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草原演義  作者: 秋田大介
巻一一
647/783

第一六二回 ③

皇宮炎上してブギ・スベチ獅子を迎え

小人落命してコヤンサン旧知を見る

 マシゲルにかの号令を聞いて(ツォサン)(たぎ)らぬものはない。一斉に喊声を挙げて、まずは矢の(クラ)を降らせる。虚を衝かれて怯んだ(カリタリル)ところを、高々(ホライタラ)と得物を掲げて突っ込む。


 城門(エウデン)の周辺にいた敵兵は、瞬く間(トゥルバス)に蹴散らされる。壁上や城楼にあった兵衆があわてて駈け下りてくる。


 (にわ)かに後背より襲われたヒムガイは驚愕した。(トグ)を確かめてなお信じられぬ思いで呟く。


「マシゲルだと!? なぜ、マシゲルの兵が城内に……?」


 すぐには(カラ)を下すこともままならない。その間にもみるみる兵は数を減じる。もはや戦列(ヂェルゲ)を立て直すことは、古の名将といえども至難の業。呆然として暴れまわる敵軍を睨んでいたが、その中に一人の将を発見する。


「あ、あれはっ!! ブギ・スベチ! そうか、奴が門を開いて導き入れたかっ!」


 怒り(アウルラアス)心頭に発して、顔色は(カラムバイ)へと変わる。


「あの無能(アルビン)め、(ゆる)さぬぞ。決して恕さぬ!」


 ここに至っては勝利は望むべくもない。自身が逃げることも難しい。となれば、為すべきことはただひとつ(ガグチャ)


 ヒムガイはかっと(ニドゥ)を見開くと、(ヂダ)(つか)んで後先も顧みずに楼上から跳んだ。その高さたるや二丈半(注2)。両脚でどんと着地する。僅かに(ヌル)(ゆが)めたが、そのまま一直線に駈けだす。敵騎が群がり襲ってくるのを虫を追うように易々と退けながら、ひたすら走る。


 当のブギ・スベチは、マシゲル軍の戦闘(カドクルドゥアン)をのんびりと眺めていた。自身も戦おうという気はまるでない。内心おもえらく、


「青面(ゆう)め、思い知ったか。俺を(ないがし)ろにした報いだ。ひひひ、次はあの傲慢な呼擾虎(こじょうこ)だ。俺はジョルチン・ハーンに取り入って栄達を遂げてやるぞ。そうだ、よくすればこの神都(カムトタオ)代官(ダルガチ)になれるやもしれぬ」


 まことに愚かというほかない。つまらぬ妄想に耽溺(たんでき)していたおかげで、危険(アヨール)が迫っていることに気づくのが遅れた。


 眼の前の騎兵が吹っ飛んで、はっと我に返ったときには、そこにヒムガイの姿(カラア)があった。悪鬼(チュトグル)見紛(みまが)う形相、その全身は我のものか彼のものか判らぬ血で真っ赤に染まっている。


「えっ、なっ、青面鼬!?」


 ブギ・スベチは俄かに恐慌に(おちい)る。血流がすんと下がって気が遠くなる。


「先に冥府(バルドゥ)で待ってろ」


 言うや否やヒムガイが渾身の一撃を繰り出せば、どうして避けることができよう。ブギ・スベチは鳩尾(オレ)(みぞおち)を貫かれて、たちまち絶命する。


 栄耀栄華も夢のまた夢、すべて(はかな)くなる。もちろん生きていたとしても、綺羅(オド)のごとき黄金の僚友(アルタン・ネケル)があるからには、決して重用されることはなかっただろう。己の才覚(アルガ)を悟らぬことこそ、小人の小人たる所以(ゆえん)


 それはさておき、ヒムガイの(アミン)も長くは続かない。ほどなく囲まれて散々に斬り刻まれる。ブギ・スベチを討った時点で、(クチ)をほとんど使い果たしていたのである。


 主将を失った衛兵(ケプテウル)たちは次々と得物を棄てて投降する。ついに門は開かれて、ナルモント軍が小金剛モゲトを先頭に城内へと雪崩れこむ。


 また鴉楼(あろう)城壁(ヘレム)にぴたりと着けられて、雷霆子(アヤンガ)オノチや白夜叉ミヒチが壁上に降り立つ。出番こそ巡ってこなかったが、象車を指揮する呑天虎コヤンサンも入城を果たす。


 彼らはマシゲル軍と兵を併せて互いに喜び合う。長者(バヤン)ワドチャが、東門近辺の制圧と慰撫を担った。余の諸将は戦列を整えて次なる命を待つ。




 そのとき、少し離れた物陰(エチネ)から一連の顛末(ヨス)をじっと観ているものがあった。誰あろう、アルビンである。


 この胡乱(うろん)な男が方々に出向いて忠言とも詐謀ともつかぬ口舌を弄したために、果たして幾人もの将が身を亡ぼし、ついには神都(カムトタオ)の門が破られることになった。


 気づいている方もあるかもしれないが、宮城の火災に狼狽(うろた)えるブギ・スベチに(ささや)いて南門を開かせたのも、実はこの男である。


 といってこれと行をともにすることもなく、攻囲軍に投じるでもなく、むしろ見つかることを恐れて隠れている。それなら混乱に(まぎ)れて逃げてしまえばよいものを、いまだ去らずに留まっていることには理由があった。


 アルビンは(オロ)を決して、そっと歩きだす。マシゲル軍の末尾にいた双角鼠(エベルトゥ・クルガナ)ベルグタイに呼びかけると、面を伏せたまま言うには、


「将軍、お知らせしたきことがございます」


「ん? お前は何だ」


神都(カムトタオ)の良民にて怪しいものではございません」


 とはいえ、ベルグタイはおおいに怪しむ。かまわず告げて言うには、


「実は城内には悪疫が蔓延しております。十分に気をつけていただきたく、こうしてお知らせにまいりました」


 これには驚きあわてて、


「よくぞ知らせてくれた! 礼を言うぞ」


 早口で言うと大急ぎでギィのもとへ走る。ギィもまた瞠目して、


「すぐにジョルチの天仙娘に報せて指示を仰げ。ナルモント軍にも伝えよ」


 ベルグタイが飛ぶように去ると、(フムスグ)(しか)めて、


「死んだものを悪く言いたくはないが、あのブギ・スベチとはまことに使えぬ奴だ。そんな重要事を黙っているとは……」


 首を振ると兵衆に命じて、一旦城外に退避する。もちろん東門、南門ともに確保したままであるのは言うまでもない。そこで再び炎上する宮城を眺めつつ、キノフからの指示を待つことにした。


 一方、アルビンはベルグタイが駈け去るのを見送って、(ようや)くその場を離れんとする。偶々(たまたま)それを目にして気にかけたものがあった。誰かと云えば、コヤンサン。


 その(ノロウ)にじっと視線を注ぎ、ふとテンゲリを見上げ、首を(かし)げて一心に考え込む。やがて何か思い当たったらしく、俄かに奇声を発して跳び上がった。おおいに昂奮して大声で呼びかけつつ、わっと駈けだす。


「おおい、待て! そこの男、待て!」

(注1)【二丈半】一丈は約235センチ。よって二丈半はおよそ6メートル弱。

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