表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
草原演義  作者: 秋田大介
巻一一
648/783

第一六二回 ④

皇宮炎上してブギ・スベチ獅子を迎え

小人落命してコヤンサン旧知を見る

 コヤンサンはおもむろに立ち去ろうとするアルビンを見失うまいとて、大声で呼ばわりながら懸命にこれを追う。なぜ拘泥しているのかといえば、まもなく判ること。周囲の兵衆は驚き、また(いぶか)しむ。唖然として見ていると、


「誰か、あの男を捕まえてくれ! おい! 疾く!」


 わけはわからないが、何といってもジョルチン・ハーンの黄金の僚友(アルタン・ネケル)の一人、忠義の猛将(バアトル)として名高きコヤンサンの言うことなので、(おろそ)かにもできない。惑いながらも数人の兵がこれに従う。


「おおい、待て、待て! お前だ、止まらぬか!」


 聞こえぬはずもない大音声。やっとアルビンはちらと顧みるそぶりを見せたが、むしろ足を速める。


「あっ! こらこら、止まれ、止まれっ!」


 さらに(わめ)きたてる。あとより従った兵衆はいずれもコヤンサンより速足にて、いつかこれを追い抜いてアルビンに迫る。幸いにして相手も足が遅く、裾の長い袍衣(デール)(さわ)りとなって徐々に間が詰まる。


 ついに先頭を行く兵士がその(ムル)(つか)む。振り払ってなおも逃れようとするが、その腕を取ってぐいと引いたかと思うと、(フル)をかけて(コセル)に転がす。


 それを見たコヤンサンは吃驚して、両手を振り回しつつ、


「あっ! いかん、手荒なことは()せ!」


 兵士は意外そうな(ヌル)をして、うっかり(ガル)を放す。アルビンはしめたとばかりに立ち上がろうとしたが、そのときにはすっかり兵衆に囲まれていた。諦めて再び腰を下ろすと、腕を組んで(うつむ)いたままひと言も口を()かない。


 これを捕らえた兵衆もまた男をどう扱ってよいかわからず、ただ佇んでコヤンサンが至るのを待つ。


 ふうふうと荒く息を吐きながら、やっとのことでコヤンサンが追いつく。しばらくは膝に手を突いて呼吸(アミ)を鎮めていたが、(ようや)く上体を起こしてアルビンに正対した。しばらくはじろじろとこれを眺め回している。やがて意を決して言うには、


「……すまぬが、顔を見せてくれないか」


 アルビンは無言で頭巾の端を引いて(こば)意志(オロ)を示す。そこで重ねて言うには、


「お前はどうも私が知っている人によく似ているような気がするのだ。人違いなら謝る。ちらと顔を拝ませてくれるだけでよいのだ」


「…………」


 やはり答えない。


 コヤンサンはしばらく迷っている風だったが、そもそも細かい駆け引きのできるものではない。思いきって猿臂(えんぴ)を伸ばすと、すばやく頭巾を()ぎ取ってしまった。その下から現れた顔を見て、


「おお、おお……、やはり貴殿は……」


 アルビンと名乗っていた男は(フムスグ)(しか)めて、にこりともせずに言うには、


「相変わらず粗暴な奴だ」


 コヤンサンは叫んだ。


「……()()っ!! やっぱり軍師だ! ああ、生きて(オスチュ)いたんですね!!」


 いっぱいに開いた(ニドゥ)からは、すでに滂沱(ぼうだ)と涙が溢れる。がばと抱きついて、おいおいと(ダウン)を挙げて泣く。男は辟易(へきえき)して、


「放せ、気色の悪い」


「放しませんよう! 決して放すもんか。もうどこにも行っちゃいけませんよう」


 そう、アルビンの正体は旧の断事官(ヂャルグチ)獬豸(かいち)軍師ことイェリ・サノウであった。かつて南征失敗の責を負って下野(注1)したきり消息が知れなかったのが、不意に再会したのである。コヤンサンの驚愕、歓喜たるや、いかほどのものだったか。


「解ったから放せ! 私はどこへも行かぬ」


「それは(ウネン)かい? いや(ブルウ)、そう言って軍師はいつも人を(あざむ)くんだ!」


「人聞きの悪いことを言うな。兵衆が見ているではないか」


「かまうもんか! ああっ、もはや神都(カムトタオ)などどうでもよい。軍師が見つかったのだ!」


 サノウはおおいに呆れて、


「何てことを言うんだ。ええい、放さぬか。これではハーンのもとに参ることもできぬ」


 これを聞いてさっと離れると、


「おおっ! ハーンにお会いくださるか」


「やむをえぬ。お会いして(ゆる)しを請おう」


「赦し? いやいや、どれほど喜ばれるか! さあ、参りましょう、参りましょう。気が変わらぬうちに」


 (ノロウ)を押して()かしたてる。


「押すな、押すな! ……まったく、誰にも見つからぬようそっと去るつもりだったのだが、悪疫のことだけは伝えておかねばならぬと思ったのが失敗(アルヂアス)だった」


「何をぶつぶつ言っているんです?」


「お前に言ったわけではない。参ろう」


 するとコヤンサン、今度はその手を取って引こうとする。あわてて振り払うと、


「手を繋ぐな!」


「軍師に信用(イトゥゲルテン)がないのがいけないんですぜ。いついなくなるか知れたもんじゃない。そうだ!」


 何か思いついたらしく、従ってきた兵衆に告げて言うには、


「お前ら、俺が軍師をハーンの(トイ)に無事送り届けるまでついてこい。四周を固めて決して逃がすな。もし逃したら、罰としてみな殺す(アラハ)


 あまりに道理(ヨス)のない命令(カラ)に兵衆は愕然とする。サノウが(たしな)めて、


「何と酷い命令だ。無理を通すにもほどがある」


 コヤンサンは、へへへと笑って、


「こう言っておけば優しい軍師のことだ、途中でいなくなったりできんでしょう?」


 サノウはもはや何も言わない。


 ともかく宿星(オド)の運行の玄妙たることかくのごとし、(めぐ)り廻って再会できたのもすべてはテンゲリの定め。まさしく「命運(ヂヤー)には逆らえぬ」といったところ。もとより獬豸軍師は欠くべからざるジョルチの智嚢(ちのう)、これなくして黄金の僚友は決して揃わない。果たして、義君はどのように獬豸軍師を迎えるか。それは次回で。

(注1)【南征失敗の責を負って下野】南征敗退後、サノウはインジャに拝謁して下野することを望んだ。五年前のことである。第一一九回③、および第一一九回④参照。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ