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草原演義  作者: 秋田大介
巻二
65/783

第一 七回 ① <マルケ登場>

インジャ死地を逃れ至りて衆星に(まみ)

ギィ武勲を(あらわ)し果たして野人を(はし)らす

 インジャはアネクを腕に抱えたまま必死の逃走(オロア)を続けた。サルカキタンの追撃の手は緩むことなく、友軍の兵は一人欠け、二人減り、ついに百騎(ヂャウン)あまりを残すばかりとなった。追う右派(バラウン)の兵は締めて三千。


 並走するナオルが言った。


美髯公(ゴア・サハル)と飛生鼠の姿(カラア)が見えません。まさか……」


「案ずるな。天王(フルムスタ)様の加護があろう。まずはトシ・チノと合流(ベルチル)することだけを考えよ」


 それでナオルは(アマン)(つぐ)む。さらに駆けること一刻、もう背後に味方(イル)の姿はほとんど見えなくなっていた。


 しかしインジャの(アクタ)は希代の駿馬(クルゥグ)、アネクと二人を負いながらも徐々に追撃を引き離していた。ともすればナオルも遅れがちになる。


 しかしながら、いかに駿馬といえども休む間もなく駆けるのにかぎりがあるのは当然のこと、次第に顎が上がってくる。このままでは馬を()り潰してしまう。


 ふと前方に(モド)が鬱蒼と()い茂った(ドブン)が見えた。


「ナオル、何とかしてあそこまで行くぞ」


承知(ヂェー)!」


 二人は余力を振り絞って馬を()かす。


 と、どこからか一本の矢が飛んできて目の前の地面(コセル)に突き刺さった。馬は驚いて前脚(カア)を高々と上げる。インジャは手綱(デロア)を強く引いて、(ようや)く落馬を免れる。


「何ものだ!」


 ナオルがインジャを(かば)うように進み出て叫んだ。すると丘の上に見たことのない(トグ)が一斉に現れて、木々の合間から十数騎ほど駆け出てきた。


「それはこちらが聞きたい。お前ら、どこの雑兵だ」


 そう言った男を見れば、一見して並のもの(ドゥリ・イン・クウン)ではない。


 身の丈七尺半、年のころはいまだ二十歳を超えず、両眼(ニドゥ)(ダナ)のごとく(きら)めいて知の光を宿し、白面にして白心、義を知り忠を重んじる一個の好漢(エレ)


 インジャはその風貌(ガタル)がただものではないのを看て取って、あわててアネクを鞍上に横たえると拱手して言った。


「好漢の土地(コソル)とも知らずに失礼しました。私はフドウ氏のインジャと申す一介の旅人で、ベルダイ氏の(ソオル)に巻き込まれて難渋しております。偶々(たまたま)左派(ヂェウン)の将であるアネク殿を敗戦より救ったものの援軍はいまだ到着せず、さりとて行くところとてなく、やむなく(ヂュブル)に身を隠そうとしたところ、図らずも好漢に()ったのです」


 これを聞いて今度は相手が目を(みは)った。やはりあわてて拱手して言うには、


「すると貴公があの高名(ネルテイ)なフドウの族長(ノヤン)インジャ様でしたか! そうとは知らず失礼いたしました。インジャ様の勇名はこの小さな丘まで轟いておりますぞ。私はイタノウというつまらぬ小部族(ヤスタン)の長で、マルケと申す小人です。かねてからインジャ様を慕っておりましたところ天王(フルムスタ)様に通じたのか、こうして邂逅かなってこれに勝る喜び(ヂルガラン)はありません」


 まさに二人が出逢ったのは上天(テンゲリ)の配剤にほかならない。危地においてまた新たな宿星(オド)が引き合わされたのである。


 詳しい事情は山塞で、というマルケの勧めにインジャは喜んで(したが)う。アネクの意識はまだ戻らなかったので、マルケが部下に命じて(テルゲン)()いてこさせた。


 山塞に誘われたインジャは、ゴロの受難から語り起こしてこれまでの経緯(ヨス)を細かに話した。マルケは感じ入って聞いていたが、やがて言うには、


「諺にも『猟師も(エブル)に飛び込んできた窮鳥は殺さない』と謂います。ましてや貴公と私は先祖(ボルカイ)(オソル)なく、今に恨みある間柄ではありません。それなのに好漢の誉れ高いフドウの義君を、むざむざ右派の野人に討たせるようなことがどうしてできましょう。この辺りは我らにとって己の掌のようなもの、必ず無事に左派の(トイ)にお送りしましょう」


 インジャとナオルは厚く(カリラ)を述べた。マルケはさらにアネクのために(エム)を調合した。これを傷に擦り込んで白湯を飲ませると、(ようや)く意識を取り戻す。


 すぐには事態が吞み込めないようだったが、死地を脱したことが解ると、わっとインジャの(オモリウド)に飛び込んで涙を流す。思ってもいなかったアネクの行動にインジャは(ヌル)を真っ赤にしておおいに困惑する。


 アネクはしばらくそのまま泣いていたが、はっと我に返るとあわてて身を離し、(チフ)まで染めてしきりに(ハツァル)(ぬぐ)う。(ようや)く落ち着いてくると、今度は与えられた兵を失ったことで激しく己を責めはじめた。


 また関わりのないインジャらを危険(アヨール)(さら)した上に、ハツチとジュゾウが戻らぬことを知って、深く傷ついた様子。インジャらは言葉(ウゲ)を尽くしてこれを慰める。マルケが傍ら(デルゲ)から口添えして、


「とにかく今はトシ・チノの援軍と合流することを考えましょう。そうすればサルカキタンを破り、インジャ様の僚友(ネケル)を救うこともできようというもの。私はまたギィ様と多少面識があります。インジャ様の旅の目的も果たされましょう」


 どういうことかと云えば、ギィがベルダイへ向かう途中やはり不用意に丘に近づいて、同じように山塞に招かれたもの。インジャはこの偶然に首を(かし)げながらもおおいに喜んだ。

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