表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
草原演義  作者: 秋田大介
巻一一
643/783

第一六一回 ③

ヤマサン楼車を(こぼ)たんとして(たちま)ち命数()

ヒスワ侍衛を()たさんとして(すなわ)ち佞臣奏す

 (にわ)かに現れて仲裁を唱えるブギ・スベチに、両将は驚くよりもおおいに呆れた。まずはグルカシュがふんと(ハマル)を鳴らして言うには、


「僭越、と言ったな。解っているなら引っ込んでろ! お前ごときが仲裁だと? (わら)わせるな」


 ヒムガイも同調して、


「そのとおりだ、(ぶん)(わきま)えろ!」


 おおいに罵る。ブギ・スベチはやや気圧(けお)されつつも、(あらが)って言うには、


「そ、そんなことを言っているときではあるまい。大将軍と近衛大将が相争うなどあってはならぬ」


 グルカシュは激昂(デクデグセン)して、


(やかま)しい! 誰にものを言っている。身のほどを知れ!」


 またヒムガイも、


「お前の知ったことではない。とっとと返って南門の番をしていろ!」


然り(ヂェー)! そもそもお前はなぜ任所を離れてここにいる。責務(アルバ)の放棄は重罪ぞ。処断されたいか」


無能(アルビン)め。せめて命じられたことくらい(こな)してから口を()け」


 いつの間にか二人が(ガル)を携えてブギ・スベチを罵倒する。とめどない悪口雑言、侮辱に次ぐ侮辱に(ヌル)を真っ赤に染めてわなわなと震える。


 もはや言い返す隙も与えられず、やむなく馬首を返して去る。営所に戻ると荒れに荒れて、調度やら何やらに当たり散らす。このことからブギ・スベチは二人を深く怨んだ。


 残された両将も俄かに熱が冷めて、さらに争うのもくだらないことに感じられたので、どちらからともなくその場を離れる。とはいえ言葉(ウゲ)を交わして和解したわけでもない。互いに疑い、怨み、(わだかま)る。


 グルカシュは北門へと返った。一方のヒムガイはそのまま東門を占める。かくして中央(オルゴル)に四門を援護するべき遊軍はなくなった。今や対立する四将が東西南北に割拠して睨み合う形勢となる。




 早朝のこととて、城外のジョルチ軍やナルモント軍にこの騒ぎは伝わらなかった。ところがヒィ・チノは、その後の戦闘(カドクルドゥアン)で敵情の変化を鋭く察して、盛んに首を捻る。


「決して弱くなったわけではないが、笑面(だつ)の兵略ではないような……。別の(エウデン)へ転じたか?」


 門の傍にはヤマサンの屍が転がっていたが、そんなことを想定できるわけもなく誰一人として気づかない。


 ときおり鴉楼(あろう)にミヒチを(のぼ)らせて観察せしめるも、さすがの白夜叉にも神都(カムトタオ)軍に何が起こっているか判らない。一人でも有為の人材を惜しむべきときに、まさか相争ったあげく将が半減しているなど思いもつかない。


 内訌の(ガル)は鎮まるどころか、なお燃え盛る。四門に割拠するそれぞれが、僅かでも優位に立とうと考えたことは同じであった。すなわち皇帝(グルハーン)ヒスワにほかの将を讒訴(ざんそ)して、己の側に付けようと図る。


 連日連夜、讒言(アダルガン)(チフ)にしたヒスワは(ようや)く鬱屈して、誰を信じてよいやら判らなくなる。常に苛立って近侍の臣(オチル)に怒声を浴びせる。みな次第に遠ざかり、ますます孤立を深める。閑散とした内廷にあって、独りぶつぶつと言うには、


「四頭豹の援軍はまだか。大スイシなるものが盟を約して帰ったはずではないか」


 もちろんその場かぎりの諛辞(ゆじ)にて、まことに援ける気など微塵もない。よって待てど暮らせどヤクマンの兵が至るわけもない。


 近衛兵(ケシクテン)をヒムガイが率いて去った今、宮城にあるのは僅かな侍衛兵(トゥルガグ)のみ。それすらも信が置けず、熟睡することすらできない。(ハツァル)は痩せ、(ニドゥ)(くぼ)み、始終心臓(ヂュルケン)が痛む。


 ますます機嫌は悪くなり、些細な過失(アルヂアス)(とが)めては侍者(チェルビ)打擲(ちょうちゃく)したが、くどくどしい話は抜きにする。




 そのころヒムガイは、先にヤマサンを討ったときのことを繰り返し想い起こしては懊悩していた。


「なぜ笑面獺は城外に逃げることをせず、従容(しょうよう)(注1)として死んだのか」


 (ブルガ)に通じているのであれば、ことが破れた時点で脱出(アンギダ)し、ナルモントの(トイ)まで駆ければよい。即座にそうされていたら、おそらく討ち漏らしただろう。


 それなのにまったく逃げる素振りはなかった。もっと言えば、本心(カダガトゥ)から抵抗する気すらあったかどうか。あれこれ思い(わずら)ったあげく、恐ろしい疑念がむくむくと湧くのを抑えることができない。というのは、


「もしや笑面獺は内通などしていなかったのではあるまいか」


 となると、ヒムガイは無実の僚友(ネケル)を誤って討ったことになる。もしそれが真実(ウネン)なら、政敵どもに決して知られてはならない。


 いや、真実などどうでもよい。どちらにせよヤマサンは死んでおり、「屍は語らない」。とにかくこの一件が己を讒謗(ざんぼう)する口実にされぬよう注意する必要がある。


 またグルカシュは四門を制するべく、先に新たに立てた千人長(ミンガン)をその守将とするようヒスワにはたらきかけていたが、好い返答を得られずにいた。そもそも誰の許諾も得ずに強引に任命したものだったからである。


 以前なら将軍の配置については大将軍であるグルカシュの意向(オロ)を反映させることができた。ところが今は西門には大元帥スブデイ、東門には近衛大将ヒムガイがあり、どちらも意のままにならない。


 せめて南門のブギ・スベチを移そうと図れば、頑強な抵抗に遭う。ブギ・スベチはますます憎悪を募らせて、公然とグルカシュを非難する。指揮命令にも一切従わない。


 そうかといって独りで立つほどの気概(ヂルケ)もないので、辞を(ひく)くしてスブデイに(おもね)る。やはり不安に(おのの)いていたスブデイも喜んでこれを容れる。


 いよいよ神都(カムトタオ)実情(アブリ)は末期の惨状を呈しつつあった。


 それでもなお落ちないのは、ひたすら高く厚い城壁(ヘレム)と頑丈な城門のおかげである。まさにかつてヤマサンが言ったように、誰かが「内から門を開かぬ」かぎり城塞(バラガスン)は落ちぬといったところ。

(注1)【従容(しょうよう)】危急のときにも、あわてたり騒いだり焦ったりしないさま。落ち着いてゆとりのあるさま。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ