第一六一回 ③
ヤマサン楼車を毀たんとして忽ち命数竭き
ヒスワ侍衛を充たさんとして乃ち佞臣奏す
卒かに現れて仲裁を唱えるブギ・スベチに、両将は驚くよりもおおいに呆れた。まずはグルカシュがふんと鼻を鳴らして言うには、
「僭越、と言ったな。解っているなら引っ込んでろ! お前ごときが仲裁だと? 嗤わせるな」
ヒムガイも同調して、
「そのとおりだ、分を弁えろ!」
おおいに罵る。ブギ・スベチはやや気圧されつつも、抗って言うには、
「そ、そんなことを言っているときではあるまい。大将軍と近衛大将が相争うなどあってはならぬ」
グルカシュは激昂して、
「喧しい! 誰にものを言っている。身のほどを知れ!」
またヒムガイも、
「お前の知ったことではない。とっとと返って南門の番をしていろ!」
「然り! そもそもお前はなぜ任所を離れてここにいる。責務の放棄は重罪ぞ。処断されたいか」
「無能め。せめて命じられたことくらい熟してから口を利け」
いつの間にか二人が手を携えてブギ・スベチを罵倒する。とめどない悪口雑言、侮辱に次ぐ侮辱に顔を真っ赤に染めてわなわなと震える。
もはや言い返す隙も与えられず、やむなく馬首を返して去る。営所に戻ると荒れに荒れて、調度やら何やらに当たり散らす。このことからブギ・スベチは二人を深く怨んだ。
残された両将も俄かに熱が冷めて、さらに争うのもくだらないことに感じられたので、どちらからともなくその場を離れる。とはいえ言葉を交わして和解したわけでもない。互いに疑い、怨み、蟠る。
グルカシュは北門へと返った。一方のヒムガイはそのまま東門を占める。かくして中央に四門を援護するべき遊軍はなくなった。今や対立する四将が東西南北に割拠して睨み合う形勢となる。
早朝のこととて、城外のジョルチ軍やナルモント軍にこの騒ぎは伝わらなかった。ところがヒィ・チノは、その後の戦闘で敵情の変化を鋭く察して、盛んに首を捻る。
「決して弱くなったわけではないが、笑面獺の兵略ではないような……。別の門へ転じたか?」
門の傍にはヤマサンの屍が転がっていたが、そんなことを想定できるわけもなく誰一人として気づかない。
ときおり鴉楼にミヒチを上らせて観察せしめるも、さすがの白夜叉にも神都軍に何が起こっているか判らない。一人でも有為の人材を惜しむべきときに、まさか相争ったあげく将が半減しているなど思いもつかない。
内訌の炎は鎮まるどころか、なお燃え盛る。四門に割拠するそれぞれが、僅かでも優位に立とうと考えたことは同じであった。すなわち皇帝ヒスワにほかの将を讒訴して、己の側に付けようと図る。
連日連夜、讒言を耳にしたヒスワは漸く鬱屈して、誰を信じてよいやら判らなくなる。常に苛立って近侍の臣に怒声を浴びせる。みな次第に遠ざかり、ますます孤立を深める。閑散とした内廷にあって、独りぶつぶつと言うには、
「四頭豹の援軍はまだか。大スイシなるものが盟を約して帰ったはずではないか」
もちろんその場かぎりの諛辞にて、まことに援ける気など微塵もない。よって待てど暮らせどヤクマンの兵が至るわけもない。
近衛兵をヒムガイが率いて去った今、宮城にあるのは僅かな侍衛兵のみ。それすらも信が置けず、熟睡することすらできない。頬は痩せ、目は窪み、始終心臓が痛む。
ますます機嫌は悪くなり、些細な過失を咎めては侍者を打擲したが、くどくどしい話は抜きにする。
そのころヒムガイは、先にヤマサンを討ったときのことを繰り返し想い起こしては懊悩していた。
「なぜ笑面獺は城外に逃げることをせず、従容(注1)として死んだのか」
敵に通じているのであれば、ことが破れた時点で脱出し、ナルモントの陣まで駆ければよい。即座にそうされていたら、おそらく討ち漏らしただろう。
それなのにまったく逃げる素振りはなかった。もっと言えば、本心から抵抗する気すらあったかどうか。あれこれ思い煩ったあげく、恐ろしい疑念がむくむくと湧くのを抑えることができない。というのは、
「もしや笑面獺は内通などしていなかったのではあるまいか」
となると、ヒムガイは無実の僚友を誤って討ったことになる。もしそれが真実なら、政敵どもに決して知られてはならない。
いや、真実などどうでもよい。どちらにせよヤマサンは死んでおり、「屍は語らない」。とにかくこの一件が己を讒謗する口実にされぬよう注意する必要がある。
またグルカシュは四門を制するべく、先に新たに立てた千人長をその守将とするようヒスワにはたらきかけていたが、好い返答を得られずにいた。そもそも誰の許諾も得ずに強引に任命したものだったからである。
以前なら将軍の配置については大将軍であるグルカシュの意向を反映させることができた。ところが今は西門には大元帥スブデイ、東門には近衛大将ヒムガイがあり、どちらも意のままにならない。
せめて南門のブギ・スベチを移そうと図れば、頑強な抵抗に遭う。ブギ・スベチはますます憎悪を募らせて、公然とグルカシュを非難する。指揮命令にも一切従わない。
そうかといって独りで立つほどの気概もないので、辞を卑くしてスブデイに阿る。やはり不安に慄いていたスブデイも喜んでこれを容れる。
いよいよ神都の実情は末期の惨状を呈しつつあった。
それでもなお落ちないのは、ひたすら高く厚い城壁と頑丈な城門のおかげである。まさにかつてヤマサンが言ったように、誰かが「内から門を開かぬ」かぎり城塞は落ちぬといったところ。
(注1)【従容】危急のときにも、あわてたり騒いだり焦ったりしないさま。落ち着いてゆとりのあるさま。