。
竜梯を伝っての侵入を許し、やがて城楼もひとつ、ふたつと奪われる。門前の守兵も蹴散らされ、ついに城門が内より開かれて大軍が押し入ってくる。グルカシュは城壁の上で奮戦していたが、自軍の惨状を見ておもえらく、
「無念だ、実に無念だ。……だが俺はそもそも市井の一無頼(注2)に過ぎぬ。それを思えば、神都の大将軍まで昇りつめたのだから愉快な生涯であった。胸を張って冥府へ参ろうぞ」
意を決すると、槍を擲って剣を抜き放つ。迷わず頸脈に当てて一気に引けば、血が飛沫となって噴き出す。
ぐらりと傾いたかと思えば、そのまま欄干を越えて真っ逆さまに地に落ちる。どうんと撥ねて転がったときにはすでに絶命していた。
「呼擾虎が死んだぞ!」
方々から歓声が挙がり、神都軍は戦意を喪失して続々と降る。今や完全に北門周辺はインジャたちの手に落ちた。門をいっぱいに開放して風を通し、布告して人衆を宣撫する。また飛生鼠ジュゾウを走らせて、友軍に勝利を伝える。
癲叫子ドクトと百万元帥トオリルは、残敵を掃討するべく慎重に市街へと進んでいったが、案に相違して抵抗するものは誰もない。みなジョルチ軍の姿を見るや、得物を棄てて投降する。ドクトはこれを揶揄して言うには、
「皇帝というのは何とまあ、人望があることだ」
残るは西門のスブデイと、宮城のヒスワばかり。
北門の傍で待機していたインジャのもとへ、カオロン河の西岸に在った長韁縄サイドゥから早馬が来る。何ごとかと思えば、
「先刻、卒かに西の門が開いて、一艘の早舟が下流に向けて走りました」
インジャたちはおおいに驚く。仔細を尋ねれば、
「おそらくはスブデイかと。対岸を軽騎をもって追いましたが、ヤクマンの版図に入ったので捉えられませんでした」
しかしサノウが断じて言うには、
「ご心配は無用です。スブデイは元帥とは名ばかりの無能の小人。四頭豹がこれを用いようとしても応えることはできますまい」
「ならよいが……」
「それよりもヒスワです。宮城の混乱は甚だしく生死のほども判りませぬが、いずれにせよヒスワだけは逃してはなりません」
西門の確保にはマシゲル軍を遣って、北門には百策花セイネンを残し、インジャたちもまた兵を中央へと進めることにした。
遠く望めば火勢は先よりも衰えているようである。暴徒と化した囚人兵のうちに我に返ったものがあったか、それとも侍衛兵がこれを鎮圧して消火に回ったか。
ここまで城門を幾つも突破されながら、宮城からは何の反応もなかった。現状はさっぱり判らない。念のために戦列を組んで、整然と接近する。すると宮城の門は半ば開いており、無反応であることも変わらない。インジャは傍らを顧みて、
「軍師、どう思う?」
答えて言うには、
「行きましょう」
力強い言葉に勇を得て、進軍を命じる。先駆けはもちろんドクト。左右に目を配りつつ門をくぐって、壮麗な宮城を仰ぐ。辺りはしんとして騒乱の気配も感じられない。
(注1)【悪霊】疫病を広めると謂われる。
(注2)【市井の一無頼】グルカシュはもともとカムタイの出自。自らヒスワに売り込んで将軍となった。第四 三回③参照